海外派遣スタッフの声

大きなプログラムで超多忙!その分達成感も:森脇千英子

ポジション
アドミニストレーター
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ソコト州
派遣期間
2009年3月~2009年6月

なぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

子供の頃に見たドキュメンタリー番組か何かで、途上国で困っている人たちのために働く日本人の姿を見て、自分もやってみたいと思いました。その後全く関係のない道に進みましたが、頭のどこかにその思いは残っており、それから数十年後、やっと2007年12月にMSFからタイへ派遣されました。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

MSFの活動に参加するという目標を立てた際には、グラフィックデザイナーとしてピンバッジのデザインをしていました。初めてMSFの面接を受けた頃はその会社を辞め、高所作業用品を輸入・販売する会社でアルバイトをしていました。デザイナーの時もその他アルバイト先でも、後輩の指導をすることが多かったのですが、その経験は派遣地でも活かせたと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

髄膜炎の流行を抑えるための予防接種と治療を4つの州で行う、というプログラムでした。
私はソコト州にあるベースオフィスで、総務・人事・経理など事務的な業務と、配車・物資の調達・海外から発送された医薬品の受取り・各フィールドへ医薬品を含む物資の発送手配・コールドチェーンなどロジスティシャンとしての業務をこなしました。海外から派遣されたスタッフは15カ国から集合した30人(最多時)。私を含む5人がベースオフィスに常駐しており、25人は他3州、ケースマネージメント担当3チーム、予防接種担当が9チームに分かれて活動をしていました。

朝は7時前後に起床、ホテルから車で5分くらいのところにあるオフィスの2Fリビングで朝食をとります。8時過ぎには1Fにある自分のオフィスへ行き、仕事をはじめます。配車の確認を済ませてから、前日の仮払金の清算や、支払いの準備など、経理に関することから朝はスタートし、新しく採用した現地スタッフにMSFの労働規約を説明したり、海外派遣スタッフが宿泊するホテルへの支払い、フィールドから依頼された物資を市場に買出しに出かけたり、しているうちにお昼になってしまい、食後はすぐにフィールドへ出荷する荷物を梱包し、トラックに積み込みます。ついでに翌日出荷予定の荷物を倉庫として使用しているテント内(気温50℃はある)にまとめます。夕方はまた清算や支払いをし、18時以降現地スタッフが帰宅し、オフィスが静かになってから、帳簿をつけ始めます。その後もフィールドに送るための資料や検数票などのコピーをとったりと、始めのひと月は、オフィスを出るのは24時を過ぎる日が多かったです。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

朝から晩まで休めたのは1日のみでした。時々2~3時間ホテルに戻って昼寝をしたりしました。
夜は遅くホテルに戻っても、テレビを見たりして気分転換しました。

現地での住居環境についておしえてください。

短期間の緊急プログラムだったため宿舎は設けられず、3ヵ月、民間の宿泊施設に滞在しました。部屋にはテレビ、エアコン、シーリングファン、シャワー、トイレ、小型冷蔵庫があり、非常に恵まれた住環境でした。

良かったこと・辛かったこと

アシスタントがいなかったので、タイでのプログラムでは現地のアシスタントと分担できた業務を全て自分でやらねばならなかったことと、休みが少なかったのは大変でした。
前回と比べて海外派遣スタッフの数が多く国籍も様々。MSFでの経験が豊富なスタッフが多く、勉強になりました。
3ヵ月間で約56万4千人に予防接種でき、前回の難民キャンプでの活動では得られなかった、分かりやすい達成感が得られました。

派遣期間を終えて帰国後は?

派遣期間中は、夜中に最低2回は発電機が止まる→扇風機が止まる→仕事のことを考えてしまう、など毎晩だいたい2時間おきに目が覚めてしまったので、とにかく連続5時間以上眠りたい!と思っていました。
実家に帰って母と温泉に行ったり、浜辺で昼寝したりと、とにかくのーーーーんびり過ごしました。
都内に戻ってからも、友達と会う以外はほとんど家の近所をブラブラしています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

私は一度目の面接では採用されませんでしたが、数年後に再度面接を受け、前回の派遣に至ります。
度胸一発、まずは応募してみてはいかがでしょうか。

MSF派遣履歴

派遣期間
2007年12~2008年9月
派遣国
タイ・ペチャブン県
ポジション
ロジスティシャン/アドミニストレーター

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