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サイトトップ > 証言 > 先に逃げた人びとがラジオで私の死を報じていました

先に逃げた人びとがラジオで私の死を報じていました

(2008.12.15)

コンゴ民主共和国(DRC)ではキブ州の戦闘が大きく報じられているが、隣のオー・ウエレ地方も戦闘の影響を受けている。神の抵抗軍(LRA)の兵士たちが、略奪、放火、児童誘拐、成人の殺害を働き、住民を恐怖に陥れているためである。国境なき医師団(MSF)は11月1日にLRAの襲撃を受けたドゥングの町を訪れ、住民のニーズを調査した。その後11月10日には、家を失った人びとの支援プログラムを立ち上げた。

妻と10人の子どもを持つD氏は、LRAの兵士の略奪を4回にわたって受けている。彼は「今回はあまりにもひどすぎます。彼らは衣類、米、ニワトリまですべて奪っていきました。見逃してくれたのは私の命だけです…」と話している。

私はバヨテという村に住んでいます。10月17日、学校の事務室で会議をしていたとき、LRAが村に侵入したという知らせが入りました。私はすぐに家に帰って、隠せるものはすべて隠しました。LRAは何でも奪うというのが、以前から常識となっていますから。私は子どもたちの衣類をまとめて自転車に積むと、息子に皆を連れて畑に隠れるように言いました。LRAが家にやって来たのは、息子が出て行ったのとほぼ同時のことです。彼らは私を脅し、床に座れと命令しました。兵士たちは全部で10人いました。1人が私に銃口を向け、2人は外で見張り、残りの7人も小屋に入ってきました。妻と子どもたちが全員畑に隠れていたのは幸運でした。

LRAの略奪が始まりました。衣類、なた、鍋…彼らはお金と自転車を探しているようでした。私に銃口を向けていた兵士が、立って外に出ろと命じました。外に出てみると、見張り役の2人の兵士はそれぞれ、少年たちのグループを連れていました。少年たちは首と足首をロープで縛られ、離れないように互いにつながれていました。また、略奪品の一部を頭の上に載せて運ばされていました。

7人のLRAの兵士たちは小屋を出るとき、ろくな収穫がなかったことに腹を立て、私の服を脱がせ始めました。1人がシャツを奪うと、次がベルトを取り、その次は靴と次々に奪い取り、最後の1人が、私が脱げないように両手で押えていたズボンまで要求しました。裸にするのだけは勘弁してほしいと頼みましたら、彼は私を棒で思い切り叩いて、学校の隣にある小屋の裏に連れて行きました。そしてズボンを剥ぎ取ると、背中を強く叩いて素っ裸の私を森へと追い立てたのです。私はどこだか分からないまま走り、恐怖にかられて道に迷ってしまいました。

2時間ぐらいでしょうか、しばらく逃げてある田んぼのそばまで来たとき、農夫が使っている村への小道を見つけました。その道をたどり、午後になって村の教会に着きました。私はコーヒーの木の陰に隠れて、着る物を持ってきてほしいと叫んで助けを求めました。

皆は私を見て驚きました。普通、LRAは犠牲者が叫び声をあげる前に首の後ろを殴打して殺してしまうので、皆、私が死んだと思っていたようです。私が死んだというニュースが直ちに広まっていましたし、ドゥングでも、先に逃げた人たちがラジオで私の死を報告していました。

LRAは「こんなのはまだ序の口だ。また戻ってくる」と言い残して村を去っていきました。それで、私たちは村から避難することにしたのです。皆と同様に私も畑に隠れていた家族と再会し、他の家族と一緒に逃げることにしました。皆、LRAが夕方に戻ってきたらどうしよう、畑で見つかったらどうしようと、怖がっていました。

翌朝早く、私は年少の子ども4人と衣類を自転車に載せ、45km離れたンギリマへ向けて出発しました。妻は他の子どもたちと畑の近くの隠れ場所に残りました。30kmほど歩くと、子どもたちが疲れてしまい、夜になったので道端で眠りました。幸い雨は降りませんでした。

ようやくンギリマに到着したのは24日のことでした。ンギリマには小さな土地を持っています。私は子どもたちを友人に預け、妻の避難している畑に戻りました。妻を連れて、食糧を持って帰ってくるのにさらに3日かかりました。

私たちはンギリマに留まるつもりでしたが、LRAがンギリマに向かっているというニュースを聞き、近所の人々が皆逃げたので、私たちも逃げることにしました。24日以降は、ドゥングの親戚の元に身を寄せています。食糧は底をつきましたが、助けてもらっています。LRAはドゥングにもやって来るのではないかという新たな噂もあり、今も不安に怯えています。

(写真は2006年に撮影)

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