パレスチナ: ガザへ空爆、病院も学校も標的に——避難者15万人超

2014年07月31日掲載

シファ病院ではMSFと病院職員が連携して治療にあたっている シファ病院ではMSFと病院職員が連携して
治療にあたっている

パレスチナ・ガザ地区へのイスラエル軍による攻撃が続き、自宅から避難した人は15万人を超えた。これはガザの人口約170万人の10%近くを占める。避難者は、中核病院のシファ病院周辺、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNWRA)が運営する学校周辺、近隣の住宅地、家族・親類の家などへ身を寄せている。避難者の中には国境なき医師団(MSF)のパレスチナ人スタッフも含まれている。

本記事では、MSFが活動しているシファ病院とその周辺や、MSF事務所に避難しているパレスチナ人スタッフの証言をもとに、現状とMSFの取り組みをレポートする。

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安全な避難場所を求めて

封鎖されている地区内への激しい攻撃で避難者は15万人を超えた 封鎖されている地区内への激しい攻撃で
避難者は15万人を超えた

MSFのパレスチナ人スタッフ2人は、家族と一緒にMSFの事務所に避難している。ここには約20人が滞在している。大半は女性と子どもで、そのうち1人は妊婦、もう1人は出産したばかりの若い母親だ。

彼らはベイト・ラヒヤ市から避難してきた。帰宅できる状況にはないという。洗濯ものが診療所の裏に吊り下げられている。子どもたちがおずおずと出てくる。MSFのレウィン看護師によると、避難者に3部屋を割り当て、最低限のプライバシーを保てるようにしているという。「おもちゃも少し持ってきましたが、診療時間中に子どもを外で遊ばせるような親はいませんでした」と話す。

夜になると、MSFチームは事務所に戻り、仕入れてきたばかりの情報をパレスチナ人の同僚に伝える。MSFの事務所に避難しているスタッフは「ここなら安心だと感じます」と打ち明ける。もう1人のスタッフは、トゥッファー地区から避難してきた。戦車の襲撃を受ける恐れがあると判断したからだ。彼は家族のうち4人をこの紛争で亡くしている。

一方、別のパレスチナ人スタッフは、いとこ一家を自宅に受け入れ、40人が3部屋で生活している。近所のアパートが空爆に遭い、5人が亡くなった。そこからも100人が避難してきた。

ガザでMSFのプログラム責任者を務めるニコラス・パラルスは「空爆で避難した人の正確な数を把握するのは不可能ですが、親類やご近所の家に滞在している人を含めると、20万人は確実に超えます」と話す。

中核病院のシファ病院周辺では

シファ病院の敷地内に避難している人びと シファ病院の敷地内に避難している人びと

国連によると、シファ病院周辺に避難している人は計2000人だという。7月21日の空爆以降、シュジャイヤ地区から逃れてきた人びとで、今も増え続けている。何もない路上に座り、仮住まいらしきものを手に入る材料で少しずつこしらえていく。マット、シーツ、木の枝などだ。

病院敷地内の廊下や裏手にある公園などいたるところに人がいる。子どもたちはふくらませて風船にしたビニール袋を持って駆け回っている。毛布にくるまれた赤ん坊の隣に腰かけている男性の顔には疲労がにじんでいる。木陰のプラスチック製ガーデンチェアに座って一息ついている女性もいる。

複数の地元団体によって食糧配給の準備が進んでいる。ボランティアが各世帯を配給名簿に加え、必須食糧を提供しようとしている。シファ病院の職員はごみ袋を携え、仮設住居訪問している。これは同病院のごみ処理活動の一環だ。

病院や学校も安全ではない

国連は14万人以上が国連の学校に滞在中だと推定している。こうした学校はもはや避難所となっている。1教室あたり80人を受け入れており、限界に近い。過密状態と水不足のため、少しでもバランスを崩せば、病気の流行も起きかねない状況だ。過密状態を解消するために、ガザの当局は、公立学校、モスク、教会を人びとに開放。これらの地点の座標をイスラエル軍に通知した。しかし、多くの人は自宅を離れたがらない。

シファ病院のボランティア看護師は「国連の学校には避難したくありません。条件があまりにも悪いからです。家にいたいです。私を入れて54人が自宅のある建物にいます。私たちが出てしまえば、イスラエル軍が私たちの建物を空爆するかもしれません」と話す。でも、留まっている限り、そうはしないでしょう」と話す。

彼女はベイト・ラヒヤ市の地域に住んでいる。ここは今回の紛争当初から激しい空爆があったところだ。ベイトハヌーン学校が7月24日に空爆を受けたこともあり、家族は病院や学校への避難も安全ではないと思い始めている。国際社会の存在があっても安全保障の足しにはならないからだ

過密状態、水不足、電力不足、空、陸、海からの爆撃による食糧供給不安、これらすべてを受けてガザ地区全体の保健医療状況は危機にある。7月26日に一時停戦が成立しかけたが攻撃は収まらず、がれきの中から収容される遺体は増え続けている。MSFは午後8時に窓を閉め、包囲されたガザの中で夜を迎えている。

「何が起ころうと、私たちは敗者です」——MSFのパレスチナ人スタッフの話

イスラエル軍の侵攻が始まった日、妻、息子(3歳)、娘(2歳半)を妻の実家に送り出しました。自宅にとどまるよりましだと思ったからです。私はMSFの事務所に残ることにしました。娘はすごく怯えていて、爆発音が聞こえると吐いてしまい、時には何時間もしゃべらなくなります。息子はまるで何ごともなかったかのように振る舞っています。

私も恐怖感でいっぱいです。MSFの事務所で、同僚と話し合ったり、コーヒーや水タバコをのんだりしているときは大丈夫だと思えます。でも、事務所を1歩出るとひどいものです。外は悲劇です。自宅に持ち物を取りに戻り、車に乗ったら動悸(どうき)がしました。ガザではこれまでにも紛争がありましたが、今回は最悪です。これほど激しく無差別な空爆など、見た事がありません。

私は1滴たりとも子どもたちの血がこぼれるのを見たくありません。かすり傷でも嫌です。紛争より悪いものはありません。何が起ころうと、私たちは"敗者"です。なぜなら子どもたちを亡くしているからです。家や車はどうでもよいのです。でも子どもたちは、はるかにかけがえのないものです。もし兵士が紛争で命を落とせば、悲しいことですが、それは彼ら自身の選択です。子どもたちは何も選んでいません。何の罪もないのです。

もし私が家族を守れなければ、どうやって自分の国を守れるのでしょう。私は国に属していて、国を大事にしていますが、盲目的にそうしているわけではありません。正しく公平であることは必要だと思いますが、過激主義は不要です。この紛争が終わる事を望んでいます。暴力には宗教がありません。すべての宗教は平和のためにあります。私は平和を信じています。心から。

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