シリア: クラスター爆弾が降りそそぐ——アレッポ市東部

2016年12月06日掲載

アブー・アフメドさん(仮名)のスケッチ アブー・アフメドさん(仮名)のスケッチ

シリア・アレッポ市東部。コンピューター修理業のアブー・アハメドさん(27歳、仮名)が友人との待ち合わせ場所に向かっている途中、爆撃が始まった。クラスター爆弾が降りそそぎ、その破片がアブー・アハメドさんの左足を貫通した。

それから1ヵ月。左足の骨折はいまだ完治せず、唯一の望みはトルコで専門的な整形外科手術を受けること。しかし、シリア政府軍が包囲しているアレッポ市東部から出ることができない。寝たきりで途方にくれている彼の目に、連日の爆撃でがれきと化していく街が映っている。(取材日:2016年11月24日、28日)

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毎朝のコーヒーの時間に

爆撃が繰り返されているアレッポ市東部 爆撃が繰り返されているアレッポ市東部

私は毎朝、友人たちとコーヒーを楽しんでいました。その日の朝、友人たちの到着が遅れている間に爆撃が始まったのです。隣人の自宅の脇に1人で立っていると、ミサイルが向かって来る音が聞こえました。でも、見つけられませんでした。近くの建物めがけて走りましたが間に合いませんでした。

クラスター爆弾でした。いくつもの子弾(※)が爆発して周囲の建物に命中し、私の左足を貫通しました。左足以外は表面的な傷だったのですが……。

  • クラスター爆弾は、大型の容器(弾体)に子弾と呼ばれる小さな爆弾を多数入れた形状で、爆撃被害を広範囲にもたらす。国際条約で禁止されているが、シリアやロシアは署名していない。

運よく救急車に乗せられて

アブー・アフメドさんの脚のレントゲン写真 アブー・アフメドさんの脚のレントゲン写真

私はショック状態で地面に倒れました。左足を失ったような感覚でした。みんなが遠巻きに私を見ていることがわかりました。多くの子弾が不発弾となって辺り一面に散乱していたからです。また、助けに集まったところを狙われる"第2波"への不安もあったのでしょう。5分ほどそのままで、ようやく戦闘機が飛び去ったと確信したようでした。

みんなが担ぎ上げようとしてくれたのですが、私は痛みのあまりただ叫ぶだけでした。そこで救急車を呼んでくれて、運よく無事に到着しました。病院までは車で数分の距離ですが、その日は別の経路を走る必要がありました。多くの道路ががれきと遺体でふさがれていたためです。

病院でレントゲンを撮り、手術室へ運ばれました。爆発で脚の関節が脱臼し、大腿骨が粉砕されて断片化していました。脚を切断しなければいけないのかと医師に尋ねると、その必要はないとのことでした。

窓もドアもない病室で

手術が終わり、2階か3階の1室に運ばれました。とても狭く、爆撃の被害で窓にはよろい戸もガラスもありませんでした。その部屋には誰かがひっきりなしに出入りしていました。

こんな部屋に寝かされているといつまた爆撃に遭うかもしれない……。枠だけになった窓から戦闘機の旋回音がずっと聞こえていました。1時間が限界でした。圧迫感に耐えられなくなり、自宅に帰してほしいと頼みました。

帰り着いた自宅は真っ暗。隣の家の方が私を2階の自室まで運び上げ、ベッドに寝かせてくれました。少し休みたかったのですが、無理でした。周辺からはまだ飛行音とミサイルの爆音が聞こえてきました。爆撃は夜間まで続いていたのです。

抗生物質も鎮痛剤も全く効かない

病院で抗生物質と鎮痛剤が処方されていましたが、全く効きませんでした。1週間で容体が上向くと聞かされていましたが、逆に眠れないほどの激痛になっていました。救急車が走っていないので病院に行けず、行けたとしても医師の診察が受けられる保証はありません。

そこで回復を早める方法を探しました。看護師の友人たちや、伝統療法に詳しいお年寄の助言を受け、牛乳とはちみつを探しました。お金がないので借金をするつもりでした。ところが、牛乳もはちみつも見つかりませんでした。

親切な隣人たちがたびたび鶏肉や卵を差し入れてくれました。街は包囲されていますが、それでも皆、ニワトリを1羽か2羽ぐらいは飼っているのです。

16日間が経過したころ、太ももがはれはじめました。触るだけで痛くて、毛布を掛けることさえできませんでした。

衝撃の宣告

病院に運んでもらおうにも乗り物の手配がまったくできません。燃料不足で自家用車はほとんど走っていなかったのです。結局、救急車を頼み、救急隊にこう伝えました。「運べない状況なら、私は、はってでも病院へ行きますよ」

ようやく病院に運んでもらうことができ、再びレントゲンを撮って、1ヵ月後の再診を指示されました。レントゲン写真を友人が包囲地域の外にいる知り合いの整形外科医に送ってくれました。届いたのは悪い知らせでした。「手術は失敗だ。最初からやり直さなければならない」

この街で再手術を受けられる可能性はほとんどありません。しかも、専門的な外科手術を受ける必要があると言われました。それを受けられるのは国境の向こう、トルコだと。

食事ものどを通らないほど落ち込みました。回復を信じて、1ヵ月も寝たきりで安静にしていたのです。5倍にも値上がりした鎮痛剤を手に入れるため、友人たちに地元の薬局を回ってもらったのです。それが全てむだだったと知らされた瞬間でした。

「いつかここを離れるつもりです。方法はまだわかりませんが……」

包囲されていなければ、別の医師に診察してもらい、専門的な手術を受けるためにトルコまで行ったと思います。現実は、包囲が解かれるまで鎮痛剤でしのぐことになるでしょう。

家族はほとんどトルコに住んでいます。私がアレッポに残ったのは友人たちがいるからです。姉もアレッポにいます。一時帰宅して街を離れる日に自宅が爆撃に遭い、そのまま街を出られなくなってしまったのでした。

私は今、自宅の部屋から出ることもままなりません。家の周りや町の様子を見たい。外の風景を忘れないように写真を眺めています。友人たちが毎日に見舞いに来てくれることが救いです。

爆撃の最中も避難せずに部屋にいます。自宅は3階建てですが、ミサイルは地面まで貫通するでしょう。この身体で下まで降りる意味がありません。ドアは全て壊れ、隣の建物も壊れています。道路は寸断されています。いつかここを離れるつもりです。方法はまだわかりませんが……。

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