海外派遣スタッフの声

結核とカラアザールの専門プログラムに参加: 青池 望

ポジション
内科医
派遣国
スーダン
活動地域
ベンティウ
派遣期間
2006年4月~2006年8月

なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

この質問には10回聞かれると10回違う答をしてしまいます。自分でもわかりません。でもMSFで海外で働きたい!!と強く思っていたことは確かです。そして、ある日その目標に向かって突然動き出し、ウェブサイトをチェックしたのが第一歩でした。

今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

大学病院の医局に属する呼吸器内科医でした。臨床経験、社会人としての経験は現地で活きたと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

スーダンの辺鄙な土地での結核とカラアザール(内臓リーシュマニア症)の専門病院のプログラムでした。

仕事は医師としての外来、入院患者の診察治療に加え、医療技術者の指導、管理などもありました。エイズとの二重感染をしていた患者のためのプログラムの立ち上げもしました。仕事自体はとても興味深いものでした。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

チームメイトとマーケットに行ってお茶、散歩です。(周りは銃をもった南北両軍の兵士がうろうろ)一人では本を読んだり、寝たり、音楽を聴いたり。ワールドカップの時期はほかのNGO(衛星TVをもっている)のところに見に行きました。イタリア人とフランス人がチームにいたので盛り上がりましたよ。常日頃、ほかのNGO,国連メンバーを交えたパーティは頻繁にありました。

日曜日はコックがいないので自分たちで料理をしなくてはならず、料理嫌いの私にはストレスでした。

現地での住居環境についておしえてください。

東南アジアの安宿リゾートのバンガローのような小屋が15部屋分くらいあって、外国人派遣スタッフと現地スタッフが一緒に住んでいました。何しろ砂埃が激しく、部屋中砂だらけ。本もレポートの紙も一瞬でオレンジ色に。しかも小麦粉のように細かい粒子の砂です。ベッドに砂まみれで風邪で寝込んでいるところをチームメイトに見られ、TSUNAMIのニックネームをつけられました。Chaoticでした…。昼は暑く、明け方は寒く、風邪を引きやすかったです。雷雨の日が多く、自分が雷を嫌いなことを始めて知りました。(日本ではさほど嫌いではありません) 遠くでピカピカ光るものがあり、パチンコ屋の宣伝かなーとおもっていたら、それは稲光でした。

水は毎日トラックで運ばれます。日によってすごくまずく、下痢もよくしました。(水のせいか食事のせいかはわかりませんが)水がまずい日は粉を混ぜてジュースにして飲みました。たまに水のままで飲めたときは感動しました。

トイレは一昔前の、外にあるぼっとん便所。ハエがたかっていました。たまに蛇も来ていました。夜は電気がないのでへッドライトをつけて行きます。雷雨の時は足元がぬかるみ、すべるので、トイレに行きたくないのですが、そういうときに限って行きたくなるのはなんででしょう??

良かったこと・辛かったこと

私に限らず病気になる派遣スタッフが多く、それでも仕事をし続けないと回らない切羽詰った派遣活動でした。ハードな環境の上に仕事もハードで、本当に辛かったです。

ペースがつかめる前にMSFの住居のすぐ前で銃撃戦が起こり、緊急避難のあと現地に戻ることなく、帰国しました。

派遣期間を終えて帰国後は?

ぼけーーーっとしていました。
自分が如何に戦争、銃、戦闘が嫌いかわかりました。心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったと思います。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

パーティにダンスはつきもの。はずかしがらないで、feverして盛り上がりましょう! 留学経験などのあるヒトとない人では大きく差が出るところだと思います。がんばりましょう。

MSF派遣履歴

派遣期間
2003年9月~2004年6月
派遣国・プログラム地域
タイ・ラチャブリ
ポジション
内科医
派遣期間
2004年10月~2006年2月
派遣国・プログラム地域
タイ・サンクラブリ
ポジション
フィールド・コーディネーター/内科医

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