Condition: Critical

危機に陥ったコンゴ民主共和国 ホームニュース証言MSFの活動写真ビデオMSF トップページへ
このページを友達に送る フルバージョンはこちら(英語サイト)
  • del del.icio.us
  • blink blinklist
  • digg digg
  • face Facebook
  • furl Furl
  • magnol ma.gnolia
  • newsv Newsvine
  • pownce Pownce
  • reddit reddit
  • stumble StumbleUpon
  • tech Technorati
  • twit Twitter
支援をする

サイトトップ > 証言 > 「そのときLRA兵士が私たちに気づいて追ってきました」

「そのときLRA兵士が私たちに気づいて追ってきました」

(2009.2.10)

キブ州での戦闘が世界の注目を集める中、隣接するオー・ウエレ地方もまた暴力に苦しんでいる。ウガンダの武装勢力「神の抵抗軍(LRA)」が住民を恐怖に陥れ、村を略奪し、焼き払い、子どもを誘拐し、人びとの命を奪っている。国境なき医師団(MSF)のチームは11月1日に襲撃を受けたドゥングの町を訪れ、住民のニーズを調査し、以来ドゥングで活動を行ってきた。住民のひとり、Jという男性が、自分の家族に起こった出来事をMSFチームのメンバーに語ってくれた。その話から、LRAの暴力の犠牲となり、村からの避難を余儀なくされた人びとの苦難が明らかになる。

Jはドゥングから歩いて何時間もかかるドゥルという村の修道院で働く大工だ。妻と5人の子があり、幼い姪ひとりの面倒も見ている。

「それは午後1時頃のことでした。私は市場と修道院から250mほど離れた場所で一房のヤシの実を切り終え、ちょうど帰ろうとするところでした。そのとき、ひとりの子どもが村から来て、村に近づかないようにと身振り手振りで教えてくれました。その子によると、LRAが修道院を包囲して、中学生の子どもたちを誘拐したというのです。

私はすぐ家に帰って、妻と6人の子どもを集め、隣人が留守にしていたのでその子ども4人も連れて、村から2km離れた森へと逃げました。森の中では、所有する農作地の隣で2日間過ごしました。畑から取ってきた豆とナスを、鍋がないため、妻が空き缶で調理して皆で食べました。

LRAに誘拐されたものの、3日後に逃げることができた少年がひとり、私たちに加わりました。少年は、LRAは午前3時頃に村を離れて川を渡ったと言いました。

森で一緒になった隣人とともに、村がどうなったか見るため、そして生活必需品を取りに行くために戻ることにしました。私の敷地にあった3つの小屋、わら造りの小屋、台所、ヤギ小屋がすべて焼け落ちている様子を見るのは、とてもつらいことでした。何もかも燃えてしまっていました。6頭のヤギは、銃で撃たれ、地面に倒れて死んでいました。

隣人は家族とともに森を抜けてスーダンへ逃げることにしました

つらい気持ちを振り捨て、私たちは急いでヤギ1頭を解体し、分け合いました。私は焼け死んだ鶏2羽の残った肉も加え、それらを背負って隠れ場所へ戻りました。隣人は家族とともに森を抜けてスーダンへ逃げることにしました。私の妻は見知らぬ国へ行くのを嫌がったので、私たちは翌日、親類の住むドゥングへ行くことにしました。

翌日の11月2日、その日のうちにクパイカという村に着けるよう、午後4時頃にドゥングへ向けて出発しました。着いた時、長時間の徒歩での移動のせいで、8才の息子の足が腫れてしまったので、その夜は礼拝堂で休み、翌朝早く出発することにしました。

明け方4時頃、銃声と人びとの叫び声で起こされました。私たちも逃げようと、妻は末の娘をおぶって8才の息子を抱き、私は3才の息子を抱きかかえました。妻が穴に落ちたので、私は息子を降ろして妻を助け出そうとしました。そのとき、LRAの兵士が私たちに気づいて追ってきました。なんとか妻を穴から引きずり出して一緒に逃げました。そのときになって、3才の息子を置いてきてしまったことに気づいたのです。息子の叫び声が聞こえましたが、もう手遅れでした。私たち全員がつかまってしまうリスクを冒すことなく、戻ることなど不可能でした。

奇跡

私たちは森の中に身を潜めて、そこで何らかの情報を得ようとしました。クパイカでは多くの住民が殺されたということでした。午前11時頃になってあたりがまったく静かになりました。すると、たくさんの人びとが木の葉を踏みしめる音がかすかに聞こえてきました。注意深く近づいて見ると、その音は大勢の避難民が通りすぎる道路の方から聞こえていました。私たちは会う人ごとに、小さい男の子がひとりで道路にいるのを見なかったかと尋ねました。ある人が偶然、LRAの兵士が息子を背負っているのを見たと教えてくれました。私たちは絶望しました。妻と私は、そうすれば息子からますます離れてしまうとわかっていながら、残った5人の子どもたちを守るためできるだけ早く避難しようと決めました。そこで避難民の人波に混じり、11月4日にキリワに着きました。

そのキリワで奇跡的に、末の息子が解放され、善意ある人が面倒を見てくれて、ドゥングへ連れて行ったと聞いたのです。

私たちはその夜を道路脇のマンゴーの木の下で過ごしました。のどが乾き、疲れ果てていましたが、息子のことを思うと心は軽く、すでにドゥングへ向かっていることを祈りました。私たちは午前4時頃にキリワを発って、1日中歩きました。午後6時過ぎにドゥングに到着し、神父さんたちが避難場所を提供してくれました。今日で4日目になります。今は息子を待っているところです。」

※写真は本文中の人物とは無関係です。

MSF International

Which MSF website would you like to visit?