連載「ことばは国境を越えて」 第1回:紛争地からの“ひとりごと”(3)

2020年02月07日掲載

(3)紛争地での「看護の力」

2015年、イエメンに派遣されたとき  © MSF2015年、イエメンに派遣されたとき © MSF

 紛争地では、中立の立場で人道援助活動を行っていても、さまざまな障害が立ちはだかる。国境なき医師団(MSF)のスタッフの安全の確保も、活動するうえでの絶対条件なのだが、近年は医療施設が空爆される事件が続発し、この条件を脅かしている。

医療活動が妨害され、罪のない多くの一般市民が恐怖にさらされ、血を流し、泣き叫んでいる。全く戦争に加担をしていない一般市民を救っても救っても、すぐにまた血だらけの死にそうな人が運ばれてくる。そんな日々を繰り返すうちに、私は戦争そのものを止めなくてはいけないと思うようになっていった。

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けがは直せても、戦争は止められない

MSFは医療援助団体だ。もちろん私に与えられた任務も、目の前の患者さんに医療を提供することだ。しかし、私が行っている活動は、戦争を止めるための根本的な動きに繋がっていない。このジレンマが頂点に達した時、私は人生の軸としてきた看護師という職業をやめ、ジャーナリストになろうという大きな決心をした。

私は怒っていた。報道では、どの国で戦争が繰り広げられ、空爆され、何人が死亡した、というニュースが流れる。しかし、私の目の前の光景——砕けた骨が皮膚から飛び出し、裂けたお腹から内臓が突き出し、もはや人間の姿をとどめていないような人びとの姿までは伝わっているのだろうか。誰かが伝えなくてはならないのではないか。 

空爆で足を負傷し手術を受ける少年の手を握り、励ます白川  © MSF空爆で足を負傷し手術を受ける少年の手を握り、励ます白川 © MSF

「看護の力」に気づく

心の整理がつかないまま、再び紛争地派遣の依頼を受けた。また同じようなジレンマに苦しむことは分かっていたが、いま、苦しんでいる患者さんがいると知っていて依頼を断る気にはなれなかった。

しかしこの時の派遣先で、私のその後の人生を左右する大きな気づきを与えられる。きっかけは、ある女の子との出会いだった。彼女は戦争が始まる前まで、普通に高校に通っていた。一瞬で始まってしまった紛争の中で、彼女は空爆の被害に遭った。両足がめちゃめちゃになったことで完全に心を閉ざし、ふさぎこんでいた。そんな彼女に、私は手術室以外でも毎日話しかけ、その手を握り、気にかけ続けていたが反応はなく、彼女はベッドで独り、傷の痛みと、心の痛みと戦っていた。

そんな日々を過ごしているうちに、帰国しなくてはならない期限がやってきた。そこで、最後に、と彼女に声を掛けてみた。私はもう帰国してしまうけど、あなたのことを忘れたくない、日本でもあなたの顔をずっと見ていたいから、だから一緒に写真を撮りたいのだと伝えた。すると、シャッターを切る時、ついに彼女が笑った。私と手を繋ぎながら一緒に笑っている素敵な写真が撮れた。思わず彼女を抱きしめた。

この時に気づいたことがある。それは、私が看護師として、この子の手を握り、気に掛けていたから、この子の笑顔を見ることができたということ。私はこの笑顔から、言葉以上のメッセージを受け取った。ジャーナリストの仕事も大変尊い。だけどやはり私は看護師なのだ。看護師として現場に戻ってきて良かった。かつて心の声に従って選んだ、看護師という職業の素晴らしさに改めて気づいた瞬間だった。

医療行為では戦争を止めることはできない。それも事実だ。では、その限界を知ったうえで、私たちに求められているのは何だろうか。それは、その時にできる、最善を尽くした医療を提供することだ。時には、手を握ること、話しかけること、これだけでも良いのかもしれない。誰かに話しかけ、その手を握るということは、その人を気に掛けること、その人に寄り添うことだ。恐怖や、絶望、悲しみ、怒り、憎しみが交差する中で、誰かがそばにいて手を握ってくれるということは、現地の人びとに大きな力を与えているかもしれない。私はそれが看護の力だと信じたい。
(第1回『紛争地からの“ひとりごと”』 完)
 

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※このコラムは「情報・知識&オピニオン imidas」で連載中の「『国境なき医師団』看護師が出会った人々~Messages sans Frontieresことばは国境を越えて」を改題・再編集したものです。
原文はこちらから⇒「第4回 紛争地からの“ひとりごと”」  

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