
パキスタン地震から1年:イスラマバードにおけるアシスタント・ロジスティシャン、ウスマン・アビッドへのインタビュー
2006年11月08日掲載
- Q. 地震発生直後の状況を教えてください。
- A. 2005年10月8日の朝、私は自宅で寝ていました。イスラム教の聖月であるラマダンの期間中だったため、ほとんどの人は、朝の礼拝を終えたあと眠りについていました。突然、辺り一面が揺れ動くのを感じ、すぐに「地震だ!」と思いました。私は部屋から出て、外に立ちすくみました。どの家も揺れ動いており、恐ろしい光景でした。揺れは1分近く続いたと思います。自宅周辺では大きな被害は見られませんでした。友人がイスラマバードからテキストメッセージを送ってきて、マルガラ・タワーズ*の一部が倒壊したと伝えてきました。私は部屋に入るとすぐにニュース番組を探しました。最初に見つかったのは地元チャンネルとウェブサイトのニュース速報で、パキスタン北部を震源とする地震が発生したと伝えていました。1時間もするとさまざまなウェブサイトやチャンネルでニュースが報じられるようになり、北西辺境州北部やカシミール地方における被害、イスラマバードの倒壊した建物の報告が続々と入ってきました。ラマダンの最中に家々が倒壊し人びとが亡くなったのは、本当に痛ましいことです。多くの人が、「裁きの日」が訪れたのだと考えました。
- Q. いつからMSFに参加し、どのような任務に就いたのですか?
- A. 以前の仕事の関係で、MSFのことはよく知っていました。MSFがパキスタンで実施しているプログラムの医療管理者を務めていたためです。私はいつもニュース番組を見ては、人びとが救助や支援を必要としているのを目にして心を痛ませていました。国内外の団体は、ほぼすべての面でボランティアを必要としていました。地震から数日後、私はバーグ渓谷におけるMSFのプログラムで中継・輸送担当の責任者として再び活動し始めました。当初の3ヵ月はこの職位で働き、その後、現地のロジスティシャンに昇格し、現在は、輸入貨物、事務所や派遣ボランティアの宿泊施設の日々の管理、通関手続き、政府諸機関への対応を担当しています。
- Q. 1日の仕事は通常どのようなものでしたか?
- A. 毛布、プラスチックシート、テント、調理器具、衛生キット、医薬品などの食糧以外の救援物資の配送をしていた時の典型的な1日についてお話しします。私は、イスラマバードにあるMSFのすべての倉庫に対する全責任を負っていました。私たちは昼夜を問わず休みなく働き、各プログラムに食糧以外の救援物資を届ける準備をしました。私は、それぞれ22~27台のトラックから成る車列に食糧以外の救援物資を全部積み込むための準備作業を担当しており、事態は非常に重大な局面にありました。時には、イスラマバードからバーグに向かう道路の状況を確認しなければならないこともありました。 一番重要なのは、ラマダン中に私たちが1日中休みなく働いたということです。作業が少しでも遅れれば、家も何もかも失ってしまった人びとに重大な結果が及びかねないことは目に見えていました。
- Q. 活動のなかで、最も印象に残っていることは?
- A. 私は当時、ロジスティクス部門で食糧以外の救援物資の配送を担当していたため、入院患者や病院に運ばれてくる患者には接しませんでした。援助活動の現場にも一度だけ行きましたが、私の職務と活動は食糧以外の救援物資の配送計画の立案とフィードバックを中心としていました。
- Q. 地震から1年が経過した現在の状況はどうなっていますか?平常に戻っているのでしょうか。もしくは、まだ人びとの暮らしに爪痕を残しているのでしょうか。
- A. 1年が経過しても、人びとは依然として困窮しており、さまざまな問題を抱えています。救援段階は終わり、再建や復興が進められているにもかかわらず、いまだに住む所のない家族もいます。まもなく冬がやってくるため、少なくとも人びとのニーズを満たすために最低限必要な設備だけは提供しなければなりません。しかし実際には、人びとは基本的ニーズだけでは満足しないのです。さらなる取り組みが必要です。少なくとも、インフラを再建する必要があります。
- Q. 次に取り組むべき課題は何だと思いますか?
- A. これまでと同じです。復興を進め、人びとが生活の手段を得られるようにし、元の生活を取り戻せるようにすることです。