海外派遣スタッフの声

空爆が続くなかで現地外科医と協働:吉野 美幸

ポジション
外科医
派遣国
パレスチナ
活動地域
ガザ
派遣期間
2014年7月~2014年8月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回、パキスタンの活動から帰国後、約1ヵ月の休暇を取り、次は中央アフリカ共和国の活動に参加予定でした。

ところが、派遣予定日の約1週間前に、パレスチナのガザ地区で戦争による負傷者が激増しているため外科チームを派遣したいという依頼を受けました。戦争の真っ最中でかなり危険な状況であることは容易に想像できたため、悩みましたが最終的には引き受けることにしました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

当初はアフリカでの活動の予定だったので、フランス語を少し勉強し始めたところでしたが、急に行き先が変更となったため、現地の情報を集めたり荷物をつめかえたりバタバタしているうちに出発となってしまいました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

戦時下での緊急プログラムは初めてだったので、これまでの経験がどれだけ生かせるか少し不安でしたが、チームと協力したり現地スタッフの理解を得たりすることなど、過去の経験を応用して何とか対応できたと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

シファ病院で対応にあたる外科チーム シファ病院で対応にあたる外科チーム

MSFはパレスチナ・ガザ地区で約10年前より術後患者に対するリハビリテーションや包帯交換などを行う診療所を運営していました。

2014年7月にハマスとイスラエル軍との戦争が激しくなったため、緊急プログラムとしてガザ地区北部にあるシファ病院と、南部のハン・ユニス市にあるナセル病院にそれぞれ外科チームを派遣することになりました。

私はナセル病院で勤務する予定でしたが、空爆による危険が大きく、チームの移動も安全が確保されないと不可能であったため、結局1ヵ月のうち3週間はシファ病院で勤務をしました。

シファ病院は全体で約600床の大きな病院で、腹部一般外科だけで30人以上の外科医が勤務していました。そんな大きな病院でも、近くに空爆があると1~2時間の間に数百人の患者が一度に運ばれてきて、ER(救急救命室)も手術室もあっという間に埋め尽くされている状況でした。

1つの手術室で2人の患者の手術を同時に行い、それでも足りずに手術室の通路でも手術が行われていました。ベッドが足りずに、廊下に患者を寝かせないといけないこともしばしばありました。

現地スタッフと協力して負傷者の治療にあたる 現地スタッフと協力して
負傷者の治療にあたる

最も忙しかった日は、一晩で50人以上の手術を行いました。その患者のほとんどが一般市民であり、半分以上が5歳にも満たない小さな子どもたちでした。近くの公園で遊んでいた、何の罪もない子どもたちが何人も犠牲になっているのを見るのは、心が痛みました。

数週間後に一時停戦となり、南部のナセル病院にも外科チームを派遣することになりました。こちらは300床程度の病院で、外科医たちと仲良くなるのも時間がかからず、すぐに良い協力体制の中で働くことができました。

私の派遣中、海外派遣スタッフは外科医2人、麻酔科医3~4人、医療チームリーダー1人、ER(救急専門医)1人、ICU看護師1人、ロジスティシャン1人、プログラム責任者1人でした。緊急プログラムだったため、毎日のようにメンバーが入れ替わっていました。

症例としては、ほとんどが空爆による負傷者であり、四肢を失ったり胸腹部にひどい損傷を負ったりした多発外傷患者に対し、現地スタッフと協力して治療にあたりました。現地の外科医たちは出血コントロールが苦手な様子だったので、止血やダメージコントロールなどの外科処置について技術や知識をシェアしました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

病院内にマットレスを敷いて泊まり込みすることも 病院内にマットレスを敷いて泊まり込みすることも

戦争の状況が日々変化するため、予定がめまぐるしく変わり、それに柔軟に対応していくことが求められました。MSFは主に夜間帯をカバーしていたため、夕方6時頃から朝9時頃まで病院に滞在して緊急手術やERでの対応を行いました。

勤務外の時間も、1分後には緊急手術のために病院に行くかもしれない状況だったので、ひたすら体を休めるように努力しました。

現地での住居環境についておしえてください。

持参したロールピアノ 持参したロールピアノ

共同の宿舎に約10人程度の海外派遣スタッフが生活していました。もともとは4人で使用していた宿舎だったので、部屋を2~3人で一緒に使い、足りないとオフィスや廊下にマットレスを敷いて寝ました。

シャワーとトイレは共用でした。病院に泊まり込む時は熱傷治療の回復室を使用し、マットレスを敷いて雑魚寝をしていました。

ひっきりなしに続く空爆の音で眠れなくなるスタッフが多く、私も耳栓をして寝ていても飛び起きることがありました。また宿舎の近くで空爆があると、安全が確認されるまでは1階の部屋に集合せねばならず、気持ちが休まる日は正直言って一瞬たりともありませんでした。

今回は荷物を最小限にするために、毎回持参する三線は持っていかず、代わりにロールピアノ(くるくる巻いて小さく収納できるキーボートのような物)を持参しました。まだ練習を始めたばかりでしたが、それでも皆よろこんでくれました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

<良かったこと>
無事に帰って来られたこと。(こんなにも平和のありがたみを痛感したのは初めてでした!)
緊急プログラムで苦労も多かったが、また新たな経験が増えたこと。

<苦労したこと>
毎日状況が変わり、思うように仕事ができないのでモチベーションを保つのに苦労しました。

これまでパキスタンやアフガニスタンでも活動に参加してきたので、イスラム圏の男性たちと仕事をするのは慣れたつもりでしたが、ガザ地区では家の外で働いている女性はめったにおらず、まして女性外科医なんて見たこともないとのことで、(しかも日本人はとても若く見られるので、私はいつも子どもだと思われている。。。)理解を得て一緒に仕事をさせてもらえるまでに時間がかかりました。

今後の展望は?

半年間は日本の病院で消化器外科医として勤務し、また2015年4月頃からMSFで働く予定です。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

日本に帰ってくると、普段当たり前だと思っていたことが、実はとても恵まれた環境で過ごしていたことに気づきます。海外派遣に出かける前に、日本でしかできない事をめいっぱい楽しんでおきましょう。

MSF派遣履歴

派遣期間
2014年4月~2014年6月
派遣国
パキスタン
プログラム地域
ハングー
ポジション
外科医
派遣期間
2013年6月~2013年10月
派遣国
アフガニスタン
プログラム地域
クンドゥーズ
ポジション
外科医
派遣期間
2013年4月~2013年6月
派遣国
パキスタン
プログラム地域
ハングー
ポジション
外科医
派遣期間
2012年8月~2012年9月
派遣国
パキスタン
プログラム地域
ハングー
ポジション
外科医
派遣期間
2012年6月~2012年7月
派遣国
パキスタン
プログラム地域
ハングー
ポジション
外科医
派遣期間
2012年4月~2012年5月
派遣国
ナイジェリア
プログラム地域
ポートハーコート
ポジション
外科医