海外派遣スタッフ家族の声

派遣決定をなかなか言えずにいた娘、本当は真っ先におめでとうと言いたかった父

土岐 翠(助産師)

土岐 彰さん(父)

父が期待するような道ではないかもしれないと、10代の頃から胸に秘めていた国境なき医師団(MSF)への思いをなかなか打ち明けられなかった助産師の土岐翠。「そんなに悩ませていたなんてごめんね」と、父の彰さんは、いまでは地球儀で翠の居場所を確認しながら彼女の現地での人道援助を日本で応援している。

「え?聞いてないぞ!?」 娘のSNS投稿が目に入り……

勤務中の昼休みに、携帯をいじっていたらたまたま娘のSNS投稿が飛び込んできたんです。「夢に見たMSFに参加します!」という内容でした。「な、何だこれは!?」と驚きました。

MSFに参加することを両親にはどうやって伝えようか、実は長い間悩んでいました。とても大事なことなので、簡単に伝えるのではなく、私の想いも含めて全て準備を整えて説明しなくては、と。ただ、MSFに受かったことが本当に嬉しくて、友達向けにと思ってSNSに投稿してしまいました。父とも繋がっていることをつい忘れてしまい……。

俺は何も聞いてないぞ、と思いましたよ。家に帰って妻にも聞いたら同じく聞かされておらず、これは順番が違うのではないか、と2人で戸惑ってしまいました。

親に説明する準備として、順番を慎重に考えているところでした。まずはとにかくMSFの活動内容を知ってもらおうと、MSFのパンフレットなどを集め、郵送の手配までしていたのに。でも突然知ってしまった父からメールが来て怒っているのを感じました。

翠はその後、メールで一生懸命説明をしてくれたんだよね。

本当に申し訳ないと思いながら、改めて両親にきちんとしたメールを送りました。そしてその父からこのような返信がきたんですよ。「本当は一番におめでとうって言ってあげたかったんだよ。SNSでは友達からのお祝いコメントが書かれていてそれを読んで嬉しかったし、子どもの幸せを願わない親はいないよ」。あと、「私たち親に伝えるためにそこまで特別に準備をしていたなんて、そんなに気を遣わせてごめんね」と。それを読んだ時には泣いて泣いて……。

実はそのメールなのですが、翠に言われて先日読み返してみたのですが、記憶が飛んでしまっているんですよね(笑)。でもきっとその時の素直な思いを書いたんだと思っています。

現地の人びとへの想いと水面下で進められた入団

私がMSFに入りたいと思ったのは10代の半ばでした。あるきっかけで、海外の子どもたちが銃を持っている映像を見てすごくショックを受けました。私は日本で生まれて、戦争もなく食べ物も十分にあります。両親のおかげもあり、何不自由なく生きていられます。生まれた国が違うというだけで生死に大きくかかわることはフェアではないし、何かしたいという思いを抱えました。そんな時にMSFの「国の境目が生死の境目であってはならない」というキャンペーンの言葉を目にした時の衝撃は忘れません。将来絶対に入団したいと思いました。

私は単身赴任で、この子が中学3年生から高校卒業するくらいまでは月に1度くらいしか帰っていなかったのですが、会えば何でもお互いに話していました。家ではおちゃらけてばかりいる子でした。母親が看護師なので、同じ医療の道を進んだのは自然なこととして見ていたのですが、ただMSFへの想いなど素振りも見えませんでしたね。

MSFへ行くにはどういう手段があるのかと考えた時に、まずは看護師の道に進みました。その過程で助産師という職業の素晴らしさを感じる機会に出会い、資格を取得しました。助産師としてしばらく経験を積んだあと、英語の習得を目的にオーストラリアに行ったのですが、これはMSFの参加を視野に入れてのことです。

オーストラリア留学がMSFへの準備だったとも知らず、3年ぶりに日本に帰ってきて、この時はこれで腰を落ち着けて働くのかな、そうすればいいのにな、という風に思っていたかと思います。

初回派遣地のマラウイで(2010年撮影)

何度も訪れた機会、でも心配をかけるのが怖くて言えなかった

オーストラリアから戻り、さぁそろそろMSFへの夢を伝えなくてはいけない、とチャンスを伺う日々でした。そんな時、たまたまテレビで別のNGO団体のドキュメンタリーをやっているのを見ていた父がこんなことを呟きました。「本当にこういう所に行ってこういう活動をする人はすごいよな」と。このタイミングだ!と思いました。でもひるんでしまって……。

実は私は他のNGOではありますが、海外で人道支援をしている団体にわずかではありますが寄付をしていました。本当は自分でもボランティアなど、何か社会に役に立つことがしたい、と思っていたのですが、体にガタがきているのでなかなか足を踏み出すことはできず、せめてできることとして寄付をしよう、と。このような活動への関心や理解を元々持ってはいました。

そしてまたある日、テレビでイエメンの紛争下での赤ちゃんの栄養失調を取り上げた番組をやっていた時に、父が「誰か何かしてやれないのか」「何とかならないのか」って言ったんです。このときこそいまだ!と思いました。しかし、私が進もうとしている道は、親が期待しているものではないと思い込んでいましたし、心配をかけるのではいかと怖くて言えませんでした。

オーストラリア留学中に訪れた医療の博物館で、昔使われていた新生児の模型を体験

意を決したイラク行きの報告

フライングはあったものの、無事にMSFの面接に受かったということは親に伝えることができました。そして初回派遣がイラクに決まったのですが、またしても、それを伝える機会に悩みました。というのも、父が何かのタイミングで「イラクなどには行くなよ」ってつぶやいたんです。ドキッとしました、ピンポイントでしたから。

それは全くの偶然なんですけどね。「危険なところには行くなよ」という意味の方が大きかったかと思います。

イラクへの出発日がどんどん迫ってきて、意を決して父に電話をしました。スピーカーフォンにして母と一緒に聞いてもらいました。「派遣が決まりました、イラクです。期間は4カ月です」と。口を開いた父からは「何カ月行くんだ?」と。「4カ月です」と繰り返しました。その後、しばらくしてから「何カ月行くんだ?」って同じことを何度も。もう私の言葉が頭に入ってないんだろうなぁって(笑)。そのうち父は「よく聞こえない」とか言い出して会話の途中に電話を切ってしまったんですよ。

切ってないよ(笑)。

いや、切ったんです(笑)。何度もかけ直したのに出てくれなくて、母にかけたら、「お父さん、携帯が壊れたとか言いながらどこか出かけちゃったわよ」と。携帯がいきなり壊れるなんてそんなわけないよね、って2人で笑ってしまいました。母からは「心配ないから。大丈夫だから」という言葉をかけてもらいましたが、どんな思いで言ってくれているのかと思うとまた泣けてきてしまいました。父とは結局その会話の続きができませんでした。お父さん、それほんとに覚えてない?

電話の最中に頭が真っ白になって、考えが及ばなくなってしまっていたのは覚えてるかな。翠がしきりにMSFのセキュリティ管理はしっかりしているから安心なんだ、と声を大きくして言っていたのを聞きながら、それでもとにかく心配で。ただ、翠の人生なので、やりたいことをやればいいという想いも根底にはあったとは思います。イラクって聞いてびっくりしたけど、でも何とか受け入れようとしていました。

2012年の活動地、南スーダンで

娘のSNS投稿で、現地での楽しいことも辛いことも把握

イラクに行く直前には一時的に実家に戻り、私は極力明るくしていました。イラクの話はお互いに避けていたと思います。最後は旅行にでも出かけるような感じで「行ってきまーす!」って。

言葉が見つからない、っていうのはありました。でもその時はまだ娘が目の前にいたので、これからイラクに行くなんていう実感がないんですよね。翠はいつもどおりおちゃらけていましたし。実際にいなくなってからは、翠がSNSにがいろいろと投稿を上げていたので、それを安心材料にしていました。

親が見ていることを意識して「ご飯は美味しいです」とか「夜はチームのみんなとこんな過ごし方をしています」など、安否確認のように意図的に上げていたんです。

時々、泣き言もあげていましたね。メールやLINEなどで直接のやり取りはしなかったのですが、SNSの投稿を読むことで辛いことも楽しいことも逐一状況が把握できていました。親を意識して投稿をしていたのはいま初めて知りましたけど。

初めて派遣されたイラク。日本とは違う文化に適応、奮闘しながら、患者や家族、現地スタッフと日々関わり合いながら何にも変えがたい経験をした

「翠が行くところを追える」と地球儀が買われていた

イラクでの初回派遣が終了し、実家に戻ってビックリしたことがたくさんありました。まず、地球儀が買われていたことです。「これで翠が行くところを追える」って。それから、MSF関連の出版物が買いそろえられていたんですよ。更に驚いたのは、寄付をしてくれていたみたいで、MSFのニュースレターが届いていました。私たち親子は普段、熱い思いを語り合うようなことはあまりないのですが、見えないところでこのような形でサポートをしてくれているんだな、と温かい気持ちになりました。

地球儀は妻と一緒に買いました。でも2回目の派遣はイエメンと聞いた時には、また紛争地?と思ってしまいましたね。被災地など、他にないのかなと。もちろん人命救助には変わりません。ただ親としては自分の娘にはできれば少しでもリスクが少ない方がいいなと。

イエメンはあまり日本では知られていない国ですし、国名を伝えても紛争地と直結することはないと思ってはいましたが、やはり親なので調べますよね。実はこの時、母は反対しようと思っていたらしいんです。ただ父の方が、母に対して「それでも翠は行くだろう」って言っていたと。

翠はきっとまた行くだろう、1回じゃ終わらないだろう、と思っていましたから。

2回目に派遣されたイエメンでは、紛争と貧困の苦しみのなかMSFの無償医療を頼りにしているたくさんの母子に寄り添い続けた

いまではちょっと人に言いたい、自慢の娘

最近では周りの人に「娘さん、何してるの?」と聞かれた時に、「よくぞ聞いてくれた」って思うんですよね。やはり自分の子どもが人道支援をしているというのは嬉しいし、ちょっと人に言いたいな、っていうのがあって。

えーっ!ずっと、お父さんの期待とは違う道を歩んでいるんじゃないかなぁ、とずっと申し訳なく思ってた。

翠の現場の経験レポートがウェブや寄付者向けの方へのニュースレターに掲載されていましたが、そういうのは全部読んでいますし、読者さんからの感想も読ませていただきました。正直嬉しかったです。

実際に現場で活動をしてみて、いろんなことが見えてきました。お金がなくて他の病院にはかかれない、どんなに遠くても無料で医療を提供しているMSFを頼りに足を運ぶ人びとがいる、そのような現場を目の当たりにしました。そして、そのような場所での医療活動を可能にしてくれる寄付者の方々には感謝以外の言葉がありません。また「本当は私も行きたいと思っていた」という人が実は多いことにも気づきました。さまざまな事情で行けないからこそ、私のことを応援している、などという言葉をかけてもらえると、「代わりに行かせてもらっている」という思いも湧き、一つの活力になっています。そして、今日はこうやって父の想いをたくさん聞けました。普段、2人ではなかなかこのような話をする機会がなかったので、本当に嬉しいです。

またそのうち、「次の派遣が決まったよ」って言ってくるでしょう。こちらは心の準備はできていますから、真に援助が必要な人びとのためにこれからも頑張ってください。誇りに思っています

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