エボラ出血熱:私たちが勝者となる日まで(中)

2014年11月08日掲載

エボラ出血熱の流行は、地域の人びとの生活を激変させた。国境は封鎖され、経済活動は停滞し、患者は今なお増え続けている。そうした状況でも決してくじけず、国境なき医師団(MSF)のスタッフとして"いま自分にできること"に全力を尽くしている青年がいる。

エボラ出血熱:私たちが勝者となる日まで(上)

エボラ出血熱:私たちが勝者となる日まで(下)

モハメド・レノ/衛生スタッフ

私の出身は隣国のギニアです。シエラレオネには英語の勉強のために来ました。エボラの流行が始まってから、国境は封鎖されています。

私は銀行員と学生を両立していたのですが、その生活は様変わりしました。

現在は、カイラフン県でMSFが運営するエボラ治療センターの「給排水・衛生タスクフォース」の一員です。私のMSFでの活動は草刈りから始まりました。そこから大工になって、治療センターの建設に携わりました。次に、スプレー担当者です。塩素消毒液の噴霧器を持ち、戸口に膝をついて出入りする全ての人の長靴にスプレーをしていました。

やがて、治療センター内の担当になりました。脱衣室の補佐係です。黄色い防護服に身を包んだスタッフに装備を外すいくつもの手順を指示し、防護服と長靴に消毒スプレーをかけていくのです。

現在は感染制御が担当です。エボラウイルスの拡大抑止に注力しています。治療センター内のテント、トイレ、救急車、遺体を消毒します。塩素消毒液は私の一番の友達です。適切に扱えば、治療センターの安全性を高められるのです。

この職務ではエボラの最悪の側面にも立ち会うことになります。救急車の中で患者が還らぬ人になっていることも珍しくありません。救急車のドアを開けて、初めてその事実を知るのです。

患者は私の付き添いで救急車からトリアージ用テントまで行き、水と軽食を受け取ります。そこでようやく、長くつらい移動を終え、息のつける瞬間が訪れます。亡くなった人がいる場合は遺体を消毒し、埋葬チームへ引き継ぐ準備までが私の仕事になります。中には最期に顔を合わせる人間が私や同僚という人もおり、いつもつらい業務です。

私はエボラに命を奪われてしまった人びとへの敬意を決して忘れません。埋葬チームに引き渡したあとは、救急車を消毒し、これからも病気の人びとを搬送できるようにします。

治療センター近くの町や村から来た患者については、自宅まで赴き、消毒を行うこともあります。塩素消毒液を噴霧するのは壁や家具、トイレ、床などです。周辺の住民からはいつもいぶかしげな視線を向けられますが、うつむいたままで、その場の安全確保のためにできることをしています。

治療センター内で患者が亡くなるのは、いつでも悲劇です。あちこちに付着した体液が、患者の奮闘もむなしく、エボラが勝利したことを伝えます。そんなときは、ふき取り用のパッドと塩素消毒液を持参し、死の痕跡を消していきます。

黄色の防護服と手袋とマスクを着けて噴霧器を携えていれば安心できます。危険にさらされる衛生スタッフの職務はとても大変な仕事です。防護服を着たままで清掃や片づけをするので、大量の汗をかきます。落ち着いて、手順を守らなければなりません。何か間違いを犯せば、重大な結果になりかねないからです。

母国のギニアでもエボラとの闘いが続いていることはわかっています。しかし、シエラレオネで援助に携われて、うれしく思っています。効果を確信しているからこそ、この仕事にやりがいを感じられるのです。

関連情報