海外派遣スタッフの声

患者減少から終息宣言、エボラのその後を支える:森川 光世

ポジション
コーディネーター
派遣国
シエラレオネ
活動地域
フリータウン
派遣期間
2015年7月~2015年11月

MSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回のエチオピアへの派遣後からの3年間、MSF日本事務局のフィールド人事部で勤務をしたり、資格取得を目指して勉強をしたりしていました。今回、試験勉強からやっと解放され久々に海外派遣に参加したいと思い、フィールド人事部へ連絡しました。

実は、MSFの海外派遣には会計士や簿記などの資格は必要ありません。ただ、私は初回派遣を目指したころは財務の経験も知識もまったくなかったため、自分で英文会計の勉強を始めました。試験に合格する前に初回派遣が実現し、資格取得のための勉強を中断して、以降4回の海外派遣を経験しました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

シエラレオネへの派遣が決まってから出発日までが2週間ほどしかなかったので、必要書類を揃えたり、健康診断や予防接種等で忙しく過ごしました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

3年ぶりの海外派遣でしたので出発前は緊張しましたが、財務コーディネーターという職務の基本は変わっていませんので、過去の海外派遣の経験がそのまま活かせたと思います。

ただ、この数年にMSF内での細かな実務内容は変わってきていましたので、会計ソフトや予算作成のファイルについての説明や、エボラ出血熱に関する注意事項を十分に受けてから出発しました。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

患者数が減り、エボラ治療センターの解体も進んだ。 患者数が減り、エボラ治療センターの解体も進んだ。

シエラレオネでは、MSFは2014年のエボラ出血熱の流行をきっかけに、それまで行っていた産科医療や小児医療の活動を一時的に停止し、エボラ治療センターでの対応に専念していましたが、私が到着した2015年7月の時点で、エボラ出血熱の感染者数は全国で15人ほどにまで減っており、エボラ出血熱が終息してからの活動を考える時期に入っていました。

そんな中、私たちのチームは、エボラ出血熱から回復したものの、視力や聴力の低下や、関節痛などの後遺症に苦しむ患者さんのケアと、エボラ出血熱に対する偏見に苦しむ人びとへの心理的なサポートをするためのプロジェクトを首都のフリータウンで運営していました。

保健省スタッフとともにデータ管理を行う。 保健省スタッフとともにデータ管理を行う。

またケネマという別の地域では、保健省の医療保健システムをサポートするために、遠隔地域に123ヵ所あるヘルス・ユニット(簡素な保健医療施設)で働く保健省のスタッフに対して、肺炎、下痢、マラリアの症状に関するトレーニングを行ったり、トレーニング後のモニタリング、医薬品の供給を行っていました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

給与明細の配布をする筆者(写真右) 給与明細の配布をする筆者(写真右)

首都にあるコーディネーション・チームは、各プロジェクトのスタッフからの要望や質問に答えたり、ヨーロッパの運営本部との連携を図ったりするのが主な役目です。

私は、コーディネーション・チームの一員として働き、フリータウンとケネマにある各プロジェクトのアドミニス—トレーターからの質問への回答、物資購入やさまざまな契約書の承認、経理データのチェックなどを行っていました。

また、現地スタッフへの給与振込のトラブル対応や、政府に提出すべき書類の準備、毎月の経費の分析と予算の見直しに追われる日々でした。翌年の活動の方向性について、各プロジェクトのスタッフやヨーロッパのオフィスのスタッフと話し合い、年間予算を立てることも大きな任務の一つでした。

チームのメンバーが夏季休暇をとっている間、彼らの業務も請負うことになり、最初の1ヵ月は週末も働くことが多々ありましたが、後半は雨期も終わり、ビーチに出かける機会もありました。

現地での住居環境についておしえてください。

フリータウンでは、1階がオフィスで2階に海外派遣スタッフチームが共同生活をしていました。

到着した時期は雨期の真っただ中で、1日に何回も豪雨が降ったため、衣類が湿っていたり、雨漏りがしたり、外出する気分にならないことも度々ありました。ただ、その雨のおかげで、シエラレオネは緑豊かな美しい国です。

シャワーはお湯に恵まれ、食事も大ベテランの現地スタッフが作ってくれたので、日常生活は快適でした。また治安もよく、外出の自由もありましたが、エボラ出血熱の終息宣言が出るまでは、衛生面や人混みを避けるという観点から、出入りが制限される場所もありました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

シエラレオネに到着するまでは、エボラ出血熱に感染した人や亡くなった人、そしてその家族のことしかイメージできていませんでしたが、実際に生活をする中で、エボラ出血熱が社会に与えた影響の大きさを感じました。

外国企業が急きょ撤退して職を失った人、感染拡大を抑えるために夕方6時以降は外出禁止になり、レストランや店も閉まり通りが閑散としていた時期があったこと、学校が9ヵ月間も閉鎖されていたことなど、さまざまなことを現地スタッフから聞きました。

あるスタッフの言葉が印象に残っています。「エボラは難民になるよりもひどい。難民は受け入れてもらえる場所があるけど、エボラは隣の国も近所の人も受け入れたがらない」

ちょうど多くのシリア難民がヨーロッパを目指して移動していることが報道され始めた時期でした。どちらがつらくひどい状況かということは、難民の数や感染者の数で決まることではなく、それを実際に経験した人からしか出ない言葉だったのだろうと思います。感染拡大を目の当たりにし、エボラ治療センターのために必死に働き、そんな中で同僚をエボラで失ったスタッフでした。

そんな彼らにとって、2015年11月7日のエボラ出血熱の終息宣言(※)は、私が感じた喜び以上のものであっただろうと思います。

  • シエラレオネではその後、2016年1月15日に新たな感染者が確認された。

今後の展望は?

海外派遣に再度参加するのであれば、次はフランス語圏に挑戦したいと思いますが、まだ決まっていません。世界中にあるMSFの事務局での求人や、日本国内の企業等の求人にもアンテナを張りながら検討したいと思います。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

海外派遣に連続して参加する人もいれば、途中、数年日本で勤務をしたり、留学をしたりする人、結婚して落ち着かれてから再度海外派遣に参加する人、子育てが落ち着いてから初めて参加する人など、参加のタイミングは自由に選択できます。

人道援助活動への参加が、ご自身のキャリアからはずれるものではなく、むしろ、キャリアの幅を広げることのひとつとして捉えていただければ、帰国後もさまざまな可能性が自然に広がると思います。

MSF派遣履歴

派遣期間
2011年12月~2012年3月
派遣国
エチオピア
活動地域
リベン
ポジション
財務コーディネーター
派遣期間
2010年9月~2011年7月
派遣国
イエメン
活動地域
サヌア
ポジション
財務コーディネーター
派遣期間
2010年6月~2010年9月
派遣国
ナイジェリア
活動地域
アブジャ
ポジション
財務コーディネーター
派遣期間
2009年5月~2010年3月
派遣国
スーダン
活動地域
北ダルフール、エル・ファシール
ポジション
財務コーディネーター