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派遣スタッフの声

金 恵美子 (タイ・ペッチャブン 看護師)

今回の派遣

派遣期間:2007年10月~2008年1月
派遣国・プログラム地域:タイ・ペッチャブン
ポジション:看護師

1.なぜMSFの海外派遣に参加したのですか?


診療所前の待合場所

昔から海外旅行に行っても、観光地ではなく、その地域の普通の人びとの生活に興味がありました。

MSFの活動では大阪でのプログラムに参加する機会があり、その時出会った人たちがそれぞれ個性的だったため、面白い人たちが集まっているなと感じていました。その時に海外への派遣を経験した人の生の声を聞く機会もあり、海外の勤務は大阪とは全然違うから機会があれば行ったほうがいいと薦めてくれたこともあり、また、私も違う世界の人びとの生活を直接見て体験してみたかったので、参加しました。

2.今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

看護師の免許を取りましたが、結婚して子育てのために長い間主婦をしていました。
2000年から徐々に職場に復帰し、看護師やケアマネージメントの仕事をしていました。
現在53才ですが、今までの人生の経験全てが活きてくるというか、その結果が出てくるというか、今までと違う世界に入るのですから、ある意味、持っている全てを使って、その結果も見えるという意味で面白い世界だと思います。

それにプラスとしてですが、やはりコミュニケーション手段として、英語が出来たほうがいいと痛感しましたし、場所によって違うかとは思いますが、基本的なコンピューター操作は必須です。

3.今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?


難民キャンプと診療所の間の境界線

私が派遣されたのは、タイの首都バンコクから北へ車で6時間ほど行った所にある難民キャンプでした。プログラムは、その難民キャンプの住民の生活全般を支えるものでした。この難民に対して、タイ政府は、隣国ラオスからの不法移民だという定義を崩さず、2007年9月には、タイ政府とラオス政府が難民を出来るだけ早くラオスに送還するという合意に達しました。このため、私がキャンプに派遣された時には、住民がいつラオスに帰されるのかと不安な毎日を送っていました。

難民キャンプの住民は、山岳地帯に住むモン族という少数民族で、この民族の起源は中国にあるのだそうですが、長い歴史の中で虐げられており、自分たちの土地を持たないために、現在世界中に散らばっているとされています。また、ベトナム戦争の時にはアメリカのCIAに協力したという歴史があり、その関係で現在アメリカにモン族のコミュニティがあるそうです。インドシナ半島の複雑な歴史の中で、この人たちがラオスに戻った場合、人によっては命の保障がないなど、少なくとも生活できる見通しはないようです。


週に一度の予防接種の日の様子

難民キャンプには約7800人が暮らしていて、その半数は子どもです。現在このキャンプを支援しているのはMSFだけです。MSFは上下水道を整備し、水や食糧、調味料や石鹸、ビニールシートなどの生活に最低限必要な物資の供給から住民の健康管理、出産・病気の診療に至るまで、難民キャンプの生活全体をカバーしていると言っても過言ではありません。

私の仕事は、この難民キャンプのすぐ横に設置されたMSFの診療所で活動している現地スタッフの監督業務でした。具体的には、看護師の管理監督、薬局全体の管理、地域社会を巡回して家庭訪問を行うスタッフの教育です。

看護師の仕事としては、怪我をした、あるいは火傷をした子どもが毎日のように診療所にやってくるため、その処置を現地の看護師と一緒にしていました。また、発熱や下痢の症例が多く、地域の衛生状態も気になっていました。

薬局全体の管理は、診療所で用いる医薬品や医療器具全般の需要と供給を把握し、その流れに支障をきたすことのないようにするものでした。

家庭訪問を担当するスタッフの教育では、地域社会の人びとに対する衛生教育、予防接種の徹底を主に考えていました。

4.週末や休暇はどのように過ごしましたか?

診療所は平日の9時から5時までで、基本的には土日が休みでした。私たちが住んでいた宿舎は、難民キャンプから車で約45分離れた所にある普通の村で、治安は問題ないため、外出は自由でした。

しかし知らない所ですし、何処かに行くにしても車がないと行けないため、近くにある寺院へ散歩したり、市場に買い物に行くぐらいでした。休みが3日あると、バスに乗って遠出することも可能でした。

バスで2時間の所に、世界遺産で有名なスコータイ遺跡もありました。私は残念ながら行けませんでしたが、バケーションの時に、タイ各地や隣国に行くことも可能です。

テレビはありませんでしたが、インターネットがいつも接続可能な環境でしたので、時間がある時は家族や友人からの便りが楽しみでしたし、ネットでいつでも日本の情報を見ることができました。DVDを見ることもできました。

5.現地での住居環境についておしえてください。

大きな3階建ての家に、派遣スタッフのメンバーが一緒に住んでいました。寝る時は一人一人別の部屋ですが、それ以外は全て共同です。朝、食堂で朝食を摂り、車で難民キャンプへ行き、夕方宿舎に帰り、夕食を摂り、その後ミーティングや翌日の仕事の準備をしたりですから、基本的にいつも集団行動です。平日の夕食や掃除、洗濯は、現地で雇っている人がしてくれていました。

6.良かったこと・辛かったこと


難民キャンプ内の様子

良かったことは、やっぱり海外派遣を経験してみたかったので、行けたこと自体が良かったですね。難民キャンプの人たちの生活を見て、違う所でいろいろな人たちがこんな生活を送っているんだと知り、いろいろ考えさせられたり、診療所では毎日怪我や病気の人が来るのですが、日本では考えられないようなことが毎日起きるので、刺激的でした。

辛かったことは特にないのですが、派遣中に病気になり、任期途中で帰ってきたことが残念です。その間にチームの他のメンバーにいろいろとお世話になり、心配をかけたことも悔やまれます。

7.派遣期間を終えて帰国後は?

元々、夫と子ども4人の家族の主婦だったので、当分は家でのんびりしています。
これからの希望としては、北朝鮮での援助活動に携わりたいです。

ですから、これからも英語と韓国語を勉強して、いつか北朝鮮に行ける日のために体力をつけないといけないですね。

8.今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

「フォレスト・ガンプ 一期一会」の”人生は箱のチョコレートと同じだ。何が出てくるか分からない”という言葉を贈ります。小学校の時、明日の遠足が楽しみで眠れなかったことはありませんか?全然知らない所に行く時、その前にいろいろ想像してみるけど、行ってみると想像していたのと全然違っています。いい時も悪い時もあります。行ってみないと分かりません。

私自身は日本に在日韓国人として生まれ、小さい時から、人間社会というものは最初から不平等なものだと分かっていました。でも世界に目を向けると、私の知っていた不平等なんて吹っ飛ぶような現実があります。その一端に触れて、自分を振り返ると、また違った自分の世界が見えてきます。
違う世界を見ることは、また違った視点を得ることにつながります。

海外で外国語を使って仕事をするということは想像以上に大変でしたが、得るものはそれ以上にありました。後悔することもあるかもしれませんが、良いことはそれ以上にあります。一番最後に必要なものは、「柔軟な強さ」かな?失敗したり、挫折を味わったりしても、それを栄養分として自分に取り込む強さを持っていてください。いつかきっといいことがあります。

MSF派遣歴

  • 派遣期間:2006年3月~2006年11月
  • 派遣国・プログラム地域:日本・大阪
  • ポジション:看護師
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