海外派遣スタッフの声

台風が直撃したフィリピンで緊急援助:松本 明子

ポジション
副医療コーディネーター
派遣国
フィリピン
活動地域
レイテ島
派遣期間
2013年11月~2014年5月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

MSFは緊急援助への対応力が強く、必要物資の手配や病院設置を担当するロジスティック・チームがいるため、医療に専念できることから、参加を続けています。

今回は、11月8日にフィリピンを直撃した台風30号の緊急援助のため、10日に急きょMSFから連絡があり、翌日には現地入りをしたので、タイミングを考える暇はありませんでした。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

今回の派遣の前に、赤十字国際委員会(ICRC)が主催した国際人道法の講義コースに1週間参加しました。また、フランス語の習得を目指しているので、時々、レッスンをうけていました。

2013年10月に、フィリピンでプログラムを開設する前の調査活動の話がMSFからきたので、3週間ほどフィリピンでMSFの仕事をしていました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

MSFに参加する前、いろいろなNGOで働いた経験がありました。そこでは看護師としての仕事だけでなく、あらゆる役割を担わなくてはいけなかったので、MSFの活動でロジスティックや総務、スタッフの採用にかかわる人事の仕事をしないといけない時に、そういった経験が役に立ちました。

また、MSFの過去の派遣経験は、柔軟性という点で役に立ちました。プログラムを開設し運営するには、柔軟性が一番大切なので。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

台風30号の被害が最も大きかったレイテ島のタクロバン市 台風30号の被害が最も大きかったレイテ島のタクロバン市

台風被害の直後から現地に入り、初めの10日間は物資調達のサポートをしましたが、この時点ですでに、移動診療を含む医療活動も開始しました。半壊した市役所を使用して外来患者の対応をしたり、患者の搬送なども行っていました。この後、テント病院の設置のため病院マネジャーを担い、その後、緊急援助のプログラム責任者として、プログラムの立ち上げと運営を担いました。

緊急援助で状況がどんどん変わるなか、この緊急援助プログラムが終了し、その後は副医療コーディネーターとして、もうひとつのプログラムを閉めることと、新しいプログラムの立ち上げ準備を行いました。

現地入りしている海外派遣スタッフは、緊急援助のため2週間から3週間ごとに変わるため、どれほどのスタッフがどんな役割で仕事をしていたか、はっきり覚えていませんが、11月の時点で、レイテ島以外のプログラムを含めたMSF全体で190人ほどの海外派遣スタッフが活動していました。

台風から1ヵ月半後には現状が落ち着いてきて、このプログラムでは海外派遣スタッフは6人、現地スタッフは98人で活動を行いました。台風被害の直後は、けが人や呼吸器感染症が多く、その後は慢性疾患患者の治療と交通事故者の手当が多かったです。

交通インフラも破壊されてしまった被災地 交通インフラも破壊されてしまった被災地

フィリピンは医療技術が高く、血液検査やX線、エコー、CT、MRIなど、台風被害がなければ患者は通常、受けることができます。台風被害によって、このような検査ができないため、MSFの簡易検査(血糖値やヘモグロビン値)やポータブルの心電図、超音波計やX線検査などが役に立ちました。

台風被害で交通手段がなく、トリサイクル(リヤカーのついた三輪自転車)やトゥクトゥク(リヤカーのついたバイク)に乗ってきますが、ちょうど病院に到着したときに乗り物の中で出産したお母さんもいました。

救急外来(ER)で赤ちゃんとお母さんをケアし、産科病棟へ移動。赤ちゃんもお母さんも無事に翌日には退院しました。赤ちゃんの名前は、HONDA(バイクがHONDAだったため)と名付けられました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

活動開始から約2ヵ月は緊急援助プログラムの立ち上げだったため、特に初めの10日間は、20時間は働いていたような……とにかく寝る時間が2~3時間でした。

1月に入ってからは状況が落ち着いてきたため、勤務時間は8時間から10時間(緊急対応が必要な場合以外)のペースでした。勤務外は、プールに行ったり、丘に登ったり、街で買い物したり食事をしたり、マッサージに行ったり、近くに海岸と砂浜があるので海に行ったりと、通常は治安も安定しているフィリピンならではの時間を過ごしたりしていました。

現地での住居環境についておしえてください。

緊急援助の立ち上げのため、また台風と高潮で建物が流されたり飛ばされたり、半壊、全壊しているようなところで活動するため、当初は大変な環境の中、ホテルを探して海外派遣スタッフが滞在できるようにロジスティック・チームがセットアップを行いました。

電気は発電機です。水は、ホテルの6階、7階、8階の部屋に朝、夕と毎日人の手で運んで、海外派遣スタッフが水に不自由しないようにしていました。

高波で流されて何もないため、食事は、始めのころは料理しなくても食べられるもので、お湯さえあればいいものなどが支給されていました。2週間後には、料理ができるようにロジスティック・チームが手配し、野菜や果物が手に入るようになりました。

派遣が終わるまでは、ずっとホテル住まいでしたが、緊急援助であり、1年以上実施するような長期的なプログラムではないためです。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

タクロバン市内にテント病院を設置する様子 タクロバン市内にテント病院を設置する様子

ロジスティシャンの活動がどれだけ大事か、今回の緊急援助で改めて尊敬しました。もちろん、ロジスティシャンがいないといろいろ大変なのは常にわかっていましたが、4日以内にガラクタでいっぱいの場所をきれいにしてテント病院を設置し、さらに電気や水の供給、トイレの設置、患者のための食事を用意し、廃棄物の処理を行いました。

それ以前にも、始めにたくさんの貨物を一度に受け、活動に必要な物資の供給、輸送、在庫管理をするロジスティシャンは、縁の下の力持ちといっていい存在です。ロジスティシャンがいなかったら、医療援助はうまくいかないのはいうまでもありません。

今後の展望は?

今後は、MSFがアフリカのフランス語圏で展開するプログラムに参加したいです。アフリカには何度も行っていますが、フランス語をもっと学んで活動範囲を広げ、栄養失調やその他の疾病で少しでも多くの子どもたちが救われるよう手助けできればと思います。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

スタッフがお互いを尊敬しあい活動する スタッフがお互いを尊敬しあい活動する

MSFの活動のなかでは、お互いの職種は違っても、お互いを尊敬することが大事です。日本の常識で、「あ、うん」の呼吸とか、「言わなくてもわかってくれる」というのは通用しないので、自分の意見をきちんと伝えないと相手にはわかってもらえません。いろいろな国の人たちが集まるので、きちんと自分の意見を言えるようにしておくこと。

MSFだけでなく、多くのNGOの活動は「看護師だから、看護だけ、医療のことだけしておけばいい」というのではありません。勤務表を作ったり、スタッフの評価をしたり、リクルートをしたり、時にはロジスティック面の仕事をしたりと、柔軟に対応できないとやっていけません。

あとは、興味を持つこと。NGOの仕事が自分に合うか合わないかは、やってみないとわからないので。

MSF派遣履歴

派遣期間
2013年9月~2013年10月
派遣国
フィリピン
プログラム地域
ミンダナオ島サンボアンガ
ポジション
看護師
派遣期間
2012年12月~2013年6月
派遣国
南スーダン
プログラム地域
上ナイル州マバン
ポジション
医療チームリーダー/看護師
派遣期間
2012年8月~2012年9月
派遣国
フィリピン
プログラム地域
マニラ
ポジション
看護師
派遣期間
2011年11月~2012年5月
派遣国
ナイジェリア
プログラム地域
ソコト州ゴロニョ
ポジション
栄養リサーチ・コーディネーター
派遣期間
2011年1月~2011年9月
派遣国
ウガンダ
プログラム地域
カボング県
ポジション
フィールド・リサーチ・コーディネーター
派遣期間
2010年2月~2010年10月
派遣国
ナイジェリア
プログラム地域
ソコト州ゴロニョ
ポジション
看護師/医療物資在庫管理担当
派遣期間
2009年5月~2009年10月
派遣国
インド
プログラム地域
ビハール州ビラウル
ポジション
看護師
派遣期間
2009年1月~2009年3月
派遣国
南スーダン
プログラム地域
西エクアトリア州ヤンビオ
ポジション
看護師
派遣期間
2007年12月~2008年8月
派遣国
ウガンダ
プログラム地域
カボング県
ポジション
看護師