原点は三つの「海外」
2006年12月に定年退職して、非常勤になりました。翌月、国境なき医師団に応募。5月には最初の派遣国ナイジェリアで執刀していました。実は退職したら海外で働きたいとずっと思っていたんです。
「海外」で働いたことが3回ありました。最初は1963年、復帰前の沖縄。新潟大学医学部の学生のとき、沖縄と、復帰したばかりの奄美大島にあるハンセン病療養所を訪れました。病める人の役に立ちたいと思った原点です。
次は外科医5年目。外科指導医としてケニアに赴任しました。「帝王切開が必要なときは俺がしてやるけん」と身重の妻を連れて。勤めていた長崎大が、海外技術協力事業団(OTCA、現・国際協力機構)の要請を受け、医療協力と熱帯病研究をしていたんです。厳しい環境でも明るく生きる人たちから、技術を超えた医療のあり方を教えられました。1973年、長男は無事生まれました。
3回目は、飢饉が広がるエチオピア。国際救急医療チーム(JMTDR、現・国際緊急援助隊医療チーム)に登録していて、1985年、避難民キャンプで医療支援にあたりました。テントに入りきれず野宿を強いられる人たち。低栄養や脱水を背景とした感染症で亡くなる子どもたち。悲惨でした。
ある日、キャンプ内を歩いていて、中年男性にテントに引っ張り込まれました。男性の妻が苦しそうに横たわっています。触診で卵巣腫瘍と診断し、地元の公立病院にすぐ運びました。面識があった院長から依頼され、日本人3人で手際よく手術しました。女性を診察しに翌日病院を訪れると、夫が私に突進し、顔から足の甲までキスの嵐。聞くと、エチオピアでは最高の感謝の表現といいます。日本でこんなに感謝されることはありません。「医者になってよかった」。感動しました。いつかまたこうした場所で働きたいと思い続けていました。