海外派遣スタッフの声

ボートが唯一の交通手段、医療不足の地域病院を援助:吉田 照美

ポジション
正看護師
派遣国
南スーダン
活動地域
オールド・ファンガク
派遣期間
2015年8月~2015年12月

MSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回のシエラレオネの派遣活動の後、熱帯医学の研修を修了したので、学んだことを生かして次の活動に臨みたいと、研修中から考えていました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

離島の病院でアルバイトをしました。久しぶりに日本の病院で働いて、自己研さんに励むことができました。その後、長崎大学で熱帯医学の研修に臨みました。研修では、フィールドで役立つ熱帯医学について学習できたので、とても充実していました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

今回は6回目の派遣で初めての医療チームをまとめる役割でした。これまでは看護チームのマネジャーとしての役割を担っていましたので、今回、医療チーム全体をマネジメントすることは、わたしにとって大きなチャレンジでした。

しかし、チームの構成やメンバーの役割について、プロジェクトの進行度の理解など、これまでの経験からすぐに把握することができたので、わからないことや不明確な点はチームメンバーに確認して、物事を進めていくことができました。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

村でのワクチン・キャンペーンを実施する筆者 村でのワクチン・キャンペーンを実施する筆者

オールド・ファンガクは、湿地や川に囲まれた、静かで穏やかで、しかし「へき地」といえる地域でした。長年にわたる紛争のため、医療や物資、食料などが不足していたところへ2013年12月から悪化した南スーダンの内戦により、追い打ちをかけられたような状況に陥っていました。

私が派遣された地域には、元来、現地保健省により運営されていた保健センターがありましたが、ある医療NGOにより支援が開始され、病院として運営されていました。そこは地域で唯一の医療施設であり、医療施設の不足に加えて内戦の悪化により戦争傷病者が増加したため、2014年11月、MSFが援助に入りました。私が派遣された2015年8月の時点ですでに戦争傷病者の受け入れはほとんどない状態でしたので、病院と近隣地域の保健センターの支援をメインに活動していました。

私は看護師長として、この医療チームのリーダーを担いました。病院の医師、看護師、看護チーム、助産師、産科病棟のリーダーとして全体を総括し、またデータの管理とレポートの作成、外来と薬局の監督、移送患者の移送手段の手配、近隣地域の保健センター活動のマネジメント、ワクチン・キャンペーンの実施とレポートの作成、現地スタッフの給与計算(チームに給料計算を担当してくれるアドミニストレーターがいなかったので!)、そしてプロジェクト・コーディネーターやロジスティシャンとの連携と協働も、医療チームのリーダーとしてこれまでよりも密に従事しました。また、もともと支援していたNGOと協調する役割も任されていました。

病院の看護チームは、3人のクリニカル・オフィサー(准医師)、27人の看護師・看護助手、6人の清掃係でした。ロジスティック・チームはロジスティック・マネジャーが総括していました。日雇いスタッフもいたのではっきりした定数は不明ですが、かなりの大所帯だったと思います。

またアウトリーチ活動として、ボートで2時間程度をかけて近隣の保健センターを訪問し、急性期の患者を移送するチームの責任者も兼任していました。保健センターで急きょワクチン・キャンペーンを実施するときには、私もメンバーの1人として保健センターに赴き、キャンペーンを展開しました。

病院スタッフとともに 病院スタッフとともに

さらに国内の近隣の紛争地から避難してくる国内避難民に対してのワクチン・キャンペーン実施も担当しました。彼らについての事前の情報を得ることはほとんどなく、到着したというわずかな情報を元にその人数や動線を把握し、どのようにキャンペーンを展開的するかを計画するのは困難でした。しかし、時間がないなかでも現地スタッフと協働して、啓蒙活動や予防接種を実施することができました。

病院に来る患者や地域の保健センタ—から搬送されてくるのは、マラリア、肺炎、ぜんそく、急性下痢症、栄養失調に加えて、結核HIV/エイズ、そしてカラアザール(内臓リーシュマニア症)などの症例が多くみられました。

南スーダンの人びとは、慢性的な食糧不足に苦しんでいます。特に雨期では作物の収穫ができないため、1日1食、食べられれば良い方です。また清潔な水を手に入れるのが難しいことも多く、まったく浄化されることなく生活用水がそのまま排出される川の水をそのまま飲んだり、水浴びを川で済ませたりします。

食料不足や恵まれない衛生環境で、当然多くの感染症に罹患します。近隣に医療施設がない、もしくはあっても機能していないので、数日かけて徒歩か、抱きかかえられてやっと病院にたどり着いた、という患者も少なくありませんでした。

また、突発的な事故による銃創患者や急性腹膜炎患者が運び込まれることがありました。できる限りの治療を施して、ほかの団体や別のMSFの施設に搬送するかをチームで話し合い、最終的なやり取りは私が担当していました。一刻を争うことがほとんどのため、インターネットや衛星電話の電波が不良な時は緊張を強いられましたが、チームワークにより乗り越えることができました。

  • こちらから出向いて、援助を必要としている人びとを積極的に見つけ出し、医療を提供すること

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

朝8時に医療チームでミーティングを実施し、その後メールの確認、病院の回診、データの管理やレポートの作成の合間に、救急患者や移送の対応など、緊急事態にも対応が必要でした。気が付いたら夜8時になっていた、という感じの日がほとんどでした。

日曜日は休みにしようとチームメンバーで話し合っていても、緊急事態の発生やレポートの仕上げ、現地スタッフの対応などでゆっくり休めませんでした。今回の活動期間は4ヵ月だったので長期休暇はなかったのですが、活動地がかなりのへき地だったので、6週間ごとに首都・ジュバで3日間の休暇をもらえました。これはとても有意義で、活動地ではなかなかつながらないインターネットをすることができて、快適な住環境だったのでかなりリラックスできました。

今回の派遣中、マラリアなどの病気にかかってしまい、業務に支障をきたしてしまいました。勤務中に突然具合が悪くなり、首都に医療避難をして休養の時間を取らせてもらいました。回復にも時間を要したので、自分でも思うように体が動かずに、とてももどかしく、チームには大きく迷惑をかけていたと思います。それでも多くの配慮を施してくれたチームメイトにとても感謝しています。

現地での住居環境についておしえてください。

電気・水道・ガスは地域に一切なく、MSFの持ち込んだ発電機で時間帯により電気がありました。火を起こすのは炭です。1人当たり一斗缶1つ未満の水で水浴びを済ませました。

ハエや蚊、トノサマバッタ、ネズミなど、その他多くの虫や小動物も多く、けして衛生状況の良い状態ではありませんでした。トゥクルと呼ばれる泥で固めた小さな建物をオフィスやダイニング、個人の部屋として使っていましたが、雨期の大雨のためオフィスとダイニングが崩れてしまったので、テントを代替えとして使っていました。

テントの中は、日中の最高気温が38度くらいになるため、座っているだけで汗が噴き出るような、非常に暑い環境でした。それでもトゥクルは個室だったので、プライバシーを保つことができました。

また雨期の間はほとんど毎日雨が降り、強度な粘土質の地面に水がたまって長靴をはいた足でも歩くのが困難でした。雨期の衛生度合いはさらに低く、私たちは長靴を履くことができていましたが、現地の人たちは泥沼の中を裸足で歩いていることがほとんどで、その場面に遭遇する度に複雑な心境に陥っていました。

一方、電気がない代わりに星が多く、とても近くに見えて、まさに満天の星を楽しみました。蛍も多く飛んでいて、星と蛍のコラボレーションも堪能しました。チームのみんなでしばし見とれているうちに蚊に刺され、慌ててトゥクルに逃げ込む、ということも楽しかったです。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

ボートは地元の人びとにとっての唯一の交通手段 ボートは地元の人びとにとっての
唯一の交通手段

今回の派遣では、南スーダンが内戦の起きている国だという現実に直結した出来事に多く遭遇しました。
医療面で十分に機能していない上に交通手段が限られているので、地域の保健センターは人材と薬品と医療用品が極端に不足していました。最寄りの保健センターで経口補水液をもらうことができていたら、患者は下痢症のために数日かけて病院に来る必要がなかったかもしれません。

またそれ以前に、川の水を沸騰させて飲めていたら、下痢症そのものにならなかったかもしれません。水を沸騰させようにも、炭が高価で購入することができないし、そもそも炭が不足しているのです。

またアウトリーチ活動で村に赴いた時には、5歳くらいで一切予防接種を受けたことがないという子どもたちがいました。人びとはほとんど医療の恩恵を受けることができていません。一方で、自分の子どもたち全員に一通りの予防接種を受けさせたという母親にも出会いました。彼女の誇らしい笑顔が印象的でした。医療者がワクチンという最低限の感染予防策を提供することができれば、人びとはその恩恵を受けることができるのです。

ある看護スタッフは、準備がすべて整っていたにもかかわらず、内戦のために進学できませんでした。また、首都・ジュバでは目の前で親戚を殺害された経験を持ち、いまだにその傷が癒えないと話していました。

さらにあるスタッフは、前線の銃撃戦が起こっている地域の出身でしたが、親戚から参戦のために帰ってきてほしいと要請があり、彼らは病院を辞めて、戦地である故郷へ赴きました。若い男性スタッフは、いつも徴兵される可能性と隣り合わせで生活していました。

隣の郡で銃撃戦があったときには、手作りのボートで、命がけで2日かけて川を下ってきた国内避難民たちがいました。とりあえず最低限の身の回りの物をつかんでやってきた状況でした。彼らは親戚を頼って最終目的地にたどり着くために、飲食もままならず、また数日かけて炎天下を歩く必要がありました。

こういった中で、医療チームのリーダーとして多くのことに配慮し、戦時下であるという状況に対し視野を広げてほかのスタッフと協働することの難しさを経験しました。

MSFが必要だと思われるすべての医療活動を実施できればそれは理想的かもしれませんが、限られた人材と設備の中で、また自分たちが安全で快適ではない環境にいることも含めて、何を優先順位にするべきか、どうしたら効率が良くなるのか、患者への直接的なケアだけでなく、常にその場で考えて行動することの重要さも身にしみました。

直面している現実と実際にできることのギャップがあまりに大きく、自分の無力さに唇をかみしめること経験もしました。同時に、まさに今、生死の分かれ目に立たされている人びとを目の前に、援助をする側として何ができるか、何をすべきか、そのやりがいを深く感じることもありました。

今後の展望は?

人間としても看護師としても、国際的な医療支援に関わるものとして成長したいと思っています。英語や新たな資格取得などについて、模索中です。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

厳しい現実に直面する一方で、喜びも多くある仕事です。そして、世界中の仲間と、かけがえのない経験と時間を共有できる貴重な現場です。

MSF派遣履歴

派遣期間
2014年6月~8月、2014年9月~11月
派遣国
シエラレオネ
活動地域
カイラフン、ボー
ポジション
看護師
派遣期間
2014年4月~2014年6月、2014年8月
派遣国
ウクライナ
活動地域
ドネツク
ポジション
看護師
派遣期間
2013年4月~2013年10月
派遣国
パキスタン
活動地域
ペシャワール
ポジション
看護師
派遣期間
2012年6月~2013年1月
派遣国
南スーダン
活動地域
ヤンビオ
ポジション
看護師