スーダン:部族間抗争が再発、"負の連鎖"の懸念
2013年08月05日掲載
スーダンのダルフール地方で抗争が再発し、多数の負傷者が出ていることから、隣国チャドで活動している国境なき医師団(MSF)が負傷者を受け入れ、24時間体制で治療にあたっている。1週間で30人を治療し、そのうち13人が銃で撃たれている状況だ。MSFの治療を受けている患者に話を聞いた。
マハマトさん(仮名、20歳)

スーダンのウム・ドゥクン出身です。町に抗争が及び、家族とともにマラデフに避難しました。しかし、7月最終週、抗争はマラデフにまで広がり、町は貨物用トラックで乗りつけた重装兵に攻撃されました。戦闘が起きた最初の夜、私は兄弟とともに身を守ろうとしましたが、負傷しました。しかし、現地の病院での治療を阻まれてしまいました。
翌日、兄弟が私を、国境を越えたチャド側のMSF診療所に連れて行ってくれました。そこで治療を受けましたが、「けがの程度が重く、できる限り早くティシの病院に移らなければならない」とのことでした。
MSFが交通費を立て替えてくれたため、バイクを借りることができました。道が浸水していて移動に時間はかかりましたが、なんとかティシの病院に到着しました。MSFにとても感謝しています。それから、治療を受けられて本当によかったです。
ハサンさん(仮名、25歳)
抗争が起こる前は、スーダンのウム・ドゥクンに家族と住んでいました。数ヵ月前、ミセリヤという部族が私たちの家を焼き、財産をすべて奪っていったのです。家族も犠牲になりました。一番上の兄の子どもが2人亡くなりました。おばの子どものうち、1人が亡くなり、1人が行方不明になっています。
襲撃のあと、家族でマラデフの町に移りましたが、ミセリヤ人は7月末にマラデフも攻撃したのです。重装兵を相手に、私も応戦しました。何十人もの人が亡くなり、大勢が負傷しました。私も背中に被弾したのですが、重傷ではなく、歩いてチャド国境を越えられました。ほかの負傷者の移動手段は馬や荷車でした。
10時間ほど歩いたところで、MSFが私たちを見つけ、車に乗せてくれました。今は回復に向かっていますが、けがが治ったらまた自衛に努めるつもりです。今回の抗争はもはや、私自身に関わることなのですから。
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