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サイトトップ > 証言 > すさまじい襲撃で、逃げるしかなかった

すさまじい襲撃で、逃げるしかなかった

(2008.12.15)

コンゴ民主共和国(DRC)では南・北キブ州の戦闘が大きく報じられているが、隣のオー・ウエレ地方も戦闘の影響を受けている。神の抵抗軍(LRA)の兵士たちが、略奪、放火、児童誘拐、殺害を働き、住民を恐怖に陥れているためである。国境なき医師団(MSF)は、11月1日にLRAの襲撃を受けたドゥングの町を訪れ、住民のニーズを調査した。その後11月10日には、家を失った人々の支援プログラムを立ち上げた。
ドゥングから125km離れたバンガディから避難してきたM氏は、村を襲撃したLRA兵士の残忍な行為について次のように語っている。略奪、破壊、誘拐、殺人…、LRAは住民に対し容赦なく暴力を振るった。

2008年10月19日の日曜日、真夜中近くに警報が鳴りました。身元不明の集団が村に侵入したことを知らせる警報です。ナポポを通過した後、身を潜めていたLRAの武装兵士たちが、夜になってバンガディに侵入したのです。私の住んでいるバフカ地区では午前5時に最初の銃声が響きました。

それがLRAの仕業であることは近所の人が教えてくれました。家族や家財を守るために、迅速に行動しなければなりませんでした。私はまず子どもたちに床に伏せるように言いました。しかし銃声が近づいて来たので、家族全員で森へ逃げました。近所の人が、持ち出せるものは全部持ち出したほうがいいと言って、荷物を運ぶのを手伝ってくれました。見つからないように小屋まで這って戻り、まだ銃弾が飛び交う間に、オートバイ、テレビ、衣類を持ち出してバナナ農園に隠しました。

しばらくして、カリスマ改革派聖職者会議の建物が略奪にあいました。バフカ学院の学生が1人撃たれ、3時間後に亡くなりました。ジョージ先生も撃たれて亡くなりました。武装集団はこの地区を略奪し終えると、誘拐した人びとに略奪品を運ばせ、バンガディの別の地区、クンバリへ移動しました。この略奪に要した時間はわずか45分程度だったと思います。

我々に何ができるでしょう?逃げるよりほかにありません。彼らはきっとまた戻ってくるでしょう。悲しいことに、この襲撃中に私の叔父が亡くなりました。村を去る前に叔父を埋葬しなければならなかったので、ニアンガラに向けて自転車で家族を連れて出発できたのは翌日でした。ニアンガラにはそのさらに翌日に到着し、友達の家に泊めてもらいました。ようやくドゥングに着いたのは25日のことです。今は何の持ち物もなく、ワンド学院の教職員宿舎に滞在しています。

後から逃げてきた同僚が、避難する前に目撃したことを次のように話していました。

「病院の近くで銃声が2回聞こえ、2人の男性が地面に横たわっていた。1人は若者だった。商店街の付近では激しい銃声が聞こえ、店はあっという間に略奪にあった。このとき農業技師のアニンゴティヨは銃弾で蜂の巣にされてしまった。

襲撃者たちは、市場通りに戻ってきて私たちの家々に火を放った。教会とオーガスティン尼僧院も徹底的に略奪され、バンガディ小学校の近くでは、逃げようとした男性1人が射殺された。ザンガイメ通りに面した家々にも火が放たれた。目撃した住民たちによると、誘拐された大人や少年たちは重い略奪品を運ばされていたという。すさまじい襲撃で、逃げるしかなかった」

私は結婚していて11人の子どもがいますが、今後の見通しは暗いです。学校は閉鎖されているし、畑はバンガディに残してきました。でもこれほど危険なバンガディに戻って、子どもたちを学校に通わせ、元の生活を営むことができるでしょうか?」

(写真は2006年に撮影)

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