海外派遣スタッフの声

フランス語を生かしてコンゴ民主共和国へ: 森元勇智

ポジション
ロジスティシャン
派遣国
コンゴ民主共和国
活動地域
カタンガ州
派遣期間
2011年7月~2011年9月

なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

コンゴ人の同僚と一緒に。

今回が初参加です。視野を広げたい、アフリカで仕事をした経験を活かしたい。日本人のいない環境でも活躍してみたい、フランス語をもっと使いたい、というのが率直な動機です。MSFを選んだのは、政治や宗教とは無関係な組織であること、フランスでは有名なNGOであること。多国籍の人びとが活躍していること。少しではあるけれども給料が支給されること。日本で登録できること。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

大学の専攻は、工学部の機械工学でしたが、在学中にフランスへ留学し、フランス語を学びました。卒業後はアラビア語を学び、外務省の外郭団体の仕事で、モロッコの日本大使館に2年間勤務しました。その後、アラビア語をさらに続けるために、チュニジアへ留学し、帰国後、日本の建設会社の仕事に就き、リビアで2年間、アルジェリアで3年間、勤務しておりました。アフリカ滞在歴は合計7年間です。

リビアとアルジェリアでは、建築資材の調達、重機のメンテナンス、港や空港での通関、現場事務所の開設、宿舎の管理、従業員の雇用、トラブル処理、裁判など、広範囲な仕事をこなしていました。これらの仕事で得た経験が、一番MSFの活動で役に立ちました。ロジスティシャンですので、工学部卒という学歴も役に立ちました。また、旅行で、約40ヵ国を訪問したことも、役に立ちました。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

マレンバのベースキャンプの全景。

今回のプログラムは、はしかの緊急援助です。コンゴ民主共和国のカタンガ州では、2010年末から、はしかが大流行していました。コンゴの保健省だけでは対応できないため、MSFが協力してワクチンの予防接種を行うことになりました。私の滞在は、1年間続いたこのプログラムの最後の約3ヵ月間でした。具体的な活動内容は、はしかの流行地域で、子どもを対象にした、はしかの予防接種、既に発病した患者の治療、そして、予防接種後の患者数調査です。

私の仕事は、最初の1ヵ月間半が、マレンバという田舎町にあるベースキャンプの管理、それから、はしかの患者が入院している病院の管理でした。具体的な業務としては、食料・水の調達、現地スタッフの管理、日雇い労働者の雇用、発電機の修理など。患者数が増えていたため、病院の増改築の工事も担当しました。この病院はもともと、国立の病院でしたが、施設の一部を、はしか専門の病棟に変え、MSFが管理していました。後半の1ヵ月半は、仕事の内容が全く変わり、予防接種終了後に行われたアンケート調査の準備と実施。実際には、アンケートを行うローカル調査員の雇用、給与の計算と支給、彼らの足となるレンタカーやバイクの手配など。会計業務も含まれており、ロジスティシャンとアドミニストレーターの兼務です。初めての派遣の感想としては、たくさんのスタッフがおり、現場はかなり混乱していました。5ヵ所のベースキャンプ、100人以上の外国人スタッフ、数百人の現地スタッフ、約50台のレンタカーと、かなり大規模なプログラムで、情報が錯綜(さくそう)しており、スタッフの顔と名前を覚えることに苦労しました。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

炭火で調理する台所。

基本的には日曜日が休みでしたが、忙しいときは、ものすごく忙しく、暇なときは平日でも暇なこともありました。特に、予防接種やアンケートの期間中は、早朝から夜中まで忙しく、休日はありませんでした。そもそも、電気も水道もないコンゴの田舎では、娯楽は皆無です。休日があっても何もすることはありません。昼寝か散歩をするくらいです。当然、テレビもインターネットもありません。マレンバには、バーが1軒だけ。レストランもカフェもありません。娯楽は宴会です。コンゴ人も宴会好きです。週に1回は、盛大な宴会があり、炭火で肉を焼き、ビールを飲みながら踊りました。

現地での住居環境についておしえてください。

病院の洗濯場を作っているところ。

レンガでできた平屋の一軒屋、中庭があり、部屋数は22室。未完成の住宅を借りて、外国人スタッフ用のキャンプを作りました。最初は1部屋に2人でしたが、途中から個室になりました。部屋の床は土のままで、その上にビニールシートを敷き、さらにゴザを敷き、マットレスを置いただけの簡素なもの。ベッドはありません。マラリア対策として蚊帳を張って寝ます。レンガの質が悪いため、壁がボロボロと崩れてきます。夜中になると、ねずみやとかげが周囲を歩き回ります。窓にはガラスがなく、雨戸だけです。お世辞にも快適とはいえません。また、キャンプは自家発電です。テントの事務所と、かやぶき屋根の食堂、ワクチンがストックされている倉庫には照明があるけれども、寝室には照明がない。夜になると懐中電灯で生活しました。トイレはくみ取り式、シャワーは鍋で湯を沸かして行水。台所はなく、炊事は、屋外で炭火を使って調理をします。水の確保は、トラックに水タンクを積み、1日に何度も数キロ離れた井戸へ、くみに行く必要がありました。直接飲む水だけ、ミネラルウオーターを用い、調理用の水は、くんできた井戸水を煮沸してろ過してから使います。面白いことに、キャンプ内では、お酒は飲み放題でした。さすがに、朝から飲んでいる人はいませんでしたが、夕方になると、毎日、フランス人たちは宴会です。ビールやウイスキーなど、お酒は簡単に手に入ります。ビールとコーラの値段は同じ。ミネラルウォーターの方が貴重品でした。

よかったこと・辛かったこと

よかったことは、よい人びととの出会い。地元の人びとが親切で、とにかく人がいい。コンゴの田舎の人びとは、正直で働き者。だまされる心配は、まずなかったです。失業率は高いけれども、まじめに必死に生きている。治安も予想以上によい。私の部屋の戸には、鍵がありませんでしたが、盗難にもあいませんでした。予想外なことに、食事はとても美味しいものでした。コンゴ人の料理人が作るコンゴ料理は、材料の種類こそ少ないものの、十分に工夫されたもので、主食は米やパスタ、肉は山羊と鶏、川魚も頻繁に登場します。味付けはトマトと玉ねぎだけですが、味付けがよかったせいか、満足できました。

辛かったことは、電気と水道がないこと。キャンプ生活というのは、数日ならば楽しい思い出かもしれませんが、1ヵ月を過ぎると、さすがにうんざりしてくる。インターネットがなく、メールのやりとりができないというのも辛いですね。携帯電話もつながらないときは、1週間以上つながりません。仕事の面では、MSF特有の仕事のスタイルに慣れるまで苦労しました。外国人スタッフが頻繁に代わり、ミーティングが長い! また、コンゴは病気の宝庫ですので、マラリア予防薬を飲み続ける必要があり、病気にならないように、また、けがをしないように、常に気をつけていました。さらに、水不足のため、私が管理していた病院では、飲み水は確保できていたものの、入院から退院まで、患者とその付き添いの家族は、風呂もシャワーも浴びない生活をしていました。病院の内部の臭いはものすごかったのですが、改善はならず、緊急援助プログラムの限界を感じました。また、MSFの車(ランドクルーザー)の数が少なく、大部分の車がレンタカーだったため、部品の調達ができず、無線機も搭載していないため、外出先で故障すると、連絡がとれないことも頭の痛い問題でした。

派遣期間を終えて帰国後は?

今回の派遣は、わずか3ヵ月間でしたが、帰国時には、これまでの仕事の1年分くらいの疲労を感じました。緊急援助は生活面がハードです。今後は、また次の活動に参加したいと思っております。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

フランス語圏のプログラムへ、参加される方へのアドバイスとして。フランス人が大半ですので、フランス企業での職歴か、フランス本国での生活経験がないと、初めは戸惑うかもしれません。逆に、フランスの文化や習慣を理解していれば、アフリカのことを知らなくても、困ることはないでしょう。MSFの特徴として感じたことは、ごく普通のフランス人が、気軽に参加していること。夏のバカンスのときだけ来る人もいます。特別な人間の集団ではなく、日本で言えば、関東の人びとが、東北の被災地で、ボランティア活動をするような感覚で、フランス人はアフリカへ支援に行くようです。

ロジスティシャンの仕事は、便利屋さんのようなもので、ありとあらゆることが自分の仕事になってしまいます。緊急援助の特徴として、スピードが要求されます。今日できることは今日やらなければなりません。寝る暇がないこともあり、わからないこともたくさんあります。しかし、まわりの人びとに聞けば、なんとかなるようです。特に、現地スタッフとの信頼関係は大事だと感じました。

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