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サイトトップ > 証言 > 負傷した子どもにつきそう父親 -マシシ病院-

負傷した子どもにつきそう父親 -マシシ病院-

(2008.11.21)

私の名前はンガランベ・ルカンビカです。49才です。4人の子どもと3人の孤児とともに暮らしています。孤児たちは私の実子ではなく私の姉妹の子どもです。

私の家はここから丸一日歩いた所にあります。

なぜ私がここいるかというと、私の村では戦争が行われているからです。 子どもに手当を受けさせるために、このマシシ病院にいるのです。 息子の名前はサンソンです。9ヶ月です。ここに来るまでは妻がいつもこの子を背負っていました。しかしある日、村で激しい銃撃戦があり、妻は逃げようとしました。そして家を離れようとしたとき、兵士たちに狙われたのです。銃弾は妻に当たり、妻が背負っていたこの子にも当たりました。銃弾は妻の肝臓を貫通し、背負われていたこの子の足に当たったのです。

私はこの子を抱き起こしに行きました。

妻はといいますと、私の兄弟の手を借りて、埋葬してやりました。

その日村では6人が殺されました。村の全住民が逃げ出しました。私はここまで歩いてきました。なぜかというと、ここまで車が通れるような道はないからです。幾つもの丘を乗り越えなければなりませんでした。二日間歩き続けました。その途中で、急いで子どもを病院に運ばないと死んでしまうと言われたのです。

ここでは息子の横に座り、毎日を過ごしています。私の悲しみを知る友人たちが助けてくれています。彼らがわずかながらも食べ物を分けてくれるので、それを食べています。

以前は良い生活でした。教会で伝道師もしていたんですよ。作物を育て、いい暮らしを送っていました。戦争にも、政治にも巻き込まれない生活でした。戦争が私達をこんな状況に追い込んだのです。一言で言えば、幸せな家庭でした。あはは・・・(笑)。豆類、トウモロコシ、ソルガム、なんでも植えていました。多くの作物を育てていたのですよ。

息子はここでとても手厚い看護を受けています。もうすぐ完治するでしょう。しかし問題はその後、どうやってこの子を連れて戦争が続いている村に帰るかです。戦争が続く限り、村に帰るのはとても難しいです。

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