
イングーシ:平和への希望が絶望に変わってしまった国
2009年10月14日掲載

治安情勢の急速な悪化に伴い、イングーシ共和国の人びとは家族の安全、住む街の安全を脅かされながら生きている。国境なき医師団(MSF)はイングーシ共和国で今なお活動を続ける数少ない援助団体の一つである。現地の人びとの苦しみが外部の注意を引くことはほとんどないが、MSFは、武力が彼らに及ぼす深刻な影響を目撃してきた。
やまない武力闘争、失業率70%の厳しい現実

1995年から、イングーシの避難民キャンプで暮らす女性(奥)。
イングーシは北コーカサス地方の小さな共和国で、チェチェン共和国と国境を接している。かつては戦火を逃れてきた14万のチェチェン避難民が暮らしていた。現在は国内避難民が約1万8000人と推定されており、その多くが不安定な状況で生活している。しかし、国民全体の置かれている状況も、避難民と大差はない。天然資源も少なく、失業率が約70%に達している同国では、将来に希望が持てない。しかも過去2年間で状況はいっそう悪化しており、イングーシはロシア連邦の中でも武力抗争の激しい地域の一つになっているのである。
「警察官や政府職員を標的にした攻撃が毎日のように起きています」とMSFの活動責任者ウィレム・ド・ジョンジュは語る。
「国民全体が罪のない被害者になってしまいました。攻撃と反撃が繰り返される中で、絶えることのない武力の応報にさらされているのです」
人びとはできる限り外出を控えている。戦争が起きているわけではない。しかし安心が得られないのである。この小さな共和国を、爆発、銃撃、武力攻撃が文字どおり日々揺るがしている。2008年には170人以上、2009年前半には139人が犠牲となった。継続的なストレスと不安が原因で、多くの人びとがうつに苦しんでいる。
MSFの心理ケアオフィサー、ラマラ・ウマーロワは状況を説明する。
「イングーシの救急病院には、武力抗争の被害者が毎日運び込まれて来ます。MSFのカウンセラーは、武力の被害者と、心に傷を負ったその家族のケアに取り組んでいます」
重要度を増す心理ケアプログラム
MSFは第二次チェチェン戦争の始まった1999年からイングーシに拠点を置き、避難民を支援してきた。今日では、国内避難民と、国民の中でも武力抗争の影響が特に及びやすい集団に、基礎的な医療を提供している。心理ケアプログラムは、2003年以降の同国におけるMFSの活動の中で一つの重要な要素になっている。この取り組みは今日も続いているが、活動の範囲と重点は以前より拡充されている。現在起きている武力抗争の影響が、イングーシの住民のほぼすべてに及んでいるからである。
心理ケアサービスは、急性心的外傷のケアを中心に、イングーシの3地域で9人のカウンセラーが行っている。ナズラン、スンジャ、マルゴベクの各地区の病院に設置した3ヵ所の主なケアセンターでは、週に5日診察を行っている。支援を必要とする人びとが治療を受けやすいように、カウンセラーたちは毎週、村の総合病院6ヵ所でも患者を診ている。
過去2年間、イングーシにおけるMSFの心理ケア診察件数は急増した。その中で武力抗争に関連した診察の比率は、80%近くにまで増大している。

数は雄弁に物語る。2008年1月には439件だった「武力・暴力関連」の診察が、2009年5月には1273件に増加している。これらは暴力的な事件が原因となった心的外傷の症例であり、この症例は特徴的な心理面への影響を引き起こしている。それは、恐怖、絶え間のない不安・警戒心、苦悩、悲しみなど抗し難い感情などで、睡眠障害、マイナス思考、フラッシュバックなど心的外傷の症状も現れている。
ケアの要は、心の底から人間味のある思いやりを示すこと
共和国内の不安定な情勢は、社会の空気を一変させてしまった。MSFの心理ケアプログラム責任者マレッタ・グディエワはこう説明する。
「家族の絆、友情、宗教といった、心の傷に対処するメカニズムが、今日では十分に機能していません。人びとの間に不信感、不安感が広がっているのです。人びとはこの武力抗争に慣れてきてしまっており、話題にしたがらないのです」
急性の心的外傷性ストレスを緩和するのは容易でない。しかし、厳格な守秘義務の原則に則って、さまざまなカウンセリング手法を用い、そしてとにかく心の底から人間味のある思いやりを示すことで、カウンセラーたちは少しずつ患者の信頼を得ており、効果的な支援が可能になっている。グディエワは語る。
「他人に知られずに受けられる、中立者による偏見のない支援を求めて、今では人びとがMSFのカウンセラーのところにやってきます。この困難な状況下、患者さんたちにとって一番大切なことは、抱えている問題を話すこと、そして誰かに話を聞いてもらうことなのです。人びとはMSFを信頼してくれます。それが私たちのここでの活動のたまものなのです」