エボラ出血熱:自転車に乗りたい少年——MSF治療センターにて

2014年09月30日掲載

MSF心理療法士のアナと患者のパトリック MSF心理療法士のアナと患者のパトリック

国境なき医師団(MSF)の活動に心理療法士として参加しているアナ・ビョル・フェルドセーテル(31歳)は、ノルウェーのトロントハイム出身。エボラ出血熱の大流行が続くリベリアの首都モンロビアで、1ヵ月にわたり緊急対応に携わった。

彼女が赴任したMSFのエボラ治療センターは、感染者や感染疑いの人が収容される区画と、スタッフや見舞客が滞在する区画に分けられている。彼女はそこで、1人の少年に出会った。母を亡くし、父と2人で入院しているパトリック・プーペル君(6歳)。任務を終えたフェルドセーテルが、彼との交流を振り返る。

記事を全文読む

向こう側とこちら側

二重フェンスの向こう側とこちら側 二重フェンスの向こう側とこちら側

リベリアを2つに分けるオレンジ色の二重フェンス。エボラ出血熱を食い止めるため、健康なこちら側と苦境に置かれた向こう側を隔てるため、そして"隔離看護"という立派な目的のため。

フェンスの向こう側のパトリック。こちら側に立っている私。私たちは毎日顔を合わせ、微笑みをかわし、手を振り合う。まだ子どものパトリックの友だちは、年齢が5倍も上の大人ばかり。人生を終えるには早過ぎるその幼さを、埋め合わせようとしているかのようだ。

パトリックが友だちとチェッカーやポーカーで遊ぶのは、体調がましなときだ。そのほかは、私が持ち込んだラジオで「BBCアフリカ」に耳を傾ける。少しひきつった笑顔ではにかむパトリックの右目のわきには、生傷がひとつ。母親を亡くしたばかりで、父親とともにエボラ治療センターで療養している。

寄り添うことは危険なこと

私は毎日、自らにこう言い聞かせる。「あの子に気持ちを傾けすぎてはダメ。1週間後には永遠にお別れすることになるかもしれない。その後も任務は続くでしょう?あなたがここで何をしているのか、わからないの?」。ラジオから答えが流れてくる。「エボラ対策」。 その通りだ。エボラの致死率は最高90%。フェンスの向こう側の人びとは、こちら側に戻っては来ない。寄り添うことは危険なのだ。

それでも、割り切れない気持ちが残る。毎朝、職場に到着すると、パトリックの引きつり気味の笑顔を探さずにはいられない。彼の体力のわずかな変化を気にせずにはいられない。彼に手を振り、その笑顔と医療記録に回復の兆しを見出そうとせずにはいられないのだ。どこかに希望が見えないか、マスクやゴーグルや二重の手袋の着用にわずらわされることなく、一緒にポーカーができるという希望は見えないだろうか。

覚悟はしていたけれど……

しかし、悲しい朝はやって来た。覚悟はしていたけれど、パトリックと手を振り合えない朝。向こう側の彼は、日陰のマットレスに横たわっている。"友だち"が心配そうに彼の周囲を行き交う。私は防護服を身に着ける。最悪の事態が起きたら……。

病棟内で彼の父親に話を聞いた。パトリックは一晩中、腹痛を訴えていたという。彼の唇は乾ききって、表情は熱っぽく、目はうるんでいる。いつもの元気がない。それでも、私の姿を見て、笑顔を作ろうとする。

「パトリック、私たちは友だちよ。今日は体調が悪そうね。心配だわ。何かできることはある?」。彼は顔をあげ、何かささやいた。ごわごわした宇宙服のようなものを身につけた私は彼の口元に耳を寄せる。「自転車が欲しいって、言ったんだよ」

ああ……。どこで自転車に乗るの……。大好きなお母さんが病気になっても、そのそばを離れず、いまはあなたがオレンジ色のフェンスに囲まれている。自転車の乗り方を覚える機会はきっとないわ。ただおなかが痛いだけだと思う?いつも遊んでいる"友だち"から聞いてない?エボラの患者はやがて血便を出すというBBCアフリカの説明の間、お兄さんたちがラジオの音を小さくしてしまったの?

施設を出る。ゴーグルを着けたまま泣くのは嫌だ。パトリックと出会ってしまった自分が恨めしい。なぜ、ノルウェーを離れたりしたのだろう?今日はもう、休もう。これからは普通の仕事を探そう。

「俺は忘れてねえよ!」

エボラ完治の証明書を手にして笑顔を見せるパトリック エボラ完治の証明書を手にして
笑顔を見せるパトリック

そう思っていたけれど、翌朝、何かに引き戻されるように施設に向かった。パトリックの父親の様子を見ておきたい。たとえ、彼の周りで何が起きていたとしても。父親にも疲労が見えるが、フェンス越しに微笑んでくれる。その横で、イスに沈み込んでいる誰かが、引きつり気味の笑顔ではにかみながら手を振っている。

パトリックだ!イスから立ち上がるだけの元気はなさそうだけれど。私は防護服を身に着け、施設内に向かう。防護服からのぞく顔の一部が見えただけで、私だとわかったようだ。「アナは来たけど、自転車が来てないね」

容体が峠を越すと思ってはいなかった、なんて言えない。適当な言葉を探す。うっかり忘れてた、とか?パトリックの視線が厳しい。「姉ちゃんは忘れてても、俺は忘れてねえよ!」。パトリック、どこでそんな言葉を覚えたの?友だちから聞いた?これからは同い年の子どもたちと付き合うようにするって約束して!

パトリックと父親の退院は8月31日の日曜だった。2人とも憔悴(しょうすい)しきっていた。エボラが、右目のわきの傷よりも早く治るなんてちょっと信じがたい。パトリックはやせ細ってしまって、ズボンをひもで縛りつけなければならなかった。

エボラ治療センターからの"生還"は一大事だ。周囲の人は何週間か、怖がって寄り付かない。でも、怖くないことがわかると、突然、抱きしめたり、キスしたりしたがる。パトリックのように世慣れた少年であっても戸惑うことだろう。

エボラから回復すると、MSFは患者に完治証明書を発行する。パトリックはいま、フェンスのこちら側に立ち、はにかんだ笑顔で施設からの"卒業証書"を手にした。次は自転車の乗り方を学ぶ予定だ。

パトリック、"姉ちゃん"は決して忘れないわ。

関連情報