【東日本大震災から10年】被災地に通い続けた心理士が語る 知っておきたい災害時の心のケア

2021年03月10日
南三陸町の避難所で被災者と話すMSFの医師=2011年3月20日撮影 © Jun Saito
南三陸町の避難所で被災者と話すMSFの医師=2011年3月20日撮影 © Jun Saito

2011年3月に東日本大震災が発生し、国境なき医師団(MSF)はすぐさま現地に入った。国による大々的な支援などで医療現場は徐々に落ち着いていった一方、明らかになったのは心理ケアのニーズだった。

当時、MSFで活動した臨床心理士の西前律子と河野暁子の両氏。プロジェクトが終わった後もそれぞれ現地に通い、被災者の心のサポートを続けてきた。その二人がコロナ禍で久しぶりにオンラインでの再会を果たし、語り合った。災害大国に住む私たちが知っておきたい、危機に直面したときの心のケアとは──。

避難所ごとにニーズも雰囲気もさまざま

西前律子(以下、西前):現地入りしたのは、震災発生後10日目。私の役割は、避難所を回って心理ケア・ニーズの全体像を把握し、分析することでした。宮城県に到着後すぐに小規模の避難所を6カ所訪問し、翌日からは大規模の避難所4カ所へ。1週間かけて状況を探りました。

印象的だったのは、小規模の避難所では、食事の用意やガソリンの調達などで被災者の方々が自主的に仕事を分担し、自治が始まっていたことです。子ども同士も一緒に遊んだり、面倒を見合ったり。高齢者にも会話が絶えませんでした。背景には、こうした避難所ではもともと同じ地域の住民が集まっていたということがあります。

他方、大規模の避難所には、さまざまな被災地域から多くの方が避難してこられていました。割り当てのスペースに静かに身を寄せて、あまり自主性を発揮できないようでした。全体の雰囲気が暗く、皆さんのお顔に表情がなかったことをよく覚えています。

河野暁子(以下、河野):私は震災直後から4月上旬まで、現地へ派遣されるスタッフの心理サポートを東京の事務局で行っていました。その後、岩手県と宮城県の両活動地に入り、心理ケアに関する状況の確認や活動のコーディネーションをしました。

避難所ごとの状況の違いについて、いま西前さんがお話されましたが、私たちに必要なのは、「支援とはこういうものです」と現地へ持って行くことではなく、その地域でどんな支援が求められているかを見つけることです。岩手県の宮古市田老地区では、まず仮設診療所を支援し、その活動が終わった後は心理士が残ってケアを継続しました。宮城県南三陸町では、被災者や援助スタッフ、自衛隊の方など、皆がほっとできるカフェを準備しました。

西前:被災者の心理サポートを行いながら、医療対応が必要な方を見つけて精神科の医師や地域医療につないでいくことも大切です。

河野:そのためにもまず、外から来た私たちを信頼していただくことが大事。それがなければ、何もできません。

MSFは心理サポートの一環で2011年4月、南三陸町にテントのカフェを設置。のちに地元の社会福祉協議会に引き継がれ、2014年までは1日平均80人近くが訪れた © Eddy McCALL/MSF
MSFは心理サポートの一環で2011年4月、南三陸町にテントのカフェを設置。のちに地元の社会福祉協議会に引き継がれ、2014年までは1日平均80人近くが訪れた © Eddy McCALL/MSF

活動終了後も寄り添う中で、見えてきたこと

西前:震災で夫と娘さんを亡くされたある女性は、悲しみとうつ状態に苦しまれ、お酒で紛らわした時期もありました。まるで法事の年数に沿うかのように、3年過ぎで次第に悲しみの底から抜け出し始め、5年過ぎてご自身の心身の疲れに気づき、自分を大事することを心がけるようになられた。7年経つ頃は少しずつ前向きな気持ちを見出され、いまでは新しい暮らしも落ち着いたものになり始めています。こうした回復のステップは他の方にも当てはまるのではないでしょうか。心の中にはずっと大きなしこりが残っていても、自分のペースで前に進まれています。私は一人の人間として彼女を見守りながら、その姿に心から敬意を抱きました。

河野:私は大学院で被災した地域のレジリエンス(対応力、回復力)を研究していますが、地域共同体には、困ったときに助け合い、孤立させない文化があります。長い歴史の中で何度も災厄を経験しているコミュニティには、この震災も乗り越えていこうとする力があるように思います。

ある方が言われた「私たちは被災者ではあっても弱者ではない」という言葉が、とても心に残っています。立ち上がる力を実感しました。

西前:大きなトラウマ(心の傷)を負ったとき、どういうトラウマ体験が元にあるのかはもちろんですが、これまでどんな環境や関係の中で生きてこられたか、どのくらい自己肯定感をお持ちかということも、傷を乗り越えていく過程にかかわってきます。心理士として自分は役に立てているのだろうかと考えたりもしますが、身内や隣人ではないから正直な気持ちを話せると、言われることもあります。

河野:暮らしている地域で、お互いをよく知っているから話し合って助け合えることもありますし、第三者だからこそ話せることもあります。両方必要ですね。

震災当時、避難所となった中学校の体育館=2011年3月23日撮影 © Giulio Di Sturco
震災当時、避難所となった中学校の体育館=2011年3月23日撮影 © Giulio Di Sturco

身体に働きかける これからの心のケア

西前:心理ケアでは従来、トラウマに焦点を当てて、話すことをベースとしたケアを行うことが主流でした。ただ近年は、身体反応に焦点を当て、心身のバランスを整えることで、脳が心の傷に反応する回路を使わないようにするというアプローチも拡がり、効果を立証する研究が進んでいます。

たとえば、いま注目されているのが、迷走神経(※)という体の中に広がっている神経で、血圧や心拍数と深くかかわっています。迷走神経の活動バランスを整えることで、心理ケアや精神疾患の改善にもつなげていこうとしています。

※編集部注
迷走神経は末端にある器官に広く分布し(その広範な分布から「迷走」と呼ばれる)、恐怖や不安などで腹側迷走神経が過剰に反応すると、血圧や心拍数の低下などを引き起こし、逆に背側迷走神経が活性化されると、血圧が上昇したり消化管運動が促進されたりする。


河野:いま現在起きていることに意識を集中させるマインドフルネスにも、注目が集まっていますね。ケア提供者側も、“災害時の心理ケア”はこうあるべきという固定概念に捉われすぎず、よりよいケアのあり方を考え、実践していく必要があると思います。

心と体を守るために、私たち一人ひとりが基本を実践することも大事です。災害が起こる前に何が必要か、何ができるかを考え、準備しておく。ご近所とのお付き合いなど、つながりをもっておくことも大切だと思います。

西前:そうなんですが、これがなかなか難しいのです(笑)。特に都会では、個人情報の共有が厳しく、ネットワークがつくりにくい。集合住宅や地域で高齢者の方が多いと、作業などの分担ができず、町内会活動が成立しなかったり。

河野:そういう状況を理解して、現実的な対策を考えないといけないですね。離れて暮らす母とは、支援がしばらく来なかったとしても生きられるようにしておこうと話しています。一人ひとりができるだけ自分で動けるよう心身を整えておく。ラジオ体操とか!

西前:MSFが心と身体を整えるコンテンツを作って、「皆さん一緒に!」と定期的に発信するのもありかもしれません!

西前律子(にしまえ・りつこ)

臨床心理士。米国にて大学院修士号取得。臨床経験25年。2005年東京MFTセンターを開業。専門は家族療法とトラウマ治療。MSF活動では東日本大震災10日後に現地入りし、南三陸町中心に10カ所の避難所で心理アセスメントを行う。同年秋より個人活動も開始、年3~4回訪町し10~20人の心理支援を現在も継続中。

河野暁子(こうの・あきこ)

臨床心理士。教育相談室等の勤務を経て、2006年よりMSFへ参加。パレスチナ、イエメン、東日本大震災へ派遣される。2018年まで岩手県の被災地で勤務。現在は立命館大学大学院博士後期課程に在籍し「災厄を生きるコミュニティの力」をテーマに研究。岩手県立大学宮古短期大学部に勤務。

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