海外派遣スタッフの声

紛争後の救急外来と現地スタッフへの技術移転: 幣原園子

ポジション
救急専門医
派遣国
パキスタン
活動地域
スワート郡
派遣期間
2010年5月~2010年11月

なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

日本では救命センターで勤務していましたが、予後がよくないと思われる場合でも、体外循環を含む蘇生や延命処置をせざるをえないことに息詰まりを感じていました。もっと単純な方法や資源に頼らなくても、多くの人が利益を得ることができるのではないかという期待がありました。

社会的に難しい受療者の対応や、患者や家族からの自分の責任をさしおいての要求に対応するエネルギーを、他のことに有益に使いたいということも、もう1つの理由です。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

内科医の頃は一般内科、救急に関連した内科疾患を扱っていました。その後、救急に専従し、専門施設で熱傷、外傷、救急領域の集中治療、病院前救護をしていました。重傷例や長期管理の経験は、その国や地域の医療の将来像を予想し、資源の分配を考えるのに有用でした。

また、リスクマネジメントは、安全を確保する意味で、技術移転には不可欠だと思われました。 研修医の指導や、学生/研修医対象のレクチャーやカンファレンス(症例検討会)は、フィールドでも必要でした。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

タリバンと政府軍との紛争後、退去していた住民が戻り始めた地域で、三次病院の救急外来を、もともとの病院スタッフとともに運営するというものでした。役割を分担し、外傷や心疾患、呼吸不全などのすぐに処置を要する病態とマイナーサージェリー(小手術)、観察室での管理を中心に、関係者のスキルアップをはかりました。当初、救急経験者はほとんどおらず、自ら手を下す必要がありました。また、起こりうる爆破テロに備えて、大規模事故を想定したプランの導入や訓練を行いましたが、それが起きたのは6ヵ月の滞在中1度だけでした。

夏には洪水が発生し、コレラの流行に備え、下痢治療センターの開設、閉鎖が必要でした。途中から、緊急援助チームが来てくれたので、始まりと終わりだけの関与でした。

ゴミの分別、消毒の改善も含まれていましたが、こちらは主に看護師の担当で、問題点の指摘にとどまりました。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

プロジェクトの立ち上げから1~2ヵ月は週末も観察が必要でした。気管挿管や胸腔チューブ挿入など侵襲の高い処置や重傷者管理の安全を期するためですが、今思えば、もともとなかったものなので、そこまで慎重を期さなくてもよかったのかもしれませんが、私の感覚では放置できないものでした。

洪水がおき、1ヵ月半くらいは週末もない状態でした。月に1度、現場を離れ、首都で週末を過ごすことになっていましたが、どのメンバーも2ヵ月に1度ぐらいしかとれなかったと思います。6月半ばから始まったプロジェクトが最後に落ち着いたのは10月初めでした。

現地スタッフ(特にもともと病院に従事する医師)への技術移転のため、彼らが週末に働くときは、それに合わせて週末に病院に行くことがほとんどでした。病院と事務所兼住居以外に外出を許されない状況でしたので、働く方が気分転換にはなりました。大きな休日や祭日前後は、安全管理が厳しくなり、断食期間後、自宅からの外出禁止が4~5日ありましたが、スタッフが出身国の料理を作ったりして過ごしました。厳しい安全管理のフィールドにはトレーニングマシンやゲーム機「Wii(ウィー)」が置かれていましたが、洪水支援の物資に場所を奪われ、トレーニングマシンはほとんど使えませんでした。3ヵ月に1度の1週間の休暇ではタイへのチケットが用意されていましたが、私は日本に帰国し、事務的な用件をすませました。

現地での住居環境についておしえてください。

住居とオフィスの建物は共用でした。
当初電気は発電機を使っても不足していましたが、電池/発電機の容量拡大で9月末にはほぼ問題なくなりました。4月に第1陣のスタッフが入ってからそれまでは、電気には不自由しました。温かいシャワーも準備されていましたが、実際に使えたのは、10月頃からです。

インターネットも使えましたが、当初は早朝か夕方、電気があるときに譲り合って使いました。9月半ばからワイヤレスが使えるようになり、とても楽になりました。既存のプロジェクトではなかったことと、偶発的に洪水が起きたことが上記の理由であったようです。

よかったこと・辛かったこと

イスラム教の国であり、運命を柔軟に受け入れる人びとであったことや、結果によらず努力を素直に評価してくださることは、うれしいことでした。救急部門は患者さんや家族と再会することの少ない場ですが、よくなっても、ご本人が亡くなっても、結果を知らせにきてくれたりします。

一方で、特に医療に関して技量がつかみきれないスタッフと働く場合もあります。ある事についてどう考えても妥当とこちらが思えても、相手が納得しない、あるいはできないときには、いら立ちが募りました。

与えられている状況と求められている成果が、理不尽だと思われることもありました。たとえば、罹病率/死亡率を減らすという目標があります。しかし、現地ではプライマリ・ヘルスケア(住民の健康を支える医療保健システム)が機能しておらず、時間的にも病態的にも時期を逸している患者さんを一次医療の段階で安定化させても、地域内には高次治療施設がなく、搬送すれば途中で死亡することもあるような厳しい環境です。いくつか改善策を提示したものの保留ということもありました。今はその状況を自分自身を含め、コミュニケーションと外交技術の問題と解釈しています。

上記のような状況の中で、MSFスタッフに向上を求めすぎたという反省もあります。声を荒げたこともありますし、荒げなくても向上を求めることはやめませんでした。

派遣期間を終えて帰国後は?

リズムが変わり、再適応するのに時間がかかっています。 MSFの別の環境で、もう一度2年ぐらい働いてみたいと考えています。 日本でも、もう一度働きたいのですが、いったん退職して今の機会を得ているので、再就職すると、また外に出るのが難しくなると予想しています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

どのような経験も、現場では有益だと思います。私自身の問題かもしれませんが、日本の認定医、専門医などは国際的にはスタンダードではないので、自分の専門領域に応じた、よりスタンダードな資格の取得を考える必要があるかもしれません。全く医療のない所はともかくとして、教育制度の整った地域では、それが地域の専門家から期待されているように思います。しかし、最終的には献身と成果が重要なのだと思います。

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