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サイトトップ > 証言 > 「襲撃の5日後になってやっと遺体を埋葬できました」

「襲撃の5日後になってやっと遺体を埋葬できました」

(2009.2.12)

タンボヘ、38才。コンゴ民主共和国(DRC)ナポポ村から南スーダンに逃れた難民

私はトンゴトンゴ(コンゴにおける「神の抵抗軍(LRA:ウガンダの反政府組織)」の呼び名)から逃げてここへ来ました。彼らは私の村の住民を殺し、また生きたまま焼いたのです。

LRAは数週間前に村にやって来て、診療所を略奪しました。医薬品を全部持ち去りましたが、私たちに危害は加えませんでした。

しかしバンガディを襲撃した後、彼らは私たちの村へ戻って来ました。最初に彼らが見つけて銃殺したのは私の義理の弟でした。私たちは一部始終を目撃しました。義弟は6発の銃弾を撃たれました。その後、彼らは遺体を置き去りにして村へと向かいました。村に入ると、さらに2人を殺し、それから4軒の家に火を放ち、中の住民ごと焼き払いました。

義弟が殺される様子を見て、私たちは森へ逃げました。私は盲目の父を連れて行きました。LRAはいつも子どもをさらっていくので、私は弟たちもできるだけ早く連れ出さなければなりませんでした。なんとか森に逃げ込むことができました。私たちの家族は大人5人と子ども10人でした。殺された義弟の妻である私の妹は双子を妊娠していました。

森に身を隠していると、煙が流れてきて、私たちは咳きこみ始めました。すると人体の焼ける臭いがしました。ひどい臭いに息をすることもできないほどでした。悪臭は長い間続きました。私たちは恐怖を感じました。

遺体を置いて逃げることはできなかったので、私たちは兵士が去るまで数時間森で待ちました。夫が木の葉と家の焼け残りで遺体を覆いました。しかし、私たちはおびえており、埋葬はできませんでした。

襲撃の5日後にやっと遺体の埋葬に取りかかりました。埋葬はなんとか終わりました。それから私たちはそこから遠く離れた場所へ逃げようと決めました。身の回りのものは何もありませんでした。LRAは私たちの家も所持品も全部焼き払ってしまったのです。

避難には3日かかりました。幼い子どもたちはひどく疲れていたので、あまり早く歩けませんでした。私たちは食べ物もなく、何も持たずに着の身着のままでした。

LRAが去ったとしても、もう村へ戻るつもりはありません。何も残っていないし、思い出したくないのです。私たちはナポポ村から逃げてきた人と話をしましたが、その人は村にはだれもおらず、だれも戻ってきていないと言いました。

ここでは私たちは人の手伝いをして何とか食いつないでいます。小屋を建てて、そこに住んでいます。蚊が多く、地面に寝ているので子どもたちはよく眠れません。私は焼けた人肉の悪臭の夢を見るのでよく眠れません。LRAがやって来ても、私たちには何も差し出す物がないので、兵士たちは私たちの頭に石を乗せて野営地へ連れて行くという夢を見ます。もう絶対に戻りたくありません。

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