ハイチ:夜はテントの下で眠り、昼もテントの下で働く

2010年02月23日掲載

「ジェリー」の愛称で知られるポール・ジェラールは、国境なき医師団(MSF)で5年以上の活動経験を持つ理学療法士である。ハイチ地震発生後すぐ、負傷者のリハビリ支援について打診を受け、被災前は女子校だった場所に設けられたMSFの術後ケア施設で活動している。地震の被害者であり、地域社会のためのケアの提供者でもあるジェラールが、その直面する課題を語る。


現地スタッフは国際社会からの援助と被災者の橋渡し

地震の被災者であり、理学療法士として現地で活動するMSFスタッフのポール・ジェラール。
地震の被災者であり、理学療法士として現地で活動する
MSFスタッフのポール・ジェラール。

私は30歳で、理学療法士としてMSFで働いています。私の仕事は地震被害者のリハビリを支援することで、マッサージなど手技による治療や、切断手術を受けた患者が動けるように筋力をつける手助けをしています。松葉杖や歩行器が必要になる患者もいるので、彼らが順調に回復するよう努めています。

リセ・ソン・サンコンテネルというMSFの術後ケア専門施設で、私たちは、多くの骨折患者や切断手術を受けた患者のケアにあたっています。創外固定装置をつけた患者は、適切な運動を4ヵ月間続ける必要があります。

私は2004年から2009年まで、ポルトープランスにあるMSFの外科治療センターで働いていました。地震発生後、センターから電話があり、すぐに駆けつけました。理学療法の中では、私は「子ども治療テント」の担当です。

私自身、精神的なショックを抱え、路上で暮らしているという事実はありますが、私には、同様に心的外傷を負っている人びとを支える能力と技能があります。

ここハイチでは、私たち現地スタッフは国際社会からの援助と被災者の橋渡しをする存在として極めて重要です。もちろん、私たち自身も被災者です。被災者を助けることは、ある意味では、私たち自身を助けることです。私たちはこの地域のことを知っています。住民がどう感じているかわかります。ですから、何をすべきかを決めるのを手助けできます。クレオール語を話すことも援助団体と被災者の間のコミュニケーションに役立ちます。

被災者が被災者を助ける

私はMSFで働いていますが、他の何百万人もの人びとと同様に、地震による被害に苦しんでいます。私は運がよかったほうですが、それでもテントで暮らし、食糧援助に頼って生きています。市内を歩き回ってみると、人びとが信じられないほど困難な条件のもとで暮らし、さらなる援助を必死の思いで求めているのを目の当たりにします。

地震が発生したとき、私は小型トラックの後部に立っていたので、揺れを直接感じることはありませんでした。しかし、車から降りて見ると、あらゆる物が破壊されており、辺り一帯に粉塵が舞い上がり、血が流れていることに気付きました。人びとは大声で叫び、家族を探していました。

私の反応も同じでした。家族がどうなったか確かめようと、自宅へ向かって走り出していました。家は数ヵ所に亀裂が入っていましたが、けが人はありませんでした。私たちは本当に運がよかったのです。しかし、言うまでもなく、私の知っている人がたくさん亡くなりました。私と同じ通りに住む男性は、17歳の娘を含む9人の家族を失いました。この男性と比べれば、私はまだ恵まれた状況にあると感じています。

地震から数日たって、テントを含む救援物資が私たちに配られました。自宅の隣にそのテントを張り、今そこで暮らしています。食糧援助も受けています。小さな箱に入ったパック詰めの食料品キットですが、本来なら軍用に使われるものだと思います。

市内を回ってみると、本当にに恐ろしい状況が目に入ってきます。人びとはがれきになった自宅の隣で暮らすことを余儀なくされています。国際社会からの援助によって事態はやや改善していますが、やるべきことはまだたくさんあります。

雨の恐怖と、将来の暮らし・仕事への不安

人びとは雨期のことが心配でたまりません。昨日、少し雨が降り、被災者は早くも雨に悩まされていました。シーツをテント代わりに張り、地面に毛布を敷いて寝ているからです。雨をしのぐビニールシートすらない人も大勢います。

人びとは非常に複雑な気持ちでいます。これまで多くのことが為されたのは確かですが、その一方で、大量の物資がまだ倉庫に置かれたままで、配布されていないのです。時間がたつにつれて、そして雨期に入ると、人びとは我慢しきれなくなるかもしれないと私は思っています。不平不満が増え、要求も厳しくなるでしょう。雰囲気が変わると思います。

もし、感染症が広がり始め、子どもやお年寄りに影響が出るようなことになると、不平不満の声はさらに高まる恐れがあります。何が起きるかだれにもわかりません。

地震によって、日々の生活に対する私の考え方は変わりました。中期や長期の計画を立てることはもうありません。毎週毎週、自分の生活がどうなるかを見極めるだけです。私のような職種の者には、今後しばらくの間、たくさんの仕事がおそらくあるでしょう。しかし、それは今がまだ緊急時だからであり、私が今後ともMSFに必要とされるのか、あるいは地元の団体で働くことになるのか、私にはわかりません。本当にわからないのです。ただ、この分野で仕事を続けることができればとは思っています。自分のしている仕事が好きだからです。けれども、最近は、確実なことは何も言えません。