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絶え間ない暴力に追い詰められる
コンゴ民主共和国東部の市民

2009年を通じて、コンゴ民主共和国(以下、「コンゴ」)東部の住民はさまざまな武装勢力から絶え間ない暴力を受け続けた。数百人が殺され、数千人の女性、子ども、そして時には男性も性暴力の被害にあい、数十万人が家を捨てて逃げた。北キブ州では様相が武力衝突からゲリラ戦へと変化し、戦闘員たちは、住民が異なる派閥を明らかに支援しているとわかると、その報復として略奪や家屋への放火によるテロ行為を展開した。

2008年には、戦闘は主としてコンゴ政府軍と反政府勢力の人民防衛国民会議(CNDP)との間で行われた。だが2009年、コンゴ政府軍とルワンダ政府軍がルワンダ系反政府勢力の民主解放軍(FDLR)掃討のため南北キブ州において攻撃を開始した時点で、紛争の様相が変化した。コンゴ政府軍は国連コンゴ民主共和国ミッション、通称MONUCから物資支援を受けていた。

10月、国境なき医師団(MSF)のチームは、北キブ州マシシ地域でFDLRの支配下にある7ヵ所において、コンゴ保健省の支援を受け、数千人の子どもたちにはしかの予防接種を実施していた。その際、コンゴ政府軍が発砲し、一般市民、援助活動従事者ともに現場から避難する事態となった。結果として、数千人が何処とも知れない場所へ逃げ出しMSFもチームを州都ゴマへ一時退避させざるを得なかった。この襲撃は、同地域で活動するすべての勢力が安全確保を約束していたにもかかわらず実施された。

MSFはただちに、この襲撃を非難した。中央アフリカにおけるMSFのプログラム責任者、ルイス・エンシーナスは言う。
「私たちはおとりに使われたのだと思います。この襲撃は、軍事目的を達成するために人道援助活動を悪用した許しがたいものです」
MSFは他の地域では集団予防接種を続けることに成功し、合計16万5000人の子どもが接種を受けた。

コンゴ東部全体で治安が悪化しつつあるにもかかわらず、MSFは引き続き、数十万人の住民に対して、移動診療の運営、集団予防接種、コレラ治療プログラム、救援物資の配布、病院運営プログラム、そして性暴力治療の診療所の運営など、2009年の活動で最大規模の医療援助を提供してきた。MSFは北キブ州で外科手術を実施する唯一の国際人道援助団体であり、ルチュル病院では1日あたり平均14件の緊急手術を行っている。2008年11月から2009年10月までの間に、MSFはコンゴ東部で52万8850件の診察、栄養失調の子ども1万160人の治療、コレラ患者4900人の治療、性暴力の被害者5330人への医療を提供してきた。

コンゴ北部のオリエンタル州オー・ウエレ地方およびバ・ウエレ地方の住民は、ウガンダ系反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)」による襲撃とウガンダ・コンゴ両政府軍によるLRAへの攻撃に関連した暴力の渦に巻き込まれた。また、強盗の増加にも直面している。2009年には数十万人もの人びとが避難した。現在も続く攻撃で、今なお数千人の住民が市街地に避難場所と身の安全を求めて逃げ込んでいる。その結果、ドルマ市の人口は3倍にふくれ上がった。ガンガラとバンダの町では、援助の受けられない避難民をそれぞれ2万人以上受け入れている。これらの市街地が避難民のための居留地と化している一方、町の郊外の畑や村には人影がなくなっている。

コンゴ国内で数千人もの避難民に外科医療、栄養治療、心理ケアおよび基礎医療を提供しているごく少数の人道援助団体の一つとして、MSFは他の人道援助団体に対し、ウエレ地方で暴力の影響が最も大きい農村部での活動を増やすよう呼びかけた。暴力が激化したため、MSFは命にかかわるアフリカ睡眠病プログラムの中断を余儀なくされた。

イトゥリ地方は過去数年間平穏だったが、2009年は反政府勢力の「コンゴ愛国的抵抗戦線(FRPI)」とコンゴ政府軍の間で暴力が増大し、緊張が高まり、その結果5万人が避難した。MSFはこの地に留まり、援助を提供し続けている唯一のNGOである。

他の地域においても、コンゴの医療制度は依然として未整備(設備、医療従事者の数、医療財政、治安などの観点から安定した医療提供が不十分な状態)であり、多くのコンゴ人が病気に対して無防備な状態にある。昨年、MSFは年間を通じて医療を無償で提供し、エボラ出血熱、コレラ、はしかといった伝染性疾患に対応してきた。2009年には、全国で50万人を超える子どもに、はしかの予防接種を実施した。

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(※ 動画は英語です)