ケニア:ひとりが声を上げ、社会を動かす。元HIV患者が起こした小さな奇跡

2018年01月22日掲載

「HIV陽性」Tシャツを着た自身の写真を手に、笑顔を見せるシアーマ
「HIV陽性」Tシャツを着た自身の写真を手に、笑顔を見せるシアーマ

ケニアの首都ナイロビに位置するアフリカ最大級のスラム地区・キベラ。国境なき医師団(MSF)はここで20年にわたりHIV/エイズ治療プロジェクトを運営し、治療に取り組んできた。

活動を支えているのは、地元出身のスタッフだ。その多くは、MSFの治療でHIV/エイズを克服した「元患者」たち。自身の闘病を通じて得た知識や経験を活かし、患者に寄り添う。

ヘルス・プロモーター(健康教育スタッフ)として地域の保健センターで働くシアーマ・ムシネも、MSFの治療で命をつないだ一人だ。エイズに対する偏見が根強く残るなか、アクティビストとして「HIV陽性」をカミングアウトし、治療薬を普及させ、患者を取り巻く環境を良くすることに尽力してきた。「人びとに前向きな変化をもたらしたい」と語るシアーマ。こんな奇跡を起こした。

「ケニア人のためではなく、世界のために働いているんです」

ヘルス・プロモーターは患者宅を訪問し、服薬のチェックや治療法の説明を行う ヘルス・プロモーターは患者宅を訪問し
服薬のチェックや治療法の説明を行う

私はキベラに住むイスラム教徒として初めてHIV感染を公表しました。(人種的マイノリティの)ヌビア人、そして(性に関する戒律に厳しい)イスラム教徒である人間にとって、HIVのことを公にするのは大変なことでした。周囲から罪人と見なされ、家族は一切関わりたがりませんでした。

MSFでの治療を通して、自分の健康に気を留めるようになり、HIV/エイズについての知識を深めました。やがて患者たちのために声を上げました。2004年、タンザニア・アルーシャで開かれたG8閣僚級会合で100人超のHIV患者を引率しました。目的は、HIV治療のための資金を拠出するよう援助国に要請することでした。

世界エイズデーにケニアのニャヨ・スタジアムで行進するアクティビスト 世界エイズデーにケニアのニャヨ・スタジアムで
行進するアクティビスト

しかしタンザニアに入国する際、会場に向かう許可が降りませんでした。タンザニア政府は私たちが騒ぎを起こすことを懸念していたからです。私たちは譲らず、4人が警察に連行されました。私は警察本部長に「私たちはケニア人のために来たんじゃありません。世界のためにここにいるのです」と訴えました。とりわけ、治療を受けられずにいる人のためだと。そうした人たちも治療する必要があると。そして、こう言ったんです。「あなた自身が感染していなかったとしても……無関係ではいられないんですよ」

「HIV陽性」と書かれたTシャツを着た患者たちは、デモ行進で「ファンド(※)にお金を。人びとに治療を」と呼びかけ、治療薬の普及を求めました。

次の日、新聞に大きく取り上げられました。「HIV感染者、HIV会合から締め出し」と。ラジオで私の名前を聞いた親族から次々に電話がかかってきました。私の仕事を自慢に思うと伝えるために連絡をくれたのです。

  • グローバルファンド「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」のこと。

この抗議行動から1週間後は2004年12月1日の世界エイズデーだった。MSF、シアーマらアクティビストは再びデモに出た。コフィ・アナン国連事務総長(当時)は、アクティビストと話し合うために使節を送り、HIV治療薬普及のための資金提供をG8に促すことを確約。その2週間後、ケニア政府は、ケニア国内でのHIV/エイズと日和見感染の治療を無償化すると発表した。全国への無償HIV治療導入は、MSFやケニア、キベラだけでなく、全世界にとって新たな章の始まりとなった。

MSFはキベラで1997年から活動を始め、地域住民20万人超に基礎医療や産科を含む包括的医療を提供。このプロジェクトは20周年を迎え、地域の対応能力も上がったことから、MSFは診療所をケニア政府と他のNGOに委譲した。MSFが撤退した後も、これまでの活動を支えてくれた現地の人びとを通じて「患者を勇気づけ、分け隔てなく治療する」MSFのスピリットはこの地に息づいている。

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