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サイトトップ > ニュース > キブ州からオー・ウエレ地方まで、苦しみは同じ

キブ州からオー・ウエレ地方まで、苦しみは同じ

(2009.2.9)

国境なき医師団(MSF)のウェブキャンペーン「危機に陥ったコンゴ民主共和国」は、その対象範囲を拡大し、南北キブ州だけでなく、より北部のイトゥリ地方およびオー・ウエレ地方の人びとの苦しみも取り上げることとなった。キブ州の窮状はメディアから少なからぬ注目を集め、住民の苦しみへの認識は高まっている。しかしこうした認識は、同国東部地域で苦しんでいるすべての人びとに対して拡大されなければならない。彼らもキブの人びとと同様に苦難や治安の悪さに直面しており、彼らに医療援助を提供することの難しさもまた同じである。MSFは彼らの声の全てを伝えたいと考えている。ここに集められた記事や証言は、彼らが2008年9月以降おかれている状況を表し、またMSFがこうした困難な時期を通じて、人びとを支援するために行った取り組みの詳細を伝えるものである。そしてこの困難な状況は、キブ州と同様、今後数ヵ月間は続く可能性が高い。

イトゥリ地方:十字砲火にさらされる人びと

2008年9月、恐らくは単なる挑発行為が原因で、2005年以降次第に収まりつつあったイトゥリ地方の紛争が突然に再発した。

2002年と2003年の激しい戦闘によって、ブニア市内および近郊では何万人もが死亡した。多大な努力の末、ようやく暴力に歯止めがかかり、イトゥリ地方の人びとはわずかながらも平穏の時を過ごせるようになった。

しかし平穏は長続きしなかった。北キブ州の部隊を増強するために国連コンゴ監視団(MONUC)とコンゴ政府がイトゥリ地方から一部撤退する中、全体的に高まる不満を背景にして発生した挑発行為によって、直ちに暴力が拡大し、人びとは再び武装勢力の標的となってしまった。

ほんの数日で、5~7万人が戦闘を避けて自分の村を離れ、逃げる途中で暴力の犠牲となった。ある勢力からは民兵組織を支援しているとして糾弾され、その民兵組織からは支援が十分でないとして糾弾された。地域一帯から瞬く間に住民が消え、住民は逃げる途中で略奪の被害にあった。

こうした危険な状況での医療・人道援助の提供は、極めて段階的にしか実施できない。それでも私たちはできる限り迅速に、数千人の避難民たちが孤立して隠れている地域に到達しなければならない。彼らは自分たちの村からほんの数kmのところに隠れている場合もある。また彼らは、家族に食べさせるために自分の畑に作物を収穫しに行くことさえ恐れている。2009年1月現在は、ゲティ地域が特に危険な状態にある。住民たちはまだ自宅に戻っておらず、将来の平和についての見通しも完全に失われたままである。

イトゥリ地方の新たな危機は、さまざまな紛争当事者間で交わされた停戦合意の脆さを示すものであり、一般市民にとって未来がさらに困難で、破壊的なものになることを予測させる。犠牲となるのは常に一般市民である。

オー・ウエレ地方:子どもたちはみな隠れたまま

コンゴ北東部オー・ウエレ地方の中心的な町であるドゥングから2時間の場所にあるンギリマの町をMSFのチームが最近訪れた。9月中旬に襲撃が発生して以来、森に身を隠していた人びとは徐々に町に戻っているようだが、子どもたちの姿は今なおどこにも見当たらない。学校もすべて閉鎖されたままである。子どもたちはみな恐怖におびえ、隠れたままでいるのだ。親たちはみな、ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)*」の元兵士たちがまだこの地域にとどまっていることを十分に知っている。自分の子どもが武装勢力の拠点へと連れ去られ、それ以降一度も再会できていないと証言する親もいた。

この地方で約1年前から起こっている事態を詳細に説明することは難しい。証人がほとんどいないためだ。道路状況が悪いため、事件が起こっている地域に赴くことも極めて困難である。

イトゥリ地方やキブ州と同様、オー・ウエレ地方の状況は2008年の9月から悪化した。LRAの兵士によってドゥルという村が襲撃を受け、約90人の子どもが誘拐されたのがその始まりだった。これを端緒に、血気にはやる武装した兵士たちは無慈悲ないたちごっこを始め、村から村へと襲撃を続け、その度に多くの子どもたちを森の中に連れ去った。後に集められた現地からの報告には、幾度も繰り返される、生々しい悲痛な話が多くあった。こうした一連の襲撃が頂点に達したのは11月1日のドゥングへの襲撃だった。この日、MONUCは宿舎に留まっており、ドゥングの人びとは自分で自分の身を守るしかなかった。

その3日後、状況を調査するために現地に派遣されたMSFのスタッフは、町から住民が消えてしまったと報告するしかなかった。町に残っていた数少ない人びとは脅えており、病院はほぼ無人だった。避難した人びとは皆、町のはるか南方にある森の中に隠れており、そこまで赴くのは不可能であった。人びとは自分たちを守るべき存在に対してほとんど信頼を寄せておらず、そのために自宅に戻ることを躊躇し、またたとえ親が戻っても子どもは隠れたままでいるのだ。

こうした状況を前に、援助活動を組織することは未だに困難である。しかしその一方で時間の経過とともに、援助の必要性は高まっている。そのためMSFは複数のチームを派遣し、ドゥングの町で援助を提供しようと試みている。また、徐々にドゥングから離れた周辺の村々にも移動診療による診察を行う範囲を広げつつある。

*神の抵抗軍(LRA)はウガンダの反政府組織であり、リーダーであるジョセフ・コニーを含む主な主導者たちに対しては、国際刑事裁判所(ICC)が国際逮捕状を出している。LRAは、2008年4月にウガンダ政府との和平合意の締結を拒否した後、コンゴ民主共和国北東部にあるガランバ国立公園に逃げ込んだ。

MSF International