コンゴ北東部・スーダン南部:苛烈な暴力から逃げ惑う人びと

2009年08月掲載

ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)」*の、コンゴ民主共和国(以下「コンゴ)北東部とスーダン南部の住民に対する攻撃は、コンゴ・ウガンダ政府軍の掃討作戦に対抗して激化の一途をたどっています。国境なき医師団(MSF)はスーダン南部で、命の危険にさらされるコンゴ人難民・スーダン人避難民に医療援助を行うべく、活動を続けています。
 

*神の抵抗軍(LRA)
1980年代に結成されたウガンダの反政府武装勢力。主にウガンダの北部とスーダン南部で活動しており、長期化した紛争は多くの難民、避難民に苦難を強いる結果となっています。


朝食は25回の鞭打ち

「朝、僕たちは25回鞭でぶたれました。それが朝食代わりでした。」

コンゴ民主共和国(以下「コンゴ」)北東部に住んでいた16才のムボリは、1月に村が襲撃を受けた際、兄弟のムカを含む他の20人の生徒と共に学校から拉致された。彼の村は、ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍」による絶え間ない襲撃の標的の一つとされたのである。

ムボリは言う。「僕たちは彼らが学校や村から略奪した物を運ばされました。彼らは「早く歩け、静かに歩け」と言いながら僕たちを殴りました。僕は腰の高さまである大きな袋に入った自転車部品を運ばされました。他の人たちも数キロもの挽いたナッツや米袋、さらにはギターや村の教会から奪ってきた太陽熱利用設備まで運ばされていました。」

ウガンダ、コンゴ、スーダン南部の各国軍が「神の抵抗軍」に対する共同軍事作戦を行ったことで状況はさらに悪化し、「神の抵抗軍」はコンゴ北東部で一般市民に対するさらに激しい報復攻撃を開始した。こうした襲撃を受けてコンゴでは村の全てが略奪され、しばしば焼き払われ、人びとは斧でたたき殺された。女性と子どもは性的な奴隷、略奪品の運搬役、そして戦闘時の兵士にする目的で拉致された。

ムボリは続ける。「彼らは通行人を僕の目の前で殺しました。棒で殴り、銃剣で突いて、死体を川に投げ込んでいました。もし立ち止まって休んだら自分も殺されてしまうのではないかと怖くなり、袋の重さに耐えながら必死で歩きました。」

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写真家ブレンダン・バノンからのスーダン南部レポート(日本語字幕、FLV形式)

スーダン南部の取材から戻ってきた写真家ブレンダン・バノンが、世界に知られていない現地の人道危機を、映像とメッセージで伝えます。

現地からの証言

自分の住んでいた村が「神の抵抗軍」による襲撃を受けた時のことを、コンゴ人難民 ピーターは次のように語る

彼らは殺戮を始めました。問答無用で。近づくだけで殺されてしまいます。彼らは近づく者を殺さなければならないようでした。殺しに銃は使われませんでした。凶器は鉈、斧、斧・・

彼らは人びとの食糧やヤギを奪い、その平和を脅かしました。中でも本当にひどいのは子どもを拉致してしまうことです。人びとはこれを一番恐れ、スーダンに避難することを決めたのです。

医師などの重要な人物でさえ何人も殺され、その妻は連れ去られました。彼らは殺害した医師の妻に50キロもある砂糖袋を頭に乗せて運ぶよう求めました。しかし彼女は妊娠していたので、それはあまりにも難しいことでした。彼女はむしろ自分を殺して欲しいと頼んだのです。

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妻と子どもたちを置き去りにしてきた心の傷を語る、コンゴ人ボカサの証言

「神の抵抗軍」の攻撃を逃れてスーダンにやってきましました。私の叔父も、母も、父も「神の抵抗軍」に殺されました。娘、息子、妻、みんなコンゴに残したままです。今はあれこれ考えすぎて、どうすればいいのかわかりません。ここに来て4ヵ月になります。妻、息子、娘の消息はわかりません。あそこにもう妻はいない、娘や息子もいないと考えています。みんな「神の抵抗軍」に殺されてしまったのでしょう・・・ もし、彼らがすでに家族を殺してしまったのなら、私は戻って「神の抵抗軍」に殺されて家族の後を追いたいと思います。スーダンのこんな狭い場所にいつまでもいられません。私の人生はもう取り戻せないのです」

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スーダン南部における活動責任者
カール・ナウェジはスーダンに避難したコンゴ人難民の避難用住居について次のように語る
妻のアロヨ・ジョゼと子どものアエゼマの後ろに立つコンゴ人男性シリチェ。彼らは近所の子ども2人が「神の抵抗軍」に拉致された後、コンゴからスーダンへと逃げて来た。
妻のアロヨ・ジョゼと子どものアエゼマの後ろに立つコンゴ人
男性シリチェ。彼らは近所の子ども2人が「神の抵抗軍」に拉
致された後、コンゴからスーダンへと逃げて来た。

「住居といっても極めて簡素です。ビニールシートだけのときもあります。建物の中には何もありません。椅子もないし、とにかくまったく何もないのです。鍋は数個あります。カップも数個だけ。マットレスはありません。ビニールシートなので、窓も作ることができません。中には人がひしめいています。毎日狭い部屋に5~6人が肩を寄せ合っています。たまに誰かが自分で小屋のようなものを作ることがあります。小屋といってもごく簡単なものですが。難民キャンプの暮らしに満足している人は一人もいません。避難民キャンプにもそのような人はいません」。

でも、他人が自分たちを気にかけてくれる姿、近くにいて援助をしてくれる姿を見て嬉しく思っているということだけは確実です。こうした活動は難民からも国内避難民からも高く評価されていると断言できます。これによって、彼らは自分たちがまだ人間であると実感し続けられるからです。

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スーダン南部の国境なき医師団(MSF)活動地

スーダン南部での国境なき医師団の対応

西エクアトリア州、中央エクアトリア州では、祖国コンゴから避難してきた数万人に援助を実施。ウガンダの反政府勢力は、主に西エクアトリア州を中心としたスーダン南部でも多数の村を攻撃しており、数千人のスーダン人も安全のために避難を余儀なくされている。
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関連サイト

特設サイト「危機に陥ったコンゴ民主共和国――紛争に巻き込まれた人びとの声」随時更新中

最新ニュースや、フォトギャラリー、紛争下の若者や女性の声をご紹介しています。

危機に陥ったコンゴ民主共和国