タジキスタン:「皆さんも治ると信じて」――結核と闘う(4)

2013年12月27日掲載

首都ドゥシャンベの小児結核病院の庭はリボンや風船で飾られ、いすが並べられ、食べ物や飲み物が用意されている。そこに、患者と家族、病院スタッフ、国境なき医師団(MSF)スタッフが集まってくる。主賓はミジュゴナさん(18歳)だ。

ミジュゴナさんは多剤耐性結核(MDR-TB)にかかっていたが、このほどすべての治療を終え、完治した。タジキスタンでは彼女が、MSFの治療プログラムを続けて "完治した最初の人"だ。

MSFプログラム・コーディネーターのベアトリス・ラウは「非常に喜ばしい記念すべき日です。MDR-TB治療は極めて苦痛で長期に渡ります。MSFもミジュゴナさんの頑張りは本当に立派だったと考えています」と話す。

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つらい治療も「ずいぶん昔のことのよう」

快気祝いの席に臨むミジュゴナさん 快気祝いの席に臨むミジュゴナさん

ミジュゴナさんが到着すると、温かい歓声と喝采が湧き起こった。口々の称賛に気後れした様子を見せるミシュゴナさん。それでも、パーティーは楽しい。祝うべき理由もある。「2011年に入院しました。発熱と吐き気があり、吐血したのです。とても不安になりましたが、それも今はずいぶん昔のことのように思えます」と話す。

MDR-TB治療は特に負担が大きい。患者は毎日、痛い注射を受け、治療薬を20錠も飲まなければならない。多くの場合、それは深刻な副作用を伴う。ミジュゴナさんは「頭痛がひどく、お腹や両脚も痛みました。歩くのもやっとで、気分が悪く、吐いてしまうこともよくありました。それはもう大変でした」と振り返る。ミジュゴナさんの母も「症状が重かったころの娘は別人のようでした。その後の治療もつらく、憔悴していました」と回想する。

ミシュゴナさんは当初、結核がどういうものか知らなかったという。何の病気なのか、治療を受けてもよくわからない日々が続いた。「そのことがとても怖く、吐血するようになってもっと怖くなりました。治ると信じられるようになったのは、服薬を始め、体調が少しずつ回復し出してからです」

つらい治療を支えたのは偉大な詩人の言葉と母の愛情だった つらい治療を支えたのは偉大な詩人の言葉と
母の愛情だった

ミジュゴナさんは社会生活上の影響も経験した。学校にも行けず、友達とも面会謝絶。ひどく孤独を感じた。そんな時に心の支えになったのは、何世紀も昔のペルシアの詩人ルダーキーが現在のタジキスタンを詠んだ詩歌だった。「ルダーキーの詩は生や他者への敬意を歌ったもので、読むととても幸せな気持ちになりました」

母にとっても治療は闘いだった。苦難の日々を送る娘の姿は見るのもつらかった。だからこそ、何よりも看護を優先した。「母は私のことをとても心配していました。いつもそばにいて支えてくれたのです。ただ、母もひどく不安がっていました。時には、病気の私が母を励まし、なだめることもありました。MSFの治療には本当に感謝しています」

パーティーは佳境に入っていた。ダンスと歌と、たくさんの笑顔。MSFのラウは「素晴らしい1日です。MSFにとっても。ミジュゴナさんは、MDR-TBの小児患者が治癒と未来を望めることの証です」と話す。

ミジュゴナさんがうなずき、幼い患者たちに呼びかけた。「もう治らないのではないかと思っていました。でも、ケアと援助を受けたことで回復したのです。今は健康です。皆さんも治ると信じて治療を続けてください」

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