海外派遣スタッフインタビュー

アドミニストレーター堀江 純(財務コーディネーター)

MSFの活動に共感 寄付者から現場へ
信頼できるMSFだからこそ飛び込めた

国境なき医師団(MSF)のアドミニストレーター、堀江純は、学生時代を米国で過ごし、長年外資系民間企業で経理責任者を勤めてきた。「経験を活かして国際援助活動に関わりたい」と考えた時に、活動の場として選んだのはMSF。寄付者としてMSFの活動を支える中で、その活動が信頼できるものであると理解できたことが大きな要因。職場から一年間の休職を取得してMSFの活動に参加。「MSFは現場の変化に応じ、スピード感を持って柔軟にニーズに対応できる数少ない団体」との思いを強くしている。

参加に至るまで

国際人道援助活動に関わってみたい

父親の仕事の都合で、2~8歳の時にはニューヨーク、13~18歳はカリフォルニアと海外で育ちました。高校は現地の男子校で学び、米国の大学に進学。大学では、コンピューターサイエンスと経済学を学びました。大学では当初コンピューターサイエンスを専攻していましたが、大学のルームメイトが、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者、ミルトン=フリードマンのファンで。ルーメイトの影響で興味を持ったことと、教授からの勧めもあり、経済学も学びました。卒業後に米国の企業に就職し、主にIT分野で働きました。31歳まで、カリフォルニアで過ごしました。

一方で、コンサルタント業務などを通じ、日本でも勤務経験を積みたいと考え帰国。海外で学んだこととは違う、日本企業における意思決定プロセスや、文化面での理解を深めたいと思ったのです。日本に拠点がある外資系企業に就職し、結婚して家庭を持ったため、生活拠点も日本に移しました。その後は長年にわたり、経理と管理業務を担当してきました。

海外との縁は深かったのですが、国際協力への関心を強く持つようになったのは、40歳のころ。身近に、NGOで働く友人がいたことがきっかけでした。漠然と、国際援助活動やNGO活動に関わりたいと思うようになりました。とはいいつつも、日々の生活もあります。仕事のことや、家族のこと。日常生活を送る中で、「思いを具体化できないまま月日が経ってしまった」と気づいたのは50歳になった時。

そうした時期に影響を受けたのは、大手通販サイト「アマゾン」の創業者、ジェフ・ベゾスの言葉でした。2010年、母校の卒業式に招かれたスピーチで彼は、人生において意味のある選択をすることの大切さを説きました。インターネットで本を売る会社を立ち上げるという新しいビジネスの構想を思いついた時、彼には仕事も家庭もありました。新しいビジネスには失敗を伴う可能性があり、とても難しい選択だったといいます。
たまたま彼のスピーチを聞いて、「今、思いを試さなければ、やらなければ後悔する」と、背中を押されたような気持ちになりました。定年というゴールも見えてくる中で、「55歳までに情報を収集し、60歳で定年を迎えたら活動に関わろう」と、本格的に計画を立てることにしました。

MSFとの出合い

MSFの講演会を機に寄付者に

55歳を目前にしていた時、たまたま息子が通っていた高校で、MSF日本会長(当時)の加藤寛幸医師の講演会を聴く機会に恵まれました。アフガニスタンの病院が米軍によって誤爆され、スタッフや患者さんが亡くなった痛ましい事件があった直後の講演会。熱く思いを語る加藤医師のお話を伺って「自分も何か力になりたい」と思い、家族と相談をして、MSFに寄付を始めました。

寄付を始めると、日本事務局からニュースレターが届くようになりました。ニュースレターを通じて、MSFのことをよく理解することができました。民間から募った寄付金が、現地でどのように使われているのか。活動の様子だけではなく、寄付金の透明性も確保されている団体であることも分かりました。「いつか国際援助活動を」と漠然とした思いを叶える場所は、MSFだと思うようになりました。

長年、経理の分野でも経験を積んできたため、アドミニストレーターとして現場で働いてみたいと思う一方、実際に培ってきた経験をMSFで生かせるのかどうか、確信が持てませんでした。そこで定年退職前に、「MSFのお役に立てることがあるのかどうか、まずは確かめたい」と、実際に活動してみようと思い立ったのです。活動してから、今後どのように国際援助活動などに関わっていくかを考えようと思いました。

普段勤務する職場で

事前準備について

活動前に抱えた不安……情報収集で解決

参加したMSFの海外派遣員募集説明会には、妻も同行してくれました。妻には、自分の気持ちを含めて事前に話をしていたので、応募に賛同してくれました。職場でも、上司に思いを理解してもらえました。当初は退職も念頭に置いていたのですが、休職許可を得て、MSFで活動することができました。2018年3月~2019年4月までの約1年間に、ナイジェリアと南スーダンの2カ国で活動しました。

最初の派遣先は、ナイジェリア。今も紛争が続く地域があり、武装集団による襲撃で国内避難民が難民キャンプで生活をしています。当時は、武装集団によるテロ事件が頻繁に報道されていたこともあり、「危険ではないか」との不安がありました。「不安なことは、何でも聞いてください」と、相談に乗ってくれたのはMSF日本事務局の人事担当者でした。人事担当者に何度もメールで、不安や疑問に思う点などを質問しました。また、MSFで活動経験のある海外派遣スタッフを何人も紹介して頂き、セキュリティ面のみならず、さまざまな角度から活動について、アドバイスを得ることができました。危機管理体制などを理解できたことで、不安を払拭することができました。日本事務局の人事担当者は経験豊富です。適切なアドバイスを得ることができ、本当に助かりました。

ナイジェリアでMSFの同僚たちと

現地での生活

連日40度超えの暑さ 慣れるまでに1カ月

2018年9月から6カ月間は、南スーダンの8つの病院・診療所運営しているプロジェクトにアドミニストレーターとして、スタッフへの給料支払い、会計帳簿の管理、資金繰り計画などの経理関連業務と、現地スタッフの採用や給与計算などの人事業務を担当しました。
MSFは、南スーダンの難民キャンプにあるイダという街で1つ、またそこから80km北にあるスーダンのヌバ山脈で7つを運営していました。各クリニックにも訪問する機会が多くありました。スタッフに給与を手渡したり、スタッフが抱える問題を解決したりするために各地を行き来するのですが、セキュリティの観点から、日の出から日の入りの間に移動しなければいけません。道路も雨が降るとぬかるんでしまうので、乾期には片道1~3時間かかる道も、雨期にはその倍ほどの時間が掛かります。雨期に、イダからヌバに移動する途中で、車が泥沼にハマってしまったこともありました。

活動地では日本と異なり、スタッフの給与は現金払いでした。活動地には銀行がなかったため、現金は首都ジュバから空輸しました。給与袋にスタッフの名前を書き、現金を詰めながら「昔の日本もこうだったのかな」と思いを馳せつつ、作業したことを今でも覚えています。

ただ、現地の生活は苦労しましたね。連日、40度を超える暑さの中で、テント生活を送りました。入浴はバケツシャワーで、トイレは汲み取り式。慣れるまでに1カ月ほどかかりましたが、慣れたころには「人間には、どのような環境にも対応できる力があるのだ」と、身をもって学ぶことができました。

イダからヌバに移動する途中で泥沼にハマった車両

現地での支え

頼りになる仲間たち

MSFは医療者が主に活動していている団体だと思われることが多いと思います。しかし実際に活動に参加して、非医療スタッフの役割の大きさを理解することができました。

特に、病院運営のためのインフラを整備するロジスティシャンは重要です。アフリカの多くのプロジェクトは、何もない場所から、水や電気の供給、下水設備などを整え、MSFの病院やスタッフの滞在場所を設置します。資材の調達や、メンテナンスなどもロジスティシャンが担っています。彼らなしでは、満足に活動することも、生活することもできません。
南スーダンでも、ロジスティシャンが設置した発電機の設備のお陰で、冷蔵庫や電子レンジなどの電化製品に加え、インターネットも使用できました。そうした仲間のお陰で、無事に活動ができたことを心から感謝しています。

またMSFでは、多くの若者が活躍しています。頼もしかったのは、南スーダンで一緒に働いたプロジェクトの活動責任者。30代の女性で、決断力と実行力があり、チームの同僚らにも気を配ることができる人でした。とても感心したことを覚えています。また大学卒業したばかりの25歳の女性は、5人の部下を持ち、倉庫管理の責任者として在庫処分と倉庫縮小プロジェクトを任されていました。さまざまな状況下で、責任者として意思決定していく経験を重ねることによって、判断力や決断力が磨かれ、成長していく姿を見ることができました。

普段、日本の職場では管理職として働いていますが、日本では、若手社員が大きな責任ある仕事を担う機会は珍しいのではないかと思います。MSFで出会った若者の働きぶりを見て、日本企業で働く若手社員の成長の機会についても考えさせられました。今は英語力も、現場での経験も未熟で不完全であるかもしれない。でも、経験を重ねていくことで力をつけていくことができます。若い人にもぜひ、MSFの仲間になってほしいと思います。


南スーダンの難民キャンプの子供たち

多文化社会の中で

「誰かのために」仲間と働く

MSFでは、国籍も言語も、世代も異なる、さまざまなバックグラウンドを持った人たちが働いています。現場では、あらゆる立場を超えて、同僚たちと本音で議論する機会が多くありました。私自身も躊躇することなく自分の考えを相手に伝えましたが、「相手の考えも受け入れながら」という視点を心掛けて意見交換するよう努めました。

多文化社会の中で、物事を決める難しさは、若いころから経験しています。何かを協議したりする場などでは、積極的に発言する文化もあれば、あまり物を言わない文化もあるでしょう。でも長年の経験から、積極的な意見だけではなく、意見を言えない人の声にも、耳を傾けることも大切だと感じています。

MSFは、同僚の誰もが「誰かのために何かをしたい」との思いで働いています。いつも同僚と話すと、どう患者を救うか、患者がいる環境をどのように改善するかなど、「誰かのために」という話題が中心となります。だからこそ同僚たちの声に、より丁寧に耳を傾けることが大切だと感じました。

今も誇りに思います。同じビジョンを持つ仲間たちと共に働いたことを。


ナイジェリアの同僚たちと

今後について

日本と海外をつなぐ役割を果たしたい

現在は日本の職場に復職し、仕事をしながら、MSFの活動に関わっています。最近では、MSF日本事務局が企画する寄付者向けのイベントや、初めての活動を控える海外派遣スタッフの皆さんを対象にした事前研修会などで、経験をお話しする機会を頂きました。

寄付者の皆さんとお会いすると、誰もが活動報告書などを読み、真剣な気持ちで寄付してくださっているということを強く感じます。だからこそ、MSFは地道に活動している団体であることを、真摯にお伝えしたいと思っています。実際に活動を経験させて頂いた経験から、自信を持ってお伝えできると自負しています。
海外派遣スタッフの皆さんには、私自身が当初抱えていた不安などを思い出しながら、出発までの準備を十分に整えることができるよう、役立ちそうな情報をお伝えするように心掛けています。

2度の活動を通じて、日本がどれだけ恵まれているのか、自分がどれだけ恵まれているのかを知ることができました。私自身にとっても、大きな意味のある経験でした。今後もMSFの現場で経験を積んでいけたらと思います。そして、日本と海外をつなぐ役割を担っていきたいです。


南スーダンで出会ったスタッフ宅で、昼食をご馳走になった

キャリアパス

1984年
米国大学卒業
1984~1992年
米国企業でITや分析業務に従事
1992~2018年
日本に帰国し、外資系メーカーで経理・管理業務に従事
2018年
MSF ナイジェリアで約4カ月、ファイナンス・コーディネーターとして活動
2018~2019年
MSF 南スーダンで6カ月、アドミニストレーターとして活動

※掲載内容は取材当時のものです。

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