【トークイベント報告】より深く感じ、より深く考える コロナ禍の人道危機に、私たちができること

2020年07月29日

芥川賞作家の小野正嗣氏と国境なき医師団日本の会長で外科医の久留宮隆によるオンライン・トークイベント 「作家 小野正嗣 x 国境なき医師団 ~コロナ禍の人道危機、人びとに寄り添う医療とアート~」を7月11日(土)に開催、約430名が参加した。

(左)国境なき医師団会長 久留宮隆 (右)作家 小野正嗣氏 🄫 MSF
(左)国境なき医師団会長 久留宮隆 (右)作家 小野正嗣氏 🄫 MSF

冒頭で紹介された絵には、鳥のようなマスクに、黒いガウンを羽織った不思議な姿をした人物が描かれている。中世ヨーロッパにまん延したペストを治療した、「ペスト医師」だ。古来より人類は感染症と戦い、医療従事者たちは防護服に身を包んでその治療をしてきた。今まさに、世界は新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)の最中にあり、貧困、紛争、暴力などから逃れた難民や移民など、従来から弱い立場にいた人びとはさらなる苦境に立たされている。このような時こそ改めて世界に目を向け、私たちに何ができるのか、紛争地などで外科医として活動してきた久留宮と、文学を含むアートについて広く語ってこられた小野氏が、それぞれの立場から意見を交わした。

中世ヨーロッパで描かれた「ペスト医師」の絵<br> 🄫 Paul Fürst, Der Doctor Schnabel von Rom<br> Image: Wikimedia Commons
中世ヨーロッパで描かれた「ペスト医師」の絵
🄫 Paul Fürst, Der Doctor Schnabel von Rom
Image: Wikimedia Commons
ギリシャのレスボス島でコロナの症状を訴える難民の子どもを診察する国境なき医師団の医師 © Anna Pantelia/MSF
ギリシャのレスボス島でコロナの症状を訴える難民の子どもを診察する国境なき医師団の医師 © Anna Pantelia/MSF

エボラ出血熱、はしか、紛争……追い打ちをかける新型コロナウイルス

 「7,950万人」大きく映し出されたこの数字が示すのは、難民、国内避難民など、紛争や迫害を逃れるために故郷を追われた人の数。「第2次世界大戦以降増え続けるこの数字は、今や97人に1人、全人類の1%が苦しみの中で暮らしていることになります」と、久留宮が説明する。

 久留宮は新型コロナウイルス感染症の脅威について、自身が活動したことのあるコンゴ民主共和国を例に出した。
 「コンゴ民主共和国では世界最大級のはしかの流行が続いており、ワクチン接種や早期の治療が急務です。一方、エボラ出血熱への対応も変わらず必要とされています。そんな中、新型コロナウイルスの感染が拡大し、ロックダウンによって通常の医療へのアクセスが制限され、はしかの流行阻止の足かせになっています。さらにこの国では何十年にもわたって内戦が続いており、イトゥリ州という場所には20万人もの人が、紛争や暴力から逃れて不衛生な難民キャンプに住んでいます
人が密集する難民キャンプでは、新型コロナウイルス感染症がまん延する危機が迫っている。

続いて久留宮は、現在世界最悪の人道危機と言われるイエメンで、国境なき医師団が運営する新型コロナウイルス感染症治療センターの状況について話す。画面上には、上空から撮影した地面にいくつもの穴が空いている写真が映し出される。新型コロナウイルス感染症で亡くなった人を埋葬する墓の列だ。

「アデン市内で唯一の治療センターには多くの患者さんが重篤な状態で運ばれてきて、入院患者の4割以上が亡くなっています。治療センターでは1日に250本もの高濃度の酸素が必要になるのですが、そういった物資や、資金、人材などすべてが不足しており、医療制度が崩壊したイエメンで、人びとは紛争と新型コロナウイルスの二重苦の中で生活しています」

市内をドローンで撮影した映像。掘られたばかりの墓穴が並ぶ 🄫 sky news
市内をドローンで撮影した映像。掘られたばかりの墓穴が並ぶ 🄫 sky news

人を癒すということは、自分が癒されること

 これまで久留宮が活動地で治療してきた中で、特に印象に残っている男の子がいる。2004年、初めて派遣されたリベリアの病院で、交通事故で運び込まれてきた8歳の少年だ。脳ヘルニアを起こしかけていて、まず助からない状態だった。「設備の整わない環境で頭の手術をするのは考えられないと両親に説明したら、できることを何でもしてほしいと懇願されました。私の専門は腹部外科で脳の手術の経験も乏しかったのですが、限られた医療設備で工夫しながら手術をし、なんとか回復してくれました」

この患者には逆に自分が教えられたという。自分がやらなければ死んでしまう患者を前に、「できる、できない」ではなく、「やるか、やらないか」だ。また道具や薬が不足していても、いかに工夫して不足を補うことが重要であるか。「半年後に届いた写真で元気になった姿を見て、とても癒されました。人を癒すということは、自分が癒されること、だと教えられました」

(左)脳ヘルニアで運ばれてきた少年 (右)帰国した半年後に届いた元気になった姿の写真 🄫 Takashi Kurumiya/MSF
(左)脳ヘルニアで運ばれてきた少年 (右)帰国した半年後に届いた元気になった姿の写真 🄫 Takashi Kurumiya/MSF

 他にも久留宮がリベリアで治療した19歳の女性は、左手にひどい火傷を負ったにもかかわらず、病院で笑顔を振りまき周りを助けていた。「現場で会った人びとはただ助けを求めているだけではない、紛争で殺されたり、生きて行くことが難しい社会で、生きられることの喜びと力強さを感じました」

話を聞いていた小野氏は、久留宮の著書『国境なき医師が行く』を掲げながらこう語った。「この本を読んだときに、患者さんは弱い立場でケアを待っているだけではなく、ケアされた分を違う形で他の人に返す、リレーのようにケアが循環していると感じました。国境なき医師団を支援している方々も、苦しい立場にいる人びとに貢献している。決して上から援助を与えるというわけではなく、“ケアの循環”に一人一人が加わっているのだと思いました」

常に「コロナがなくてもコロナ禍にいるような」 息苦しさの中で生きる難民

「新潮」2016年11月号より<br> 東京スカイツリーを見上げる<br> コンゴ難民のマッサンバさん
「新潮」2016年11月号より
東京スカイツリーを見上げる
コンゴ難民のマッサンバさん
 一方、小野氏もこれまでにコンゴ難民の方と交流があったという。東京スカイツリーを見上げるマッサンバ・マンガラさん。雑誌「新潮」2016年11月号に小野氏が寄稿したルポルタージュとともに掲載された写真だ。

マッサンバさんは、何度も難民申請を却下されながら、日本の様々な人の力を借りて難民認定された。小野氏が難民に関心を持つきっかけとなったのは1997年から約8年間留学していたフランスで、長くお世話になった夫婦が難民や移民を家庭に受け入れていた事に触れた経験である。留学中の1999年には、フランスが発祥の国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞したことで、初めて団体の援助活動を知り、さらに難民への関心が深まった。帰国後に自身がフランスで見聞きした難民に関するエッセイを書いたところ、日本の難民支援団体からマッサンバさんを紹介されて寄稿したのが先述のルポルタージュだ。

マッサンバさんはコンゴでの紛争を逃れ日本にたどり着いた。以下、ルポルタージュから一部抜粋して紹介する。

『申請期間中、他人名義のパスポート、つまり偽造パスポートで入国したマッサンバは非正規滞在者ということになり、移動の自由を制限される。最終的な決定がなされるまでは許可なく関東地域の外に出る事を禁じられる。もしも関東圏外に移動する必要が生じた場合は、品川入管まで許可を得るために出頭しなくてはいけないのだ。そして申請期間中は、労働することも禁じられる。 』

コロナ禍で外出を制限されている私たちの状況に似ている。「今まさに私たちは移動の不自由を経験しているわけですが、マッサンバさんは、私たちがコロナで経験した状況に絶えず置かれている。普段の生活ではなかなか気がつくことができませんが、このコロナ禍で、難民の方々が普段生きている生活の息苦しさを、より想像できるようになったのではないかと思います」と小野氏は話す。
 
マッサンバさんは、仮放免となった後、東京地裁の公判が2年続いた中、どうやって生きてきたのかと小野氏がたずねると、こう答えたそうだ。

『支える会』の人たちだよ。彼らがずっと変わらず助けてくれた。金銭的な援助もしてくれたし、米などの食べ物も持ってきてくれた」とマッサンバはしみじみと述懐する。人に与えられるだけの生活は、自分を支えてくれる人たちと深い信頼関係で結ばれている場合には、それだけに申し訳ない気持ちや無力感に強く苛まれるものだと思う。

 「この方は絶対に自分の境遇に不満を言いません。自分は周りの人に恵まれた、関心を持ってくれる人たちの支援に支えられたと話してくれました。彼もただ支えられるだけではなく、支援してくれた方の大学に行って授業で体験談を話すなど、自分ができることでお返しをしていた」

芸術とは、耐えがたい現実に向き合うための手段

小野氏が司会をつとめるNHKの番組でも紹介された「辟邪絵(へきじゃえ)」という作品について、小野氏はこう語る。「芸術は、耐え難い現実に迂回路を作って、それを耐えやすいものにする、という機能を果たしていると思います。小さな子どもの「遊び」に通じるものがあります。遊びを通じて子どもは社会に参入し、他者との関わりを学ぶ。また自分ではない者になりきったり、ブランコを宇宙船に見立てたり、想像力を働かせながら、ちがう現実を生み出し、そこに喜びを見出す。それは芸術がやっていることと同じで、想像力によって迂回路やクッションが作り出され、目を背けたくなるような現実に僕たちはアクセスできるようになります」

「かつて、哲学者のジャン=ポール・サルトルが、アフリカの飢えた子どもたちを前にして文学が何の役に立つのか、と言ったそうです。でも、そのような問いが発せられること自体が、芸術・文学はすでに人間の生活の根幹にあり、そもそも役立っていることを示しています。だが、もっと何かできるはずだ、と。芸術は無力ではなく、人間が人間らしく生きるために、こういう苦しい時こそ力を発揮します」

神が疫病としての鬼を食べている場面を描いた「辟邪絵」 奈良国立博物館本(地獄草紙益田家乙本)Image: Wikimedia Commons
神が疫病としての鬼を食べている場面を描いた「辟邪絵」 奈良国立博物館本(地獄草紙益田家乙本)Image: Wikimedia Commons

 これを聞いた久留宮は2011年にパキスタンで出会った、17歳の女の子のエピソードを紹介。「爆発の巻き添えになってお腹に大けがを負い、傷口が開いたままベッドの上で寝ている状態で、私が派遣されたときにはまったく生気のない目をしていました。何度も手術に耐え、ようやく回復の兆しが見えたある日、私がふと窓の外を見ると、その子がこちらを見てほほ笑んだんです。その表情が忘れられません。自然に生まれた笑顔で、健康を取り戻した心の余裕がここまで表情を変えるのかと」

「そういう心の余裕、広がりを作るのに、芸術も寄与できるのだと思います。久留宮さんの著書のような文学を読むことで、自分のことにばかり汲々としていた心が広げられていき、遠い存在に思えた他者が何を考えどのように生きているのかを身近に想像することができます。ある作品に出合った時に『これは自分のために作られたものだ」と思うことがありますね。優れた芸術は鑑賞者の心のなかにある声、自分自身すら気づいていない声を受け止めてくれる余白、広がりがあります」と小野氏は芸術について語る。

人道援助とは「普通の行動」 芸術も繋がっている

 視聴者から「文学やアートが世界のためにできることは何ですか?」という質問が寄せられると、小野氏はこう答えた。「アートや文学は久留宮さんのように直接人の命を救うわけではありません。文化活動や芸術は遅れてやってくるものだと思っています。言葉や映像で国境なき医師団の活動が他の人に伝えられ、現場にある感情や情動が、より多くの人に共有されていく。アートや文学がその共有や影響の波に無感覚であるはずがない。だからアートに触れ続けることで、どこかで必ず国境なき医師団の活動に繋がっていると思います」

 また、人道援助の「人道」という言葉をどのように捉えているかという質問に、久留宮はこう話す。「人道援助やヒューマニタリアニズムという言葉はなじみがないと思いますが、もし街中で小さな子どもが転んだら、たいていの方は自然に手を差し伸べると思います。それが人道援助、普通で、自然な人間の行動だと思います。ただ、日本には情報が不足している。「どこかで誰かが転んだよ」と言われても響かないけど、目の前に起こっていれば行動しますよね」

小野氏は「人間が人間らしく、必要不可欠な健康を維持して生きていく」ことだと答えた。「日本ではコロナの影響で医療崩壊という言葉をよく聞くようになった。国境なき医師団は、コロナがなくても医療体制が崩壊している国や地域で、人がより良く生きていくための支援を行っていると思います」

最後に小野氏は表現者としての役割を聞かれると、「文学は応急処置的に何かできるわけではありません。ただ、物事を熟考する十分な期間を経て、つねに遅れて、でも必ずやってくるものです。今日聞いた話が時間をかけて熟成し、表現に繋がると思う。より深く感じ、より深く考えることに時間を割いて表現を続けて行きます」という言葉で締めくくった。

アクリル板を挟み、距離を取ってトークを行った 🄫 MSF
アクリル板を挟み、距離を取ってトークを行った 🄫 MSF

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