パレスチナ: 停戦後のガザ、重傷者の治療続く

2014年09月01日掲載

爆撃で破壊されたガザの街並み 爆撃で破壊されたガザの街並み

パレスチナ・ガザ地区の中核病院であるシファ病院は、50日もの間、戦闘と停戦が繰り返される時を過ごしてきた。2014年8月25日の晩、ようやく無期限停戦が発効。地区内の住民や緊急援助を続けてきた国境なき医師団(MSF)に大きな安堵をもたらした。

しかし、シファ病院の業務は続いている。停戦直前の爆撃による負傷者や、それ以前にけがを負いながら来院できずにいた人を受け入れているためだ。MSF日本から派遣し、シファ病院などで活動している田辺康医師(外科医)は「初期治療を受けたままになっていた患者が戻ってきて、忙しい日々が続いています。重傷の治療は、初期治療後のフォローアップが重要です。これをしっかりとやらなければ、合併症にかかることがあるからです」と話す。

田辺康医師のガザ・レポート
パレスチナ:ガザ、戦時下の救急救命室(ER)——MSF日本人外科医の報告

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中核病院を支援、MSF診療所では研修も

爆撃で負傷した人がシファ病院に運ばれてくる(8月8日撮影) 爆撃で負傷した人がシファ病院に運ばれてくる (8月8日撮影)

MSFは戦闘があった50日間で、医師、看護師、アドミニストレーター、コーディネーターら計37人の外国人スタッフを現地に派遣した。8月27日時点では、外科医2人、麻酔科医2人、集中治療室看護師1人がシファ病院で任務に就いている。

MSFは、形成手術、皮膚移植をはじめ複合的な外科処置の求められる重度熱傷患者を担当。特に難しい手術や長時間の手術のサポートも行っている。また、MSFがガザ市内で運営する診療所では、外科処置を受けた患者の術後ケア、包帯交換、理学療法士によるリハビリ訓練を提供中だ。

患者の大半、爆弾の破片で負傷

シファ病院には重傷者が次々に搬送されてきた(8月8日撮影) シファ病院には重傷者が次々に搬送されてきた
(8月8日撮影)

あシファ病院でMSFは、7月8日にイスラエル軍が「境界防衛」作戦を開始して以来、パレスチナ保健省所属のスタッフと協力して緊急対応にあたってきた。任務を終えて帰還したモーリス医師(胸部外科)は「けがの種類としては大部分が破片創です。全長1cm未満の小さな破片であっても、あらゆる組織を貫通し、肺を著しく損傷することがあるのです。私が執刀した患者の半数以上が女性と子どもでした」と証言する。

戦闘が激化した7月28日~8月10日、MSFは外科チーム3班を同病院に派遣した。陸上戦で負傷した人びとの来院が相次ぎ、重傷者は1日に30~40人にものぼった。救急処置室と手術室の対応能力の限界を超える数だった。

ケリー医師(麻酔科)は「多くの患者が爆発による破片で胸部、血管、四肢に複数のけがを負っていました。爆心地付近にいた人は熱傷を負うほか、爆風で肺がやられ、破片が身体に突き刺さります。衝撃波で脚の骨が粉砕骨折することもあり、その場合は両脚とも切除せざるを得ませんでした」と証言する。

シファ病院はガザ地区全域から患者を受け入れており、ベッド60床、手術室6室、熱傷患者用の集中治療室1室、救急処置室1室を備える。経験豊富な職員たちで運営されているが、ガザ市内では多くの病院が損壊したため、シファ病院にかかる負担は重い。引き続き外部からの援助が必要だ。

MSF診療所、停戦後の来院相次ぐ

一方、MSF診療所も、戦闘の影響を強く受けていた。激戦時には、患者の来院が見込めないと判断し、11日間にわたり業務を停止。交換用包帯の提供のみを行っていた。業務再開後も、来院したのは全患者の20~40%程度。多くの患者が今も消息不明だ。ただ、患者が一度に戻ってきたことで、診療所はごった返している。

ガザ地区におけるMSFの医療援助にさまざまな形態がある。シファ病院や術後ケア診療所での活動や、薬剤・医療物資の提供(シファ病院、中央薬局、ナセル病院、カマル・エドワン病院)などだ。中でも最も成果を上げているのは、MSFとパレスチナ保健省の連携だろう。

イスラエルによるガザ封鎖で、医療従事者は何年もの間、外国の医療者との知識・技能の共有、臨床経験の蓄積、国際的な医療学会への出席のための機会を奪われている。そのため、MSFから、外科・麻酔科その他の医療の新たな方法を学べることが貴重な経験となっているのだ。

MSFでは現在、パレスチナ人40人・外国人10人の合計50人のスタッフがガザ地区で活動。ヨルダン川西岸地区のヘブロンとナブルスでも心理ケア・プログラムを展開している。

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