海外派遣スタッフの声

大変な状況で出産する女性たちの手助けを:伊藤 まり子

ポジション
産婦人科医
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ジガワ州ジャフン
派遣期間
2016年5月~2016年7月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

2015年のアフガニスタンでの活動から帰国後、また参加したいと思っていました。病院側と相談して参加の時期を決めました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

病院で勤務していました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

ナイジェリアのジャフンは、MSFのほかのプロジェクトに比べ妊娠合併症が多いところでした。子癇(しかん)、胎盤早期剥離、子宮破裂などの症例がたくさんありました。帝王切開のタイミング、子宮摘出をするかどうかの判断は、過去のフィールドで培った経験が役立ったと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

ジャフンの病院の産科病棟 ジャフンの病院の産科病棟

チームはプロジェクト・コーディネーター、アドミニストレーター、ロジスティシャン、 薬剤師、 医療チームリーダー、看護師、助産師、麻酔科医師、 アウトリーチ活動(※)の助産師、もう1人の産婦人科医師でした。

2008年から続いている産科救急と産科フィスチュラのプロジェクトです。MSFの質の高い医療が評判で、年々患者数が増加しています。そのため病棟は混雑し、ひとつのベッドに2人の患者さんが寝かされていることもよくありました。私はもう1人の産婦人科医師と一緒に産科病棟の患者管理、手術を担当していました。

患者さんのほとんどは分娩目的で入院してきます。分娩はひと月に500~700件で、約25%は帝王切開による分娩でした。そのほかに流産、高度の貧血、出血、高血圧、心筋症、肺水腫などの患者さんが入院してきました。

15~16歳から妊娠する人が多く、それから何回も妊娠、流産、出産をしていきます。そして40歳代前半まで妊娠し続け、12回以上妊娠している人も時々やってきました。

子宮全摘手術をする筆者 子宮全摘手術をする筆者

自宅で分娩しようしとしたが、分娩に至らずやってくる人たちが多くいました。妊婦健診を受けていない人がほとんどでした。低栄養のためなのか、妊娠に対する知識不足のためなのか、私がこれまで経験したほかのプロジェクトより圧倒的に合併症の率が高く、子癇(しかん)、胎盤早期剥離の症例の患者はほぼ毎日やってきました。

帝王切開の適応は、妊娠高血圧症候群、胎盤早期剥離、前置胎盤、前回帝王切開、子宮破裂、遷延分娩、多胎妊娠、胎位異常、心不全などでした。

母体死亡はひと月で10人以上いました。死亡原因は出血、高血圧、心不全、肺水腫などでした。さまざまな理由で病院に来ることができない妊婦さんたちが多いため、実際はもっと死亡率が高いのでは、と思いました。入院時にすでに死亡、また分娩前、分娩中に死亡した胎児は20%と高率でした。

  • 医療を必要としている人を見つけ出し、診療や治療を行う活動

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

入院病棟のようす 入院病棟のようす

朝7時45分頃に宿舎を出発します。天候、治安が許せば病院まで歩いて行きました。歩いて10分くらいの距離でした。

8時から集中治療室(ICU)の回診、続いて産科病棟の回診、その後は産科の患者管理、手術などをしました。昼1時にランチのため宿舎に戻り、その後は必要があれば病院に行きました。月曜日の夕方から土曜日の朝までは現地の産婦人科医師が来てくれて、オンコールを2~3回担当してくれました。

平日は日勤、オンコール(午前中は病院、午後は休憩し夕方から翌日朝までオンコール)、オフ(朝の回診後は終日オフ)という勤務形態でした。

週末は海外派遣スタッフ2人だけなので、2人で勤務を分け合いました。

オンコールのときはほとんど呼ばれ、帝王切開を2~3件行いました。忙しい時は数時間しか眠れないときもありました。そのため病院が忙しくないときは、なるべく宿舎で休憩をするようにしていました。

勤務外の時間は昼寝、読書、インターネットなどしていました。

TVルームがあり、エアコンがよくきいていて、昼間はよく昼寝をしていました。ちょうどUEFAユーロ2016が始まり、夜はスタッフがそこに集まりサッカー観戦をしました。

現地での住居環境についておしえてください。

一緒に働いたチームと(筆者左から2番目) 一緒に働いたチームと(筆者左から2番目)

個室が与えられましたが、トイレ、シャワーは共用でした。部屋にはエアコンがついていたので快適にすごせました。インターネットはつながる速度が遅いのですが使えました。

昼、夜、週末もコックが食事を作ってくれました。ピザ、パスタ、パンなどおいしく食べました。

活動期間が終わる前には、ちらし寿司、巻き寿司をつくり、日本から持ってきたわさび、しょうゆがほかの海外派遣スタッフに受けていました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

生まれたばかりの三つ子の赤ちゃん 生まれたばかりの三つ子の赤ちゃん

ジャフンに着いた時は宿舎の部屋が満室で、アウトリーチ活動担当のリベリアの助産師さんと2日ほど同じ部屋になりました。何と彼女は2005年に参加したリベリアでの活動のときに、現地スタッフとして病院で働いていた人でした。また、ジャフン到着の数日後に麻酔科医師が交代したのですが、新しく来たのはこれもまた、2005年のリベリアで一緒に働いたオーストリア人でした。11年ぶりの再会でしたが、お互いにすぐにわかりました。

帝王切開では出血がなかなか止まらなかったり、子宮破裂、子宮収縮不良のため子宮摘出が必要になったり、赤ちゃんの頭が下がりきっていて、膣の方から頭を押し上げてもらって赤ちゃんを出したりなど、大変なこともありました。

ここでは、帝王切開は母体の救命が優先です。心不全の患者さんで母体の負担を少なくするため帝王切開して、助かった人もいましたが、手術後に容態は回復せず、手術室で亡くなった人もいました。

印象に残った帝王切開としては、品胎(三つ子)の帝王切開です。日本では経験がなく、2009年のリベリアミッションで品胎の帝王切開をしましたが、当時は切ってみたら三つ子だった、という帝王切開でした。今回は入院後にエコーをして、品胎という診断をつけてからの帝王切開だったので、3人の赤ちゃんを次から次に出していく、というなかなか特別な体験でした。それぞれ、1.5kg、1.7kg、2.1kgの女の子でした。小さかったのですがみんな元気で、新生児集中治療室(NICU)に3人をよく見に行っていました。2週間くらいで退院していきました。

患者さんのほとんどはイスラム教徒で、男性親族の許しがなければ手術もできない、病院にも来ることができません。緊急な状態でも、男性親族の許可を得るため延々と待たなければいけませんでした。また、すでにたくさん子どもを産んでいるため帝王切開時に卵管結紮(けっさつ)を女性が希望しても、夫が許可してくれない場合も時々ありました。

今後の展望は?

来年また行きたいです。仕事は体力が大事なので、体力が落ちないように努めたいと思っています。それと、健康でいることです。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

「そんなところに行って危険じゃない?」 とよく言われます。今の世界情勢を考えると、どこにいても同じです。安心、安全なんてものはどこにもありません。

日本でなかなか経験できない症例にたくさんあたります。患者さんが亡くなりつらいこともありますが、チームのみんながサポートしてくれます。

自分の知識、技術が役に立っているのが実感できます。大変な状況のなかで妊娠、出産していく女性たちの手助けをしてあげてください。

MSF派遣履歴

派遣期間
2015年6月~2015年8月
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2015年2月
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2012年5月~2012年7月
派遣国
パキスタン
活動地域
ペシャワール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2010年9月~2011年1月
派遣国
パキスタン
活動地域
ティムルガラ
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2009年9月~2009年12月
派遣国
スーダン
活動地域
アウェイル
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2009年1月~2009年3月
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2007年11月~2007年12月
派遣国
スリランカ
活動地域
ポイント・ペドロ
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2005年4月~2005年6月
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2004年8月~2005年2月
派遣国
ウガンダ
活動地域
パデール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2004年4月~2004年6月
派遣国
パキスタン
活動地域
チャマン
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2003年7月~2003年12月
派遣国
スーダン
活動地域
アクエム
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2003年1月~2003年6月
派遣国
スリランカ
活動地域
ポイント・ペドロ
ポジション
産婦人科医