ナイジェリア:長期化する避難生活に患者たちは——MSF診療所から

2016年11月16日掲載

早朝から水を汲むために列を作る避難キャンプの人びと

ナイジェリア北東部に位置するボルノ州では、武装勢力「ボコ・ハラム」の襲撃から逃れた大勢の人びとが国内避難民となって過酷な生活を送っている。避難先でどうにか食費を稼げるだけの仕事にありつけた人はまだいいほうだ。

避難民キャンプに入るしかなかった人びとは、食糧の確保に頭を悩ませ、粗布袋と棒切れで作った小屋で寝泊りしている。子どもが病気になっても、病院へ行くお金も薬を買うお金もない。

国境なき医師団(MSF)がボルノ州の州都マイドゥグリで運営している診療所、産科病院、栄養治療センターは、こうした避難者を対象とした無償の医療提供を行っている。人づてに診療所のことを知り、病気の子どもを連れてきた方々に話を聞いた。

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失職して2年、子どもは学校にも行けず/ビントゥ・バシールさん(30歳)

私はガンボル生まれでマイドゥグリに移り、関税事務所の近くに住んでいます。子どもが8人いましたが、3人を亡くしました。ここにはファティマ(16歳)の付き添いできたのです。娘は生後5ヵ月で 鎌状赤血球性貧血と診断されました。この病気は急に発症します。来院したのはこの2ヵ月で2度目です。症状はよくなりましたが、脚に痛みが残っていると言うのでもう少し滞在しています。

この診療所のことは近所の方から聞きました。初めて来院したときの治療がよかったので、また来院したのです。

私たち家族の最大の問題は食糧不足です。何日もまともな食事ができないこともあります。夫はレンガ職人ですが、失職して2年になります。毎日出かけていきますが、大体は手ぶらで帰ってきます。食べ物をご近所や援助をしてくださる方々に頼っています。食べ物をいただけたら食べる、という具合です。いただけないときは空腹に耐えています。

子どもたちは一時期、学校に行っても家に返されていました。学費が払えなかったからです。夫と私は学校に足を運んで嘆願しました。その結果、私たち一家の家計の事情を汲んでくださり、子どもたちを復学させてくれました。

布と棒切れで作った小屋で/ザイナブ・アリさん(60歳)

孫娘のアイシャ(8歳)が18日前に入院したので、私が付き添っています。孫はけいれん、下痢、頭痛を起こし、何度も吐いていました。ここに運んできた時には意識がなく、食べ物も受けつけませんでした。治療を受けて回復し、昨日から食事をとっています。

アイシャの母親は私の実娘で、ここに一緒に来ていますが、赤ちゃんも一緒なので外で待っています。ですので、私がアイシャの世話をしています。

私たち一家はムナ・ガレージ避難民キャンプに滞在しています。もう2年になります。それまではアルカレリというマイドゥグリ近郊の村に住んでいました。アルカレリからムナまでは徒歩で3時間です。

夫は5年前に病気で亡くなりました。私には7人の子どもがおり、それぞれ粗布袋と棒で作った小屋に住んでいます。娘夫婦と赤ん坊で1軒、私とアイシャで1軒、他の子どもたちも自分たち用に1軒建てました。

食べ物の確保と仮設小屋には悩まされています。アイシャの父親がココナツを売ってトウモロコシと雑穀を買ってくれます。分量は足りてはいませんが、ほかにどうしようもありません。難民キャンプでは農業もできません。キャンプの外へ出ることは許されています。出入口の警備員から毎回、検査と質問を受けます。持ち物があれば、カップ1個であっても中身は何で、どこで手に入れたかを聞かれます。

1日に1回しか食べられない日も/サラ・カウさんとアルハジ君(9歳)

紛争から逃れるために故郷のディクワを離れ、マイドゥグリまでの道沿いにあるルワン・ゼフィに滞在しています。夫と5人の子どもと一緒です。アルハジは2番目の子どもです。ここしばらくとても体調が悪く、食べると吐いてしまい、けいれんしたり血便が出たりしています。

それで昨日、この診療所に運んで来たのです。お医者さんたちは点滴を打ち、お薬をくれました。おかげで回復してきています。入院してからけいれんは起きていませんし、不調も訴えていません。

生活は厳しいです。食べ物は高く、晩には何も食べないことも多くあります。1日に1回しか食べられない日もあります。夫は以前、お店を持っていました。でも今は仕事についておらず、収入がありません。私も働いて商売をしたいのですが、その方法がありません。子どもを学校に通わせたいです。就学年齢の2人のうち1人しか通学していませんから。

MSFの治療にとても感謝しています。MSFは食糧と毛布をくれて、治療もしてくれるのですから。

初めての出産/ファティマ・モハメッドさん(20歳)と生後1日の息子

初めての子どもです!昨夜0時の2分前に生まれたばかり。出生体重は2.7kgでした。とても痛かったけれど、お産はうまくいき、合併症もありませんでした。息子は、生後1週間目に催される、名づけの式典で名前をもらう予定です。私と夫の家族が集まってお祝いをします。

私と夫はマイドゥグリ市内グワンゲにある家に住んでいます。物価が高くなるのは困りますが、なんとかやっていけています。夫は溶接工で、いくらか収入がありますから。

大勢のお母さんたちがMSFの産科病院でよくしてもらえたと言っていたので来院しました。町ではいつもそのようなことが話題になっていますから。お母さんになるというのはいいものです。もっと子どもがほしい。10人くらいかな(笑)。この子は学校に行ってお医者さんになってほしいですね。お医者さんたちの仕事をとても尊敬していますので。

一般の病院に通えるお金はなく……/ハウワ・イブラヒムさん(20歳)

グウォザ周辺から避難し、軍の護送で1ヵ月前に一家でマイドゥグリにやって来ました。子どもは2人ですが、最初の子どもは亡くなりました。2人が今日生まれたこの子です。

マイドゥグリ市内ンゴマリ地区の借家に住んでいます。夫はヤムイモを扱う商売をしています。今は食べ物に困ってはいませんが、家族の服を買ったり、家計を支えるための小商いを始めたりするほどのお金はありません。

MSFの診療所は家から近く、無償ということだったので、こちらに入院することにしました。病院はもう1軒ありますが、そちらは治療費が必要で、そのようなお金はないからです。

諦めかけていた娘の命/マリヤム・ダヒルさん(35歳)

マイドゥグリ市内ジッダリ地区に住んでいます。MSFの診療所には最初、ファルマタ・ウマール(1歳)を連れてきました。ファルマタは2週間入院しました。お乳を吸う元気も食べ物を食べる元気もなく、体調がどんどん悪くなっていきました。

総合病院へ連れて行ったのですが、ベッドに空きがないと断られました。ただ、外国人のお医者さんが無償で治療しているからと何人かに勧められ、こちらに連れてきたのです。到着した時には、ファルマタはもう意識がありませんでした。命が助かるとは思えなかったのですが、治療を受けて回復して、もう結婚できるほど元気になったんですよ(笑)

ファルマタが退院してから1週間後、今度はモハメッド・ウマルが体調を崩しました。熱もあったので、昨日また来院したのです。モハメドは大事にいたらず、今は食欲もあります。

物ごいをしてしのぐ日々/ラルバラ・ムスタファさん(30歳)

コンドゥガから来院しました。ブカル・ムスタファ(3歳)を連れて16日前に到着しました。ブカルは3ヵ月も体調を崩したままです。一般の病院に連れて行くお金はなく、MSFの診療所のことも知らなかったので、3ヵ月間ずっと伝統医療の薬を飲ませていたのです。

そんな時、誰かが「ボロリにあるMSFの医療施設では無償で治療を受けられる」と話しているのを聞きました。ブカルを連れて行ったところ、ここを紹介されたのです。むくみ、せき、下痢が続いています。

武装勢力の「ボコ・ハラム」が村に侵入し、仲間に加わるか町を出るかを選べと迫りました。私たちは出て行くことを選び、マイドゥグリ近郊のバレ村に避難しました。2年前のことです。昨年、夫が殺され、続いて姉の息子と義理の弟も殺されました。

両親もマイドゥグリにいますが、親類のうち20人は故郷を追い出されたまま消息がわかりません。その大半は母の兄弟姉妹です。

私は3人子どもがいて、みなでダラのバス亭近くの泥壁の家に住んでいます。毎日子どもを連れて物ごいに行っています。生きること自体が本当に難しくなっています。1日に100ナイジェリア・ナイラ(約36円)めぐんでもらえるかどうかですから。

いつも空腹です。お腹をすかせたまま寝ることもあります。コンドゥガに帰りたいかどうか、自分でも分かりません。母の気持ち次第です。母が帰りたいと言えば、一緒に帰ります。そうでなければここにとどまります。

財産すべてを食糧に換えて/マルン・イドリッサ(50歳)


夫と子どもたちの家族と一緒に住んでいます。子どもは2人いて、1人は結婚しています。このキャンプに来て1年近くになります。故郷を追われ、何日も歩いてマイドゥグリに着きました。

一番の問題は食べ物です。ありつけるものといえばソルガム(キビの一種の穀類=写真)だけです。わずかな所持金で買えるのはそれしかありません。キャンプに到着してから食べ物をもらえたのは2回だけで、赤十字からの援助でした。お米、食用油、豆をくれましたが、ずっと前に食べきってしまい、今は飢えとの闘いです。

避難してきたときは牛10頭も一緒だったのですが、すべて食べ物を買うためのお金に換えてしまいました。もうわずかなソルガムしか残っていません。これがなくなれば、奇跡が起こるように祈るしかありません。もうずっと前からやっているように。

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