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MSFチーム、襲撃から3日後の高ウエレ州ドゥング町に入る

(2009.1.16)

11月初旬、コンゴ民主共和国北東部の高ウエレ州ドゥングで、武装集団「神の抵抗軍(LRA)」による襲撃が発生した。その3日後、国境なき医師団(MSF)のイトゥリ州と高ウエレ州における緊急援助活動プログラムの活動責任者および医師、ロジスティシャン(物資調達管理調整員)の3名からなるチームが現地入りし、一連の襲撃が住民に及ぼした影響や、ニーズの内容と緊急度を調査した。チームは同時に、現地の治安が迅速な活動再開を許すような状態にあるかどうかの確認に努めた。

MSFを含め、ドゥングに拠点を置くすべての援助団体は、LRA軍による襲撃が続いていた11月1日に退去を決めた。襲撃時の混乱は非常に大きく、住民も人道援助従事者も身の安全の保障が完全に失われたことを感じていた。

荒廃した町

ドゥング町南部の、国境なき航空団(ASF)が管理する雑草に覆われた小さな着陸場に、伝道団体ミッション・アビエーション・フェローシップ(MAF)の単発小型機が到着した時、MSFチームはこの地域がほとんど無人と化していることに気づいた。「日中は所持品を取りに帰ってくる住民もいます。しかし夜には、誰もが反乱軍を恐れて南方の森に身を潜めます」と、ASFの現地責任者は説明する。ウガンダの元反乱軍であるLRAが暴虐的だという噂は、その襲来に先んじてどこにでも届いている。町の一角で出会ったひとりの若者は、震える声で恐怖の一夜の様子を語った。「ドアは充分に頑丈だろうと考えて、20人ほどが私の家に集まっていました。その後すぐ近くで銃声が聞こえ、武装した男たちがドアを打ち破って侵入しようとしました。壊されるよりましだと、私はドアを開けました。男が3人いました。ひとりはマシンガン用の銃弾ベルトを体に巻き付け、後の2人はロケット弾の発射筒を持っていました。3人ともひと言も発しませんでした。幸い、FARDC(コンゴ民主共和国軍)がやって来たので、男たちは逃走しました。」夜明けと共に、この家に集まっていた人びとの全員がキバリ川の橋を渡って南へ向かうことを決めたが、その道中、パニック状態に陥った何千人もの住民と出くわすことになった。ドゥングとその近郊の人口は平常時ならば5万人を下らない。

ドゥング総合地域病院の光景は、住民の状況を如実に反映していた。MSFが訪問した日も、まだ病院はほとんど無人状態のままであった。病院スタッフのうち、わずかに看護師2人、薬剤師1人、そして医師1人が残っているだけだった。チームの訪問時に勤務していた唯一の看護師は、怖がること自体を拒んでいた。「怖がってももう遅いのです」と、彼女はいら立ち気味に語る。「もう終わってしまったのです。彼らは行ってしまいました。私たちはそう願っています。」現在この看護師は、動けない患者ばかり7人をひとりで介護しなければならない。先週虫垂炎の手術を受けた若い男性や、前夜に帝王切開で出産したばかりの女性もいる。この地域の担当医師は、こんな状況下でも帝王切開を実施した。最近の戦闘による犠牲者の詳細は、いまだ判明していない。市民1人が銃撃で死亡したことは明らかになっている。軍と反乱軍の死亡者についての報告は提出されているが、正確な数字は明らかではない。負傷者については、病院の民間病棟に運び込まれた患者はいないが、軍用病棟には数人が入院している。

避難した人びとの生活状況を調査するため、チームは町の南方へ向かうことを決めた。避難中に乗り捨てられた軽トラックに、緊急物資がすばやく積み込まれる。チームはルング、そしてこの地域最大の町イシロへと続く大きな道路と交差する小さな道を、ンデドゥ目指して出発した。イシロへはドゥングから210kmの距離だが、四輪駆動車でまる2日かかる。まず10km足らず離れたマコロングルで、チームは教会とナドゴロの小学校近くに人びとが集まっているのを見つけた。数百人が大きな草葺き小屋の避難所で待っていた。チームのガイドを務める元MSF職員のジャン・ボスコによると、この地域には同じような避難民の集団が約8ヵ所から10ヵ所あるという。

誘拐の恐怖

人びとは、チームの訪問を驚きの表情で迎えた。この訪問は、最近の戦闘が生じて以来初めてで、チームが会った人びとの大半は、その数日間のショックを引きずったまま暮らしていた。緊張が明らかに見てとれた。「誰も私たちを守ってくれませんでした」と、火のそばで働いていた女性が語る。「国連コンゴ監視団 (MONUC)の兵士は助けてくれませんでした。一体キャンプで何をしているのでしょう。『自警団』(現地の住民で構成され、ほとんど丸腰である)が勇敢だったので感謝しています。」コンゴ政府軍は人びとの抗議を免れているようだ。彼らは戦った、そして何よりも恐喝や略奪を行ったという非難を受けていない。

LRA軍の攻撃を受けた人びとは、子どもと若者の誘拐を最も恐れている。子どもを抱いた若い女性が、2日間拘束された後、誘拐犯から逃れてきた顛末を村の住民にこう語っている。「私たちは近隣のあちこちの地域から誘拐され、全部で10人ほどいました。1ヵ所に集められる直前、突然自分たち以外に誰もいないことに気づきました。私を含めて何人かは、この機会を逃しませんでした。そしてまっすぐここにたどり着いたとき、息子や家族に再会したのです。」この女性の息子は発熱していたので、チームの医師ナルシス・ウェガ・キューカムの診察を受けた。キューカムは到着後ただちに小さな診察エリアを設けて活動を開始した。簡易マラリア検査の結果、受診者の半数が陽性だった。キューカムは説明する。「まだ雨季で、夜は寒いのに、人びとには身を守るものが何もありません。マラリアだけでなく呼吸器感染症にかかる危険もあります。外部の援助なくしては、彼らが長くこの状態で暮らすことは無理です。」

ニーズをより良く理解する

時刻は午後3時となり、チームはパイロットがまもなくいら立ち始めることを知っていた。飛行機で1時間半かかるブニアに戻らなければならない時間だ。

非常な速さでチームは町の一角の上空を飛んでいた。数分の間、チームは避難している人びとの集まりを探して、南方に広がる眼下の滑走路に目を凝らした。だがこの試みは徒労に終わった。人びとは万が一に備えて、滑走路から遠く離れた場所で避難場所を求めているに違いない。緊急援助活動チームの活動責任者、フレッド・メイランはこう語る。「具体的な人数についてはいまだ不明な点もありますが、これで避難民のニーズについて理解を深めることができました。もし現在の状況が続けばニーズが増大することは明らかです。私たちは今後の援助活動を決定する上で十分な情報を得ることができました。もちろん、治安問題は活動再開の前に考慮すべき重要な要素です。」

チームの医師、キューカムは状況を深く懸念しつつブニアを離れた。「あれ以上診察を続けることは不可能でした。活動再開は早ければ早いほどいいでしょう。」

MSF International