海外派遣スタッフの声

再登録して2度目の活動参加へ:小杉 郁子

ポジション
外科医
派遣国
イエメン
活動地域
アデン
派遣期間
2016年7月~2016年8月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

そもそものきっかけは、初回派遣のナイジェリアの記事を参照してください。

2008年2月の初参加のあと、市中病院に勤務しながら「2年に1度くらいの間隔で参加できたら」と思っていましたが、オファーがあっても休暇を取ることができず8年が経ってしまいました。

最近特に「自分の体力があるうち、家族が元気なうちに参加したい」と思うようになり、2015年末に再登録(5年間活動に参加していない場合は、もう一度書類審査、英語面接などが必要)しました。2016年3月末にオファーがきたので、職場に相談して参加することに決めました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

5月に2回目の派遣前研修に参加しました(前回からだいぶ間があいていたため復習の意味で)。

地方在住で近隣各県にトラベルクリニックがなく、腸チフスなどの特殊な予防接種を受けるために日帰りで大阪に行ったりもしました。通常は在庫として置いていないマラリア予防薬も職場に相談して取り寄せてもらいました。

英会話はかなり以前から週に2回はレッスンを受け、一定のレベルを維持していました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

初回、ナイジェリアの活動で、診察と限られた検査結果だけで治療適応を判断しなくてはいけないとわかっていたので、今回は迷うことなく動くことができました。8年前と違って病院に腹部超音波機器があり、腹部外傷が疑われると救急外来(ER)担当医がすぐに迅速超音波検査(FAST:Focused Assessment with Sonography for Trauma)を行い腹腔内出血の有無を確認してくれるので、第六感の出番はさほどなく、とても助かりました。

自分の専門分野は血管外科なので、腹部消化器の手術に関しては逆に現地医師に教えてもらうくらいの気持ちでいた分、協調的に仕事ができたと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

爆発外傷の患者に緊急手術を行う筆者(写真左) 爆発外傷の患者に緊急手術を行う筆者(写真左)

紛争の続くイエメンの南部、アデンでの緊急外科プロジェクトです。私の活動期間はイスラム教の断食月であるラマダンと、ラマダン終了のお祭りであるイードが終わった直後で少し状況が安定していましたが、それでも毎日10~20人の新患が来院し、入院治療を要する患者はその半分くらいでした。

8割が銃創(おもにライフル弾)、残りの多くは地雷や仕掛爆弾による爆発創でした。紛争以外だと花火による裂創、交通事故などでした。

現地外科医は5人いて、しっかりした勤務シフトが組まれていたので、あえてシフトには入らず、手術の助手をしたり、手術数が多い時は症例をシェアして並列で手術をしたりしました。

また前々任者である日本人外科医から動脈損傷例が多いと聞いていた通りで、動脈損傷を疑う症例だとERに呼ばれて診察に走っていくということが度々ありました。うち浅大腿動脈(せんだいたいどうみゃく)血行再建3例、腓骨動脈(ひこつどうみゃく)血行再建1例、後脛骨動脈(こうけいこつどうみゃく)血行再建1例に成功しました。

特に浅大腿動脈を修復できないとゆくゆくは下肢切断に至ることもあるため、成功すると喜ばれました。しかし重度の下腿開放骨折による動脈損傷例では、さすがに骨とともに無残にちぎれ飛んでいて結紮(けっさつ)止血のみになったことも数例ありました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

ビーチでひとときのリラックス ビーチでひとときのリラックス

イスラム教のお休みである金曜日以外は、朝8時から前日の受診・病棟・手術の状況報告のミーティングがあり、引き続いて総回診(集中治療室<ICU>から一般病棟まで)をします。総回診は9時45分頃に終了、その後手術室に入って手術をします。その日の手術担当医師は8時半頃から手術を始めているので、もし人手が必要な展開になった時には総回診から抜け出して手術を手伝います。

お昼は適宜手術の合間をみて食べ、午後も手術がある場合は2時か3時頃から再開します。毎週水曜の4時から症例検討会や勉強会があり、なるべく参加するようにしました。夕食も仕事のめどがつき次第適当な時間に食べます。

金曜日は休日ですが、前日からずれ込んだ予定手術が5~8件ほど入っていて、当番医師と手術をした後に食事、休憩をとります。あいた時間にほかのスタッフと患者の状態や治療方針などを話し合ったりして、休みのようで実際は休みではなかったです。まったく手術のない日はなく、勤務外の時間は夜間のみでしたが、開腹手術の急患が来ると呼ばれるのでときどき出動していました。

たった1度、マネジャーの計らいで、紛争で今は破壊されてしまったホテルが所有していたというプライベート・ビーチに外出でき、外の空気と日光を楽しみましたが、イスラム教の習慣に沿って往復の道中はアバヤとヒジャブを着用して出かけました。

現地での住居環境についておしえてください。

ある日の昼食では、鍋いっぱいの焼きガニが ある日の昼食では、鍋いっぱいの焼きガニが

病院の2階が宿舎になっていて、トイレとシャワー付きの個室をもらいました。ベッド、タンス、机、エアコンもあり快適でした。運良くモスクの反対側の部屋だったのでお祈りの呼びかけはそれほど大音量ではありませんでした。

食事は専属のコックが昼食と夕食に工夫を凝らした美味しいものを作ってくれ、焼きガニが出たときはものすごくうれしかったです。食事はリビングルームで食べていましたが常にハエとの戦いでした。ハエ取りリボンを自分の部屋とリビングに設置したところ、自分の部屋では100%の効果がありましたが、リビングではその多さに負けていました。

またリビングにはテレビがあり8月5日から開催されたリオデジャネイロ・オリンピックを見ることができ、いい気晴らしになりました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

帰国日の朝、現地スタッフとともに 帰国日の朝、現地スタッフとともに

5人の外科医全員がそれぞれ個性的で自分の考えを曲げないので、合わせるのはちょっと大変なときもありました。アバウトで言葉足らずな医師もいて、手術の内容や患者さんへの説明も「ハラス(khalas、おしまい、終わりという意味)!」「タマム(tam'mam、大丈夫、完璧という意味)!」の連発で「本当に大丈夫?」と思ったりしました(実際は大丈夫)。

納得がいかないことがあると、手術中であろうが総回診中であろうが議論大会になってしまうのですが、そのあと根に持っていることはないようで、べたべたしない人間関係を保っていることに感心しました。

イスラム教徒は1日5回(早朝4時頃、お昼、午後2回、夜8時頃)礼拝を行いますが、さすがに手術中や手の離せない仕事中には行いません。終わってから休憩の合間に礼拝している姿はとても美しく、邪魔をしないように気を遣いました。

アラビア語の基本のあいさつやよく聞く単語は耳から覚えるようにしました。中でも「インシャーラ(In sh'allah、直訳は<アッラーがそれを望み給うならば>。「多分」「おそらく」「できたら」「未来はわからないけど」などの意味)」は好きな言葉です。帰国する際も「寂しくなるね、インシャーラ、また来てね」と言って見送られました。イエメンの人たちの優しく温かい人柄が心に染みました。

帰りは飛行機でジブチまで 帰りは飛行機でジブチまで

アデン空港は損壊と治安面から閉鎖されているため、アフリカのジブチから船で入国するしかないと聞いていました。船は大きめの漁船クラスで、往路は夜8時半頃に出航し14時間かかりました。強い酔い止めを内服したので船酔いはしませんでしたが、それなりに揺れたのでちょっと怖かったです。

復路も覚悟していましたが、幸運なことに前日夜にジブチからアデンまでのMSF専用機が飛ぶと決定したため、入れ替えスタッフを乗せてきた戻りのフライトでジブチに戻りました。フライト時間は約40分で、船での移動とは雲泥の差でした。

今後の展望は?

しばらくは現在の勤務病院で通常勤務をするつもりです。次の活動参加の時期をいつにするかはまだ決めていませんが、それまでに少しでも英語とフランス語を勉強しようと思っています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

現場で学ぶこと、感じることはたくさんあります。スーパードクターである必要はまったくありませんが、ちょっとの体力と鈍感力は必要です。挑戦したいと思ったときこそ、そのとき。思い切って飛び込んでください。

MSF派遣履歴

派遣期間
2008年2月~2008年3月
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ポートハーコート
ポジション
外科医