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サイトトップ > 証言 > 「LRAは2つの村で35人の子どもを誘拐しました」

「LRAは2つの村で35人の子どもを誘拐しました」

(2009.2.12)

サンボリ、52才、農夫。コンゴ民主共和国(DRC)リモロ村から南スーダンに逃れた難民

私たちは「神の抵抗軍(LRA:ウガンダの反政府組織)」から逃れてここに来ました。コンゴでは彼らから身を隠すことは不可能でした。一度試みましたが、うまくいきませんでした。たとえ知らない土地でも、私たちはここに来るよりほか仕方なかったのです。

LRAがリモロにやって来たのは、あたりが暗くなってきた頃でした。男たちが30人から40人いて、ヘーゼルナッツを運ぶ子どもたちと一緒でした。男たちの中には負傷した兵士を運んでいる者もいました。村の男性が全員、一軒の家に集められ、働かされました。一晩中、彼らは手荒なことはせず、ただ作業をさせました。私たちはヘーゼルナッツの皮をむき、中の実を取り出さなければなりませんでした。

夜明けに、男たちは子どもたちを連れてナッツの実を持って行きました。それから大人を再び集めると、殴り始めました。私も数人に打ちのめされました。ひとりひとりが複数の兵士に殴られ、皆いっせいに泣き叫びましたが、彼らは殴り続けました。その後、彼らは私たちの持ち物をすべて奪い、家を焼き払いました。私たちは何もできずに倒れていました。私は所持金を全て自宅に隠していましたが、それも燃えてしまいました。

男たちは19人の子どもをさらっていきましたが、そのうち3人は私の甥と姪でした。14才の女の子、それに14才と15才の男の子です。だれも逃げることができませんでした。その後、彼らからは何の音沙汰もありません。

LRAの兵士は立派な身なりをしており、コンゴ国軍のようなゴム製の長靴と制服を身に着けていました。兵士たちの中には大人も若者も子どももおり、全員が武装していました。子どもの兵士は大人よりはるかに真剣な顔つきでした。

兵士たちが行ってしまうとすぐ、私たちはバンガディ村を目指して逃げ、村では茂みに隠れて、見つけた物で食いつないで数週間を過ごしました。到着して4週間後、再び銃声が聞こえました。LRAが村の中心部を襲撃していたのです。私たちは森に隠れましたが、村人たちは反撃することに決めました。バンガディの住民は伝統的な武器を持っており、準備万端でした。村人たちはLRAの兵士を12人殺害しましたが、村人も8人殺されました。

LRAはバンガディ村を去りましたが、その途中でナポポ村を通り、そこで住居に火を放って住民を焼き殺しました。3人が銃殺され、4人が焼き殺されました。合計すると、彼らは2つの村で35人の子どもを誘拐しました。

最初の避難では42km歩きましたが、姿を見られないように注意して移動しなければならなかったので、3日もかかりました。2度目の襲撃が起きたあと、南スーダンのサクレまで来るのにさらに3日かかりました。LRAがコンゴにいるので、南下することに決めたのです。

初めてLRAを見たのは、去年の9月でした。それまで彼らの存在は単なる噂に過ぎませんでした。今は、彼らがウガンダに去ってしまったと完全に確認できるまでコンゴには戻らないつもりです。

私は同じ夢を何度も見ます。食糧を探しに戻ってきた私を彼らが見つけて襲うのです。この夢を見るようになってから、コンゴには戻っていません。彼らがウガンダへ行ったと確認できるまでは絶対に帰国しません。兵士たちは私たちに戻ったら殺すと言い、LRAが南スーダンへ行く通り道になるからと、この土地から去るように命じました。

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