滑走路にできた避難キャンプ 女性と子ども、家族10人でテント暮らし

2019年07月23日

滑走路キャンプにあるMSFの一次医療診療所で診察を待つ母子 © Maya Abu Ata/MSF滑走路キャンプにあるMSFの一次医療診療所で診察を待つ母子 © Maya Abu Ata/MSF

約160万人。福岡市の人口とほぼ同数の人が、住みなれた家を追われている——。国際移住機関(IOM)が2019年4月現在の数として発表した、イラク国内の避難民の数だ。国連難民高等弁務官事務所によると、その53%はイラク北部のニネワ県で暮らしており、カイヤラの町の近くにある避難民キャンプには、10万人が暮らしている。国境なき医師団(MSF)は、2017年7月からジェッダ・キャンプと滑走路キャンプで栄養治療と心のケアのプロジェクトを開始。それ以降も医療活動を拡充し、現在では一次医療診療所を運営して避難民の医療ニーズに対応している。 

紛争が幼い人生を変えた

滑走路キャンプで暮らすマリアムちゃんと姉のアイーシャさん © Candida Lobes/MSF滑走路キャンプで暮らすマリアムちゃんと姉のアイーシャさん © Candida Lobes/MSF

カイヤラの町のほど近く、民間の飛行場として建設されながら使われることのなかった滑走路の跡地。今、イラクの国内避難民が暮らす「滑走路キャンプ」となっている。キャンプ内にあるMSFの一次医療診療所、外来部門待合室にいるのは、5歳のマリアムちゃんと8歳のアイーシャさん。

2人は、ティクリート市近くの村から来た。2017年を境に人生が変わった。先にモスルに来ていた父親を追って家族でモスルへ引っ越したが、その父は、モスル奪還作戦中に亡くなってしまった。母親のマスティーンさん(39歳)は子どもたちを守るため、モスルから逃げることにした。2人と、ほか3人の兄弟を連れて。

故郷の村へ帰ってみると、家は壊され、ほかに行くあてはなかった。それ以来、一家はカイヤラの滑走路キャンプで暮らしている。マスティーンさんは身の上を語りながら涙を抑えられず、ヴェールで顔を覆った。

「本当は村を離れたくなかったのですが、夫にどうしてもと言われて…。あの瞬間から私たちの人生はひっくり返って、今では子どもたちと一緒にこのキャンプで暮らしています。以前の暮らしはもう二度と返ってこないでしょう。テントで暮らし、食糧配給と、既に結婚した娘たちが送ってくれるお金のおかげで生き延びています。いつかきちんとした家で家族みんなと暮らせる日を夢見ています。部屋は一つでもいい、このキャンプを出たいです。自殺を考えることもよくあります。疲れてしまったんです。希望も持てません。うちの家族は、ほんとうに不幸です」 

悲惨な経験が心の傷に

家族で避難暮らしをするフルジャさん © Candida Lobes/MSF 家族で避難暮らしをするフルジャさん © Candida Lobes/MSF

滑走路キャンプには、心に大きなストレスを抱える避難民が多くいる。カイヤラのMSF病院で心理ケアを担う臨床心理士マリオン・ロビンソンは、「うつや不安障害を抱える患者さんが、ここ数ヵ月で増えています」と語る。「避難途中で家族がバラバラになってしまったり、家や隣人を失ったり、紛争でつらい状況にさらされています。生き延びるための収入もなく、愛する人がどこにいるか、生死さえわからない。さまざまな状況が重なって、避難民の心それぞれに影響を及ぼしているのです」

ティクリート市出身のフルジャさんも、滑走路キャンプのテントで暮らしている。 「自分の歳は覚えていません。家族が悲惨な目にあったので、忘れっぽくなりました。もう家はありません。焼けてしまいました。帰る場所はないんです。ここ2年半、テントで暮らしています。家財はここにあるものだけ。25人の孫とその母親たち、家族みんなでこのキャンプで暮らしているんです」 

空爆で息子を失ったセイタさん © Candida Lobes/MSF空爆で息子を失ったセイタさん © Candida Lobes/MSF

50歳のセイタさんも、2年ほど前からこのキャンプで家族と一緒に暮らしている。「2年前、息子の1人を亡くしました。モスルへの空爆で殺されたんです。まだ21歳でした。ほかの2人の息子は、どこでどうしているか分かりません。無事で元気な姿をもう一度見られたら、子どもたちや奥さんをこの腕に抱けたらと、毎日願っています。夫は心臓発作で亡くなったので、私が家族を世話しています。家族は10人。一緒にこのテントに住んでいます。私と義理の娘、その子どもたち、17歳になる私の息子です。息子は生まれつき腰から下に麻痺があります」 

子どもの無事を願うだけ

幼い子どもたちと避難生活を送るアスマさん © Candida Lobes/MSF幼い子どもたちと避難生活を送るアスマさん © Candida Lobes/MSF

20歳のアスマさんは、滑走路キャンプで2018年始め頃から暮らしている。2人の娘、ジェンナちゃん(3歳)とマリアムちゃん(2歳)も一緒だ。キャンプに来る前はカイヤラの近くにある町で暮らしていた。

「4年前、16歳のときに結婚しました。最後に夫を見たのは2017年の夏。モスルの奪還戦が始まる前に、夫はモスルへ出かけていき、その後の消息は不明です。生きているのか死んでいるのかも分かりません。このキャンプには、2018年の始め頃に引っ越してきました。娘たちと、夫の家族で生き残っている人も一緒です。女性が4人と子どもが5人、年長の子は11歳です」 

2歳のマリアムちゃん 行方不明になった父親には会ったことがない © Candida Lobes/MSF2歳のマリアムちゃん 行方不明になった父親には会ったことがない © Candida Lobes/MSF

「故郷の町には帰れません。受け入れてもらえないんです。身分を証明できる公的な出生証明書がないので、娘たちは学校にも行けません。唯一の証明書は、MSFがくれた予防接種の記録カードだけ。私たちが生きていられるのは、キャンプ内で配布されている食糧と衛生用品キットのおかげです。これからどうなるのかも分かりません。2人の娘と家族が無事でいられることだけを願っています」 

イラク、カイヤラの滑走路に作られた避難民キャンプ © Candida Lobes/MSFイラク、カイヤラの滑走路に作られた避難民キャンプ © Candida Lobes/MSF

現在、MSFは滑走路キャンプの一次医療診療所で、産前・産後ケア、基礎的な産科診療と新生児医療、家族計画を含むリプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)と、24時間体制の救急診療、外来診療、慢性疾患、予防接種プログラム、栄養治療科、心のケアと健康教育キャンペーンを行っている。

2019年1月以来、1日に130人以上の患者がMSFの一次医療診療所を受診。1万3800件以上の診療と4600件以上の救急診療を実施したほか、250件以上の分娩、500回以上の個別のカウンセリングに対応し、キャンプで暮らす人の健康を支えている。 

関連記事

活動ニュースを選ぶ