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イエメン北部の激しい戦争で
身動きの取れない市民

イエメン北部サアダ州では、この5年間に5度の戦争が起きているが、そのいずれも決着はつかず、2009年に、これまでで最も激しい6度目の戦争が勃発した。州内の支配地域から集められた反政府勢力に対して、イエメン陸軍は攻撃の手を強めており、人道面の影響はかつてないほど深刻である。軍事とは関係のない市民や病院なども標的となり、戦闘で甚大な被害を受けた。数十万人が避難し、人道援助は実質的に停止した。住む家を追われた子どもたちには、栄養失調の緊急事態が発生している。今回は隣国サウジアラビアが初めて紛争に巻き込まれ、市民の苦境をさらに複雑化している。

フーシ派の信奉者たちは、社会的、経済的、政治的、および宗教的排斥を掲げ、2004年から数回にわたってサアダ州で政府軍と交戦してきた。同州には約70万人の住民が暮らしている。第6次戦争は2009年8月に勃発したが、春先の散発的な戦闘により、すでに市民数十人が負傷していた。ラゼ行政区の病院で活動していた国境なき医師団(MSF)は、成人男女と子どもたちの治療に従事。病院もMSFスタッフの住居も戦闘の影響を受け、病院には流れ弾が飛び込み、スタッフの住居は危うく誤爆される危機もあった。この地区での戦闘は患者の通院を妨げるだけでなく、日常の救命治療や外科治療、栄養治療サービスの遅滞も引き起こした。

8月にはイエメン陸軍がフーシ派反政府勢力に対して空爆と迫撃砲による攻撃を開始し、戦闘は急速に激化した。サアダ州に15ある行政区のうち13ヵ所で激しい交戦がみられ、ほぼ全住民に影響が及んだ。11月、サウジアラビアの国境警備兵が殺害されたことを受けて、同国国軍が参戦し、イエメン国内の反政府勢力陣営に向けて空爆を開始した。

アル・タールでは、MSFスタッフが8月と9月に195例の外科手術を実施したが、うち135例は戦争に関連する負傷者だった。しかし、戦闘によってMSFはついにアル・タール病院での活動を停止せざるをえず、10月中旬にはラゼ病院も砲撃されたため、病院は閉鎖され、MSF活動を停止してスタッフの一時退避を余儀なくされた。ラゼ病院はサアダ市郊外で機能していた最後の医療施設だった。両病院では毎月数千人が治療を受けていたが、今では住民の大多数が医療を一切受けることができないでいる。

さらに戦闘に伴い、何千人もの市民がサアダ州内の北部へと避難し、数万人が隣接するハッジャ洲、アムラン洲、アルジャウフ州へと逃れたが、いずれの地域にも医療はほとんどないか、皆無である。隣接州では3万5000人が国内避難民として登録され、サアダ州ではその数4万5000人とされてはいるものの、戦闘で援助団体の移動が制限されているため、避難民の総数と集合地の確定は困難である。多くの国内避難民が、受け入れ家族のもとで暮らしていると言われている。

サウジアラビアとの国境に程近いバキム村のマンダバでは、MSFが8月中旬から活動しており、この地域に暮らす数千人の避難民に医療と飲み水を提供している。11月中旬、住民と国内避難民双方に医療を提供するため、MSFは病院の開設にこぎつけた。

同じく11月には、ハッジャ州のアルマズラク・キャンプに暮らす避難民の子どもたちに急増している栄養失調に対応するため、MSFはこの地域で調査を行い、5歳未満の子どもの8%が重度栄養失調であることを確認した。このため、同地域において栄養治療プログラムを開始した。

イエメン南部の海浜地域では、また別の人道的危機が続いている。
2009年初頭以来、1000艘以上の密航業者の船が、5万人以上のソマリア人難民とエチオピア移民を載せてアデン湾を渡った。乗客はイエメンでの安全とよりよい生活を求めて乗船していた。この数字は2008年に比べて50%の増加である。船に乗っていた人によると、定員30人から40人程度の小船に常に100人以上が詰め込まれていたとのことである。多くの人が窒息死し、岸に着く前に溺死する人もいる。2009年末時点で少なくとも266人が一部の密航業者に岸が見えた時点で船から追い出されるなどして)溺死し、153人が海で行方不明となっている。2009年、MSF はイエメン南部の海浜地域において5600人以上の難民に人道援助を提供した。

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(※ 動画は英語です)