避難を繰り返す半生。「ロヒンギャの人権、尊重を」ミャンマーを逃れた難民の悲痛な叫び

2018年02月27日掲載

一家で避難生活を送るアリさん(写真左) 一家で避難生活を送るアリさん(写真左)

アリ・アーメドさんはミャンマー西部ラカイン州ブティドン出身の80歳。2017年9月初旬にバングラデシュに到着し、現在はジャムトリ仮設キャンプに滞在している。難民としてバングラデシュに来るのは人生で3回目だ。好奇心旺盛な若者だったアリさんはラングーン(現在のヤンゴン)のホテルで7年間コックとして働いた後、家族のためにラカイン州へ帰郷。その後、度重なる暴力や迫害に運命を翻弄された。

この40年間で3度の避難と2度の帰還を経験。延べ6年以上を難民キャンプで過ごした。7人いる子どものうち2人は2017年8月に発生したロヒンギャ弾圧で命を落とした。

3度にわたる避難

排斥運動により国を追われたロヒンギャ難民(1978年撮影) 排斥運動により国を追われた
ロヒンギャ難民(1978年撮影)

1度目の避難は1978年2月、40歳のときでした。家族は殴られ、拷問を受けました。私は妻と2人の子どもを連れてバングラデシュに逃げ、ウキア郡の仮設キャンプに滞在しました。3年後、バスとボートで故郷のブティドンに送還されました。自宅は破壊されていたため、同じ場所に新しい家を建てました。4部屋ある木造の家です。周りの土地も耕し始め、そこでしばらく平和に暮らしました。でも、徐々にまた問題が起こるようになりました。飼っていた牛が盗まれ、逮捕されることも増えました。

4年間、ミャンマー軍から強制労働を強いられました。私は少しビルマ語を話せましたから、軍に選ばれたんです。1991年にまた事態が悪化し、妻と息子2人、その妻子と一緒に避難しました。森で寝泊りしながら4日かけてナフ川の岸辺に辿り着き、川を渡ってバングラデシュのクトゥパロンに辿り着きました。家を出てから7日後のことでした。当時1万8000人ほどがキャンプにいました。

「ここには居場所がない」

バングラデシュを目指してナフ川を渡るロヒンギャ難民(2017年9月撮影)
バングラデシュを目指してナフ川を渡る
ロヒンギャ難民(2017年9月撮影)

再びミャンマーに戻ったのは1994年。最初は帰れて嬉しかったけれど、2002年ごろから頻繁に逮捕され、殴打されるようになりました。移動の自由もなく、家から3km離れたところへ行くことすらできませんでした。2014年に暴力事件が起き、また避難を考えるように。「ここに私たちの居場所はない」と思いました。

2017年8月の事件で自宅は焼かれ、子ども2人が殺されました。今は4人の息子と娘1人も含めた9人がジャムトリにいます。ここバングラデシュでは問題なく過ごしていますが、これから雨期が来れば生活環境は悪くなるでしょう。泥ですべりやすく、移動もできなくなります。ミャンマーへの帰還は恐れていませんが、私たちの人権を尊重してほしいと思います。

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