海外派遣スタッフの声

緊急援助でプロジェクトの動きを実感:滝上 隆一

ポジション
外科医
派遣国
イラク
活動地域
モスル
派遣期間
2017年2月~2017年3月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

イラクのモスルでの厳しい状況は、日本でもテレビやネットのニュースなどで触れる機会は多かったと思います。その中で、MSFで緊急援助活動が発動されました。

自分は島の病院で働いており、地方の医療不足が問われている中、医師1人が留守になることは同僚、島民に多くの負担をかけることになるとは思いましたが、モスルの状況を知り、今行かなくては、と思い参加しました。

派遣活動のオファーが来て、病院と交渉し、有給休暇を使うことで可能となりました。実際の派遣まで2週間程度であったと思います。病院も快く送り出してくれました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

決まったのが急だったので、外来の割り振りや、予定手術の調整など、日本での仕事調整がメインでした。その中で決まっていた手術や検査を派遣ぎりぎりまで丁寧にこなしていました。

前回のイエメンでの活動参加で、外科医として日々の仕事をしっかりこなすことが、そのまま現地で役に立つと分かっていたからです。

語学に関しては、相変わらずニュースやネットなどで英語に触れる機会を日々作っていました。前回の派遣から帰国後、自宅にケーブルテレビを引き、海外のニュース番組などにアクセスできる環境を作りました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

前回の派遣で、銃創や爆傷など、日本で触れる機会がない症例に毎日取り組む生活をしていたので、今回は心の準備ができていたことが大きかったです。MSFの仕事の流れ、MSFの外科医に求められることをある程度予測ができたのも、気持ちに少し余裕が生まれました。

手術に関しては、前回は現地スタッフ、外国人派遣スタッフともに他に外科医がおらず、すべて自分1人でしなければならなかったことが、今回は現地外科医が4人いたので、仕事がシェアできて助かりました。

前回が身体的、精神的にハードだったので、そこを乗り越えられた自信が、今回の派遣で困難にぶつかっても何とかなるだろうという、前向きな気持ちにつながったと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

モスルの市内に残る破壊された建物や銃弾のあと モスルの市内に残る破壊された建物や銃弾のあと

2016年から、過激派組織「イスラム国」が占領したモスル市の奪還作戦がイラク軍により始まり、2017年の初めに市の東半分が奪還されました。西半分の奪還作戦が始まるにあたり、MSFはモスル市東側に入り、手術ができる医療拠点を確立し、西側からあふれてくるであろうけが人や避難民、また東側の病人の対応をする活動を始めました。

外国人派遣スタッフは、フィールド・コーディネーター、医療チームリーダー、救急医、内科医、外科医、麻酔科医、救急看護師、手術室看護師、病棟看護師、助産師、薬剤師、ロジスティシャン、アドミニストレーターなど、短い人では2週間ぐらいで交代するポジションもありました。

さらに緊急プロジェクトということで、例えば緊急麻酔科医、緊急ロジスティシャン、緊急アドミニストレーターなど、同じポジションに複数の人が従事していました。また、避難民の心のケアも必要ということで、精神科医もいました。

自分は手術室を任され、外科医4人、手術室看護師10人、麻酔科医4人、麻酔技術師6人、清掃員4人のチームを編成しました。外国人派遣スタッフの助産師が来るまでは、助産室の管理、お産の管理も担当していました。

自分が現地に入ったときは、このプロジェクトが立ち上がって約1ヵ月が過ぎていたので、施設はほぼ稼働できる状態でした。手術室の最後の調整、具体的には手術器具の調達、確認、配置、人工呼吸器のテスト、術後の回復室の設立、患者さんの搬入から病棟への移動までのシミュレーションなど、手術室の始動に備えました。

化学兵器への対策をミーティングで話し合う 化学兵器への対策をミーティングで話し合う

また個々にミーティングを開き、サージカル・ミーティングではどのような症例を受け入れて、どこまでの処置をするのか、例えばどのような症例ではダメージコントロール手術にする、余裕のある手術・マイナーな手術・予定でできる手術は、市外の病院に紹介するなどを取り決め、手術のクライテリアを確立したり、ケア・ミーティングでは病棟の患者さんの管理の仕方、バイタル表の記入の仕方、カルテの記入の仕方、回診の仕方を確認するなど、関係する部門を集めて何回も開きました。

現地に入って約1週間で手術室を稼動させ、それからは毎日手術の日々でした。帝王切開も含め、日中は5~8件程度の手術をしていました。手術テーブルは1つだったので、常に手術をしている状態でした。

現地の外科医に執刀してもらい、自分は基本的には前立の立場で手術に入りましたが、状況が厳しい場合は自ら執刀もしていました。

イスラム国がガス兵器を使用しているとの情報もあったので、化学兵器に対する対策ミーティングも行われました。それを受けて、施設にもシャワー室が増設され始めていました。

また、一度に多数の負傷者が運び込まれる場合の対応策について、外科医の立場からの草案や、実際のトレーニングにも参加しました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

それから各自、防護ヘルメットと防護服、ガスマスクなどを準備し車に乗り込み、モスル市内へ入りました。数ヵ所、クルド軍やイラク軍の検問があり、時には厳しく身分証明もさせられました。

夕方まで施設で手術にあたり、また車に乗り市外へ出て帰宅(セキュリティの問題で、24時間モスル市内に滞在することは許されません)、その後またミーティングがある日もあれりましたが、事務仕事を済ませ、夕飯を取り就寝する、という生活でした。

宿泊施設は安全な場所であったので、外を散歩したり、オフィスの屋上に上がってコーヒーを飲んだりして過ごしました。あまり調子が良くないですが、ネットがつながりましたので、同僚にメールをしたりしていました。

出国前に病院の同僚からもらった、おにぎりの素でおにぎりを作ったり、麻酔科の先生が持たせてくれたお手製味噌ピーナッツをサンドイッチにして皆にふるまったりしていました。おにぎりは好評、味噌ピーナッツはイラク人には「?」といった味だったようです。

現地での住居環境について教えてください。

4~5人が泊まれる家が数軒あり、それぞれ個室が与えられ、プライベートは守られていました。共有のダイニングがあり、そこで食事をするというものでした。シャワーは共同で、温水が出ますが、たまに水しか出なく、自分にはこたえました(2月、3月のイラクは朝夜は10℃以下になります)。ヨーロッパ出身のスタッフは余裕の表情でしたが、自分は夜間、ジャケットを着ながら寝ていました。

ハウスキーパーさんがいて、掃除、洗濯はしてくれます。イエメンの派遣時もそうでしたが、今の日本の自分の部屋よりも毎日数倍キレイな状態でした。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

モスル西側の戦闘地域であがる煙 モスル西側の戦闘地域であがる煙

モスル市内の中央には川幅が数十メートルあるチグリス川が流れています。ここに5つ橋が架かっていましたが、先の東側奪還作戦中に、すべて破壊されました。

今回、モスル市の東側に入り、西東をつなぐ連絡網がないことが活動に大きな影響を与えました。患者さんや避難民は市を大きく迂回(うかい)してこなければならず、なかなかいい状態で病院にたどり着ける人たちがいないことに、憤りを感じました。

わずか1km弱の対岸で今まさに戦闘が行われていて(市内に入るときに、黒煙が上がっているのを何度か目撃しました)、毎日数百、数千のけが人、避難民が出ているのに、自分は、自分たちはいったいどれくらいのことができているのだろうと、毎日自問自答していました。チーム内でもこの議論は出て、セキュリティを確保しながら徐々に西側に入る手段を模索しようとしていました。

自分は後ろ髪を強く引かれながらも、その途中で派遣期間が終わり帰国することになりました。その後、MSFも西に拠点を移したとのことで、より早い段階でけが人や避難民に接触できるようになったのではないかと思います。

どこにプロジェクトを立ち上げるかは、セキュリティ状況とのバランスもあり、非常に難しい問題であることを実感しました。どちらに偏りすぎてもいけないし、一方でMSFの理念を実現させるにはある程度ギリギリの選択も必要なのではないか、とも思います。

最後の日、通訳さんからいただいた帽子をかぶって(筆者左端) 最後の日、通訳さんからいただいた帽子をかぶって(筆者左端)

今回のプロジェクトでは施設の立ち上げから関わることができ、どのようにプロジェクトが動いていくのかを多少なりとも実感できました。今後の派遣の機会に他のポジションの仕事への理解が深まり、よりコミュニケーションがとり易くなるのではないかと思いました。

現地スタッフは、特に外科医は我が強く、自分よりキャリアもあり、当初はなかなかチームとして統一した治療方針を遂行することが難しかったです。MSFのプロトコルを説明し、何度も何度も話し合いをし、自ら実践することで、彼ら、彼女らから信頼を得て、尊重し合える仲間として、家族として、治療に取り組めるようになりました。

2年以上も占領下にある市民の生活は過酷なもので、多くの人はあまり語りません。ぽつり、ぽつりと話をしていく中で、改めて自由と平和の尊さを実感しました。

自分についてくれた通訳の女の子は、「この2年間は自由に外出することもできず、家にこもるような生活が続きました。そこで1つ、上手になったことがあります。それは手芸です。あなたに帽子を作ります」と言って、手術帽子を数日で作り上げてくれました。今も大切に使っています。

今後の展望は?

また参加したいと思っています。自分に何ができるのか、ここ日本でも同じことですが、日々問いながら社会への関わり方を探していきます。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

前回と同様のアドバイスですが、まずはチャレンジしてみることだと思います。その後でよく考えてみればいいのではないかと思います。

MSF派遣履歴

派遣期間
2015年4月~2016年9月
派遣国
イエメン
活動地域
イッブ、キロ
ポジション
外科医