海外派遣スタッフの声

一晩で6人の銃創患者、整形外科症例にも対応:黒﨑伸子

ポジション
外科医
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ポートハーコート
派遣期間
2007年7月~2007年8月

なぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

2001年に初めてMSFより派遣されてから、今回は7回目です。1週間前にスリランカでの派遣から帰国したばかりでしたが、予定より3週間早い帰国であり、ちょうど短期派遣が可能な医師を探しているという募集があったので、すぐに承諾して派遣されました。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

最初の派遣に参加した時には、国立大学医学部付属病院講師という職であったため、辞職しての参加でした。その後、何回かのミッション参加を得て、現在は年に数ヵ月の海外派遣を許可するという条件で採用された病院に異動したので、比較的緊急の要請にも対応可能になっています。

もともとは小児外科専攻外科医でしたが、その前には一般外科(消化器外科、胸部外科、心臓血管外科)で3年半ローテーションを経験しました。また、最初の派遣から帰国した後は再び小児外科以外の一般外科症例を担当するようになり、救急救命センターのある病院で勤務したの で、広範な要請に対応しています。MSFの外科治療プログラムのある地域では子どもの外傷も多く、また、ときに新生児の症例も搬送されてくることがあり、小児外科の経験があることは地域の人にも歓迎されることが多いように感じています。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

ナイジェリアのポートハーコートは政治的不穏と貧困のために、ここ数年暴力が続いています。私が派遣される直前の8月上旬には大量の銃撃被害者が搬送されることが続き、数日間は外科医・整形外科医と麻酔科医などの外科チームは病院に泊り込む事態だったようです。(外科チームは、整形外科医1名・一般外科医1名、麻酔科医2名、手術室付きの看護師1名でした。)そのため、私が着任したときには、まだ暴力の被害者たちがベッドの多くを占めていて、新たな緊急患者全員を収容できない状況でした。ただし、そのような事件が続いたために戒厳令が発令され、午後7時以降の市民の外出が禁じられているという状態だったので、緊急患者も1日に2~3名と比較的平穏でした。後半の1週間は、外出許可が9時までに延長されたこともあって患者は増えてきましたが、多くは交通事故による骨折でした。

ある日曜日の夜には、銃撃事件の患者が一度に6名搬送されてきました。緊急開腹手術が必要な患者は1名だけで、2名は胸腔ドレーン挿入、他は翌日に創部洗浄~二次縫合を行うなどの軽症でした。また、製材作業所に入り込んだ2才の女の子が誤って左前腕を切断、左顔面の大きな切傷で搬送されてきました。切断された前腕の保存状況も悪く、すでに3時間が経過しており、この病院では縫合不能だったため、当初は顔面創の縫合+切断端の止血、受傷2日目に切断端縫合閉鎖を行いました。ER(救急救命室)で血管ルートを確保できずにいたところ、小児外科経験のあった私が呼ばれて、容易に対応できました。この女の子は2回目の手術後2日目(受傷後5日目)には退院し、抜糸などは外来診療でフォローされます。

外傷外科の患者の7~8割は整形外科の患者ですが、開放骨折や銃撃創での皮膚欠損部への感染コントロール後の皮膚移植をほぼ毎日のように2~3例行っていました。また、術後の合併症で尿閉になった患者の恥骨上に尿道カテーテルを挿入することなども外科医の仕事でした。銃撃で下顎を失った患者は経鼻胃管で栄養を与えられていたのですが、在宅管理ができるように胃瘻造設を行ったりもしました。

  • 経鼻胃管:鼻から胃にチューブを挿入すること
  • 胃瘻造設:お腹に穴をあけ、栄養補給を行うチューブを固定する

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

平日と同じように、土曜日も7時半にすべての派遣スタッフが病院に出勤して、ERやICU、さらに病棟の回診を行いました。予定されている手術は午前中に終わるように1~2例だけですが、多くは緊急症例が追加になります。午後は宿舎に帰って休養しました。近くにDVDのレンタルショップがあったので、皆でDVDを見て楽しんだりしました。あるいは、数名の派遣スタッフが一緒であれば、プールやレストランなどへの外出ができます。日曜日も、外科医・整形外科医は朝9時過ぎくらいに出かけて術後患者の回診を行い、午前中には戻ってきます。宿舎のすぐ近くに行きつけのバーがあるので、夜間外出禁止の時間前であれば、そこでビールを飲んだりすることもできました。

ある日曜日の午後は、整形外科医と麻酔科医を送別するために、病院や事務所などの現地スタッフを招いて盛大なパーティを宿舎で開き、おしゃべりをしたり、歌ったり、踊ったりして大いに楽しみました。

現地での住居環境についておしえてください。

今回派遣で参加したチームは、フィールド・コーディネーター、ロジスティシャン、病院のマネージャー、内科医、整形外科医、外科医、看護師長、手術室付きの看護師がそれぞれ1名ずつ、麻酔科医が2名の計10名と人数が多かったので、宿舎は2つの建物に分かれていました。すべての個人の部屋にトイレとシャワーがあり、さらにお湯が出るという素晴らしい設備でした。部屋にある家具はベッド(蚊帳)と机に、クローゼットと天井のファンです。手前の建物の共有部分は食堂とリビング(ここでDVDを見たりインターネットを使ったりします)に使われ、奥の建物内には卓球台があって余暇を十分に楽しめます。宿舎の発電機は、だいたい夜の6時半から朝の出勤時までついており、この間は各自の部屋でもPCなどを使えました。

朝食は各自がストックされているものから適当に食べ、昼食は病院に持ってこられたものを仕事の合間にとります。夕食は7時半頃から皆で一緒に食べますが、疲れていれば帰宅後先に食べて先に床につく人もいました。アルコールは比較的自由に入手できました。

良かったこと・辛かったこと

良かったこと:

  • 2週間という短期でしたが、初めて外傷治療に限った外科治療プログラムを体験できたこと
  • テメ病院内の外科治療センターがMSFだけで運営されているために、これまでの派遣で体験したような現地の医療システムへの対応の難しさが全くなかった
  • 現地スタッフとの信頼関係が十分に確立されており、非常に仕事がしやすかったこと

辛かったこと:

  • ラゴスからポートハーコートへの飛行機がキャンセルになり、4時間後の便に乗ったら予定外の空港(空軍基地)に着き、MSFの運転手に迎えに来てもらう手配などに大慌てしたこと
  • 予想以上に一般外科のニーズが少なく、整形外科症例中心であったこと

派遣期間を終えて帰国後は?

派遣前の勤務に戻ります。国立病院非常勤外科医として勤務しながら、実家(開業医)でも高齢の父を助けながらの勤務を並行して行います。また、長崎大学熱帯医学研究所や長崎大学国際戦略本部が行っているコースやこれから行うコース(国際公衆衛生)などにも、MSFの派遣経験を生かして関わっていく予定です。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

同じMSFという組織の中であっても、派遣内容が変わるたびに出会う人びとや現地の状況が変わるため、毎回が異なる体験であり、新たな発見があります。そして、自分は何かを得て、少し成長していくように思います。後悔や失望がないとは言えませんが、得るものは何倍も大きいと思います。

それぞれが派遣で得たものは、その後、さらに広く社会に還元されると私は信じているので、ぜひ、より多くの方にMSFの派遣に参加していただきたいと願っています。

MSF派遣履歴

派遣期間
2001年4月~2001年8月
派遣国・プログラム地域
スリランカ・バティカロア
ポジション
外科医
派遣期間
2003年2月~2003年4月
派遣国・プログラム地域
ヨルダン・アンマン
ポジション
外科医
派遣期間
2005年6月~2005年6月
派遣国・プログラム地域
インドネシア・シグリ
ポジション
外科医
派遣期間
2005年9月~2005年9月
派遣国・プログラム地域
インドネシア・シグリ
ポジション
外科医
派遣期間
2005年11月~2005年11月
派遣国・プログラム地域
リベリア・モンロビア
ポジション
外科医
派遣期間
2007年7月~2007年8月
派遣国・プログラム地域
スリランカ・バティカロア
ポジション
外科医