ハイチ:「応援要請!全員出動!」――負傷者43人が一斉にMSF病院へ

2013年09月17日掲載

国境なき医師団(MSF)のプログラム責任者であるアハメド・ファデルが、レオガン市のシャトゥレ病院における迅速な緊急対応とチームワークについて心境をつづった。

MSFは2010年から、レオガン市でシャトゥレ病院を運営してきた。同病院から首都ポルトープランスまでは約30km。24時間体制で無償の救急医療を提供している。

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男の子の旅立ち

午後10時過ぎ。ハイチ共和国のレオガン市シャトゥレ病院。2歳の男の子が酸素吸入を受けている。意識不明の原因は頭部外傷。手遅れだ。小児科医と看護師たちが見つめる。1人の看護師が、男の子の旅立ちを穏やかなものにしようと優しくなでる。やがて、男の子はあっけなく逝ってしまった。

できることは何もなかった。運命は定まっていたのだ。看護師長が目に涙を浮かべながら、男の子を抱き上げ、母親に渡す。母親自身も治療の最中だ。一瞬の沈黙。やがて何が起きたのかを理解し、号泣した。スタッフは見守るしかない。世界が動きを止めてしまったかのようだ。あらゆるものごとが静止する。頬を伝い落ちる涙を除いて。

小さな贈り物

よく晴れたレオガンの町 よく晴れたレオガンの町

時計を巻き戻してみよう。その日の早朝に。すっきりと晴れ渡った火曜の朝のレオガン。今日も一日忙しくなりそうだ。活動目標と達成した目標について話しあうとても長いミーティングがあり、翌月の準備や翌年の戦略を検討しなければならない。

仕事が終わり、宿舎に向かう近道に出る。仮設住宅に入っている家族の近くを通ると、男性に呼び止められた。医療に関する頼みごとだろう。医師と一緒でよかった。ところが、男性の用件は感謝を述べ、贈り物で私たちをねぎらうことだった。少しばかりの果物を持たせてくれた心遣いがうれしく、同僚にも話して聞かせる。楽しい夜になりそうだ......そんな気がしていた。

病院からの連絡

MSFのプロジェクト・コーディネーター、アハメド・ファデル MSFのプロジェクト・コーディネーター、アハメド・ファデル

午後7時45分、遠くでサイレンが聞こえる。間もなく警備員が駆け寄って来て、病院から無線連絡が入ったという。交通事故で負傷者多数。病院の既存チームで対応できるだろう。連絡を受けた数分後の午後8時、外科医2人、看護師と麻酔科医各1人にコール。手術室に必要な人員だ。午後8時25分時点で、負傷者数が当初の見込みよりも多そうだという。

病院到着は午後8時33分。国の保健医療機関とハイチ赤十字社のトラックや搬送車が、救急処置室の外で列をなす。どの車両もけがをした人でいっぱいだ。救急救命士の対応が追いつかない。30人以上が搬送されてきたばかりだが、さらに後続の救急搬送車が向かって来ている。

大型トラック2台が......

応援要請!早速、車両を誘導し、後続車のための場所を空ける。それから、救急処置室へ。負傷者があちこちで診療を待っている。外科医が「間もなく到着する負傷者の対応に応援が必要だ」と言っている。宿舎の電話番号を入力しようとして電話を手に取ると、宿舎のチームから、応援が必要かと問いかける何件もの留守電メッセージ。私はメールを送信する。「緊急事態です。負傷者多数。応援を要請します。全員出動してください!」。返信は「了解。全員で向かっています」だった。

他団体のスタッフが通りかかり、事故のいきさつを聞く。大型トラック2台の衝突だった。どちらも乗客が折り重なるように乗っており、60~70人は巻き込まれたに違いない。事故現場はグレシエ近辺。首都ポルトープランスとレオガンを結ぶ幹線道路上だ。負傷者を残らず退避させ、トラックを撤去できるようにと道路が封鎖された。つまり、MSFのシャトゥレ病院が唯一、アクセスできる医療施設となっていた。

応援チームが到着

午後8時38分、応援チームを乗せたMSFのトラックが到着。医師、看護師、助産師、ロジスティシャンが降りてきた。外国人スタッフのチーム全員だ。「状況説明と、何をしたらいいか教えて!」との問いに、簡潔に答えていく。「けがの程度はさまざま。患者数は30人。さらに搬送中。医師は救急医と外科医の補佐に入り、彼らの指示に従ってください。ロジスティシャンには私が指示を出します」

その直後、さらに応援チームが到着した。ハイチ人の医療スタッフだ。休憩中だったが、事故の報告を受けてすべてを切り上げ、やって来たのだ。

覚悟とプロ意識

今ここは、働きバチの巣だ。重圧もパニックもなく、せっせと働く羽音だけが響く。誰もが自分の役割を心得ている。怒号も焦りもなく、実行するのみ。そうした態度が、負傷者や、離れたところで待機しながら不安を感じている家族からの信頼を生む。

午後10時半、新たに多数の負傷者が搬送されてきた。つらい光景だ。力を奮い起こし、覚悟とプロ意識をもって臨む。午後11時ごろ、最も容体の重い患者が亡くなった。亡くなった人はこれで4人目。だが、動揺するわけにはいかない。心に防壁を築き、任務を続ける。

そして午後11時15分。冒頭の場面だ。2歳の男の子が看護師にさすられながら、息を引き取った。静寂。男の子を最後にもう1度だけ抱きしめられるようにと、母親のもとに運んで行く看護師の静かな涙。そして、次の瞬間、世界は動きを止めたのだった。

救える命に全力を

午後11時半、救急医が鼓舞するように告げる。「患者の容体が安定。観察室や仮設テントに移せます」。全員がその言葉に反応する。救急救命士、外科医、その他の医師、非医療スタッフ......ストレッチャーを動かすんだ。患者の移動開始だ。

真夜中過ぎ。清掃と片付けをして宿舎に戻る時間だ。車中で一瞬の沈黙が漂う。互いに目配せをし、突然、一斉に誇らしげな笑顔になる。「なあ、みんな」と1人が呼びかける。「負傷者43人の半数が重体で命が危なかったけど、私たちはその命を救ったんだ」

一息ついて寝床に向かう。明日は明日の風が吹くのだ。負傷者の経過観察と、ポルトープランスのMSF病院への転院が必要になるだろう。それから、治安判事を伴い、亡くなった人の身元確認を済ませ、遺族への対応と支援もしなければならないだろう。それらの要件の負担でシャトゥレ病院の機能が停止することのないように。

私自身の予定は、派遣されたばかりでいきなり今回の緊急対応に放り込まれた小児科医に、活動の説明をすることだ。伝えるべきことはもう決まっている。「昨日はいろいろとお疲れさまでした。これからもよろしく。これがMSFなんです!」

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