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サイトトップ > 証言 > 「子どもには罪はありません。私はこの子を受け入れなければなりません。」

「子どもには罪はありません。私はこの子を受け入れなければなりません。」

(2009.4.15)

L(仮名)がマシシ病院に入院してから数週間が過ぎた。MSFの医療スタッフの助けの下で、Lは妊娠と母親になることを少しずつ受け入れるようになった。彼女は現在45才で、2008年5月に武装した男たちにレイプされ、この3月に出産した。 MSFの看護師たちが見守る中、彼女は自分の話をすることに同意した。

「この子は何も悪くありません。私は娘を受け入れなければなりません

「私の名前はL。45才です。夫を亡くして4年になります。子どもは12人生みました。そのうち今も生きているのは10人です。去年の5月、畑へ向かう途中、5人の武装した男たちに出会いました。彼らは空中に発砲し、3人は立ち去りました。2人はそこに残りました。私はその2人に襲われ、レイプされました。

「家に帰ると、自分の身に起きたことに恐怖と恥ずかしさがこみ上げてきました。当時、亡くなった夫の家族と同居していましたが、私はひどい扱いを受けていました。私は誰にも一言も話しませんでした。でも生理が来なくて、ひょっとして妊娠したのではないかと思うようになりました。伝統的な避妊薬も飲みましたが、効きませんでした。妊娠してしまったのです。それで自殺しようと身投げしましたが、村の人に助け出されました。」

「私は妊娠のことを隠そうとしました。でも、めまいと吐き気がして、みんなに気づかれてしまいました。村で啓発活動の集会が開かれた後、マシシ病院に診察を受けにやって来ました。」

「Lは定期診察に来るようになりました」と、MSFの看護師で性暴力の被害者の診察を担当しているフランシーヌは話す。「彼女はここにやって来ては泣いていました。3時間泣き続けたこともあります。初めのうち、彼女は何も話さずに帰って行きました。私たちは彼女にたくさん話かけました。彼女を支え、話に耳を傾けて、慰めました。」

「こんな支えがなかったら、私は自殺していたでしょう」とLは話す。

3月半ば、Lは出産した。彼女の母親が見舞いにやって来たが、彼女の舅は病院に来ることを拒否した。「私は家族に拒絶されました」とLは説明する。「もう家族と一緒に暮らすことはできません。今は近所の人のところに身を寄せています。私にはまだ支えが必要です。私は汚名を着せられ、自分の家族と子どもたちから、そして地域から拒絶されてしまいました。彼らは私のことを、『未亡人なのにあの年で子どもを生むなんて恥知らず』と言っています。」

「上の2人の息子たちは長い間兵役に就いています。路上で暮らしている息子が1人いますが、その息子は私が妊娠したと聞いて、赤ん坊と私を殺すと脅迫してきました。もしこの子が、将来畑に対して権利を要求するかもしれない男の子だったら、私も赤ん坊も殺すと言ったのです。」

今日、彼女は小さな女の赤ちゃんを胸に抱いて母乳を与えている。「この子は何も悪くありません。私はこの子を受け入れ、歓迎し、面倒をみなければなりません。娘に罪はありません。今私はこの子を母親の目で見ています。私たちは一緒に生きていかなければなりません。もうじき私は村に帰ります。また近所の人の家に身を寄せることになるでしょう。義理の家族はもう私を畑で働かせてくれないでしょうから、荷物運びの仕事をして少しでも稼がなければなりません。」

「いつか自分の家を持ちたいです。そうすれば、娘も私も誰からも追い払われることがありませんから。」

MSF International

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