シリア:命がけの避難、その悲惨な実態を証言

2017年04月10日掲載

市街地に放置された野戦砲の残骸

内戦が続くシリアで、ラッカ市をめぐる戦闘が激化し、住民が巻き込まれて被害を受けている。爆撃、市街地での戦闘、迫害、見せしめの処刑に苦しめられてきた何千人もの住民が、少しでも安全な場所へ避難するために命がけで移動を続け、検問所や地雷が埋まっている地域を通過している。

ラッカでは2013年前半、政府軍と反体制派の衝突が戦闘や空爆へと激化し、その時点で多くの住民が避難している。最近では過激派武装勢力「イスラム国」が一帯を支配している一方、連日のように爆撃があり、脱出がはるかに難しくなっている。しかし、市内に残ることもリスクが高い。

モハメドさん(仮名、35歳)がラッカ脱出を試みたときの悲惨な体験について、治療を担当した国境なき医師団(MSF)に明かした。

  • 2017年2月にシリア北部で取材した記事です。

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一家で避難しようとしたが……

戦線が日に日に接近し、市街地が空爆されるようになったため、避難を考え始めていたときのことです。市場で仕事をしていて、「避難するなら農家のキャンプ地に身を隠し、そこから北に向かうと良い」という話が耳に入りました。

あくる日すぐに、妻と4人の子どもを連れて出発しました。その晩はキャンプ地に泊めてもらい、食事も分けてもらいました。次の日、シリア民主軍(※)の支配地域まで送ってくれる車が見つかりました。運転手と取り決めた運賃は10万シリアポンド(約21000円)、それは私たちの所持金すべてでした。ところが運転手は、出発後すぐに私たちを道端に降ろし、そのまま走り去ってしまったのです。

  • 反体制派組織

長男は私の腕の中で……

あてもなく助けを待つ間に……

そんな目に遭ってからしばらく経ち、バイクに乗った高齢の男女が目に入りました。私たちのほうへ近づいてきたので、呼び止めて助けを求めました。彼らも避難している途中でしたが、北部のシリア民主軍の検問所まで子どもたちを運べるようにと、バイクを譲ってくれました。

バイクに長男と娘を乗せ、妻と残りの子どもたちは徒歩で出発しました。100mほど進んだところだったでしょうか。バイクが地雷を踏んでしまったのです。

妻が悲鳴を上げて駆け寄って来ました。長男は額に大けがをして意識不明の重体、娘は両目、私はあごと首と両手に重傷を負いました。私は長男を抱き起こし、妻は娘を抱きしめて、車が通りかかるのを待ちました。どんな車でもいい、とにかく車を待っていました。長男はそのまま私の腕の中で息を引き取りました。遺体はそこに安置しておくしかありませんでした。

出血している私に手錠、「死なせてしまえ」

私自身も意識を失う寸前でした。やっと車が通りがかり、ラッカから北西に23kmのところにあるマズラト・ティシュリン村の医師のところへ連れていってくれました。その医師に「病院で治療を受ける必要がある」と言われ、ラッカに引き返すことになったのです。

ところが、ラッカ病院では「イスラム国」の構成員に締め出されてしまいました。出血している私に手錠をかけ、こう言い放ったのです。「死なせてしまえ」

そのまま2時間ほど放置されていました。私はついに医師に治療を求めるジェスチャーをしました。首の出血で声が出せなかったのです。しかし、その医師は泣きながらも、近寄って来てくれませんでした。「イスラム国」の命令に従わなければ殺される恐れがあったからでしょう。

現地の医師たちが直面している恐怖

それからまたしばらく経って、上官がやって来ると、その医師に私の治療を指示しました。ようやく手術室に運び込まれたのですが、その直後に、「イスラム国」の構成員の負傷者が担ぎ込まれてきて、医師はそちらの治療に呼ばれて行きました。

しかし、間もなく戻ってきて私の治療をしてくれました。その医師は私に謝りつつ、「誰の治療を受けたかは他言しないでほしい」と頼まれました。現地の医師たちの恐怖はそれほどのものなのです。

入院は3日間。経過観察にきた医師は、私が一銭も持っていないことに気づき、いくらかのお金をほどこしてくれました。

市場に現れた男性の申し出に……

銃弾で穴だらけとなった住宅
非戦闘員も容赦ない攻撃にさらされている

数日後に帰宅し、市場での仕事にも復帰しました。私たち一家に起きたこと、つまり長男の死や娘のけがが周りの人たちに知られるところとなりました。市場にある男性がやって来て、北部の比較的安全な場所へ、私たち一家を避難させると申し出てくれました。信用していいものか迷ったのですが、連絡先を手渡され、心配しなくていいと言われました。私たちを無償で安全に送り届けると誓ってくれたのです。

それでも最初は不安でしたが、翌日、待ち合わせの時間に約束の場所へ向かいました。男性は私たちを車に乗せ、複数の検問を避けて市外に出て、彼のお母さんの家に連れて行ってくれました。

しばらくそこで待機している間に、彼のお母さんこれまでの出来事を話しました。彼女は涙を流し、「息子も同じ経験をしたのですよ」と明かしてくれました。そして、その息子、つまり私たちを助けてくれた男性に「必ず無事に送り届けてあげなさいね」と言ってくれました。私たちは日が暮れてからまた車に乗り、ヘッドライトは消灯したまま、目的の検問所を目指しました。

「私は泣き出してしまいました」

モハメドさん一家がたどりついたシリア北部

検問所が近づくと、頭上で威嚇射撃が2発、鳴り響きました。車を止めた私たちに、シリア民主軍の構成員からライトで「進め」との合図がありました。神様のご加護で地雷を踏むこともなく、無事にアル・ヒネイザト検問所にたどり着いたのです。私は泣き出してしまいました。

ようやくたどり着いたこの北部の避難キャンプで生活を始めて1ヵ月になります。ここは安全ですが、経済状態はよくありません。たまに仕事にありつけますが、娘には眼科外科医の診察が必要ですし、私の指とあごの骨折も経過観察が必要です。

ラッカの状況が落ち着いたら、また戻るかもしれません。少なくとも住まいはあちらですし、生まれた町でもあるので……。

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