シリアで、いま/ある写真家の証言

2013年04月05日掲載

シリア国内や周辺国で活動する国境なき医師団(MSF)のもとには、紛争の被害にあった人が多く運び込まれてくる。フォトグラファーの男性もその1人。2012年7月の朝、友人と一緒に通りに出たことが悪夢の始まりだった。シリアでいま、何が起きているのか。国境なき医師団(MSF)の治療を受けたフォトグラファー男性に聞いた。

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トレムセの虐殺

迫撃砲や空爆で破壊された建物

トレムセの虐殺をご存知でしょうか?トレムセは人口1万2000人の町です。2012年7月12日早朝、数千人の兵士に包囲されました。最初の銃声が鳴り響いたのが午前6時、鳴り止んだのは午後8時半ごろでした。迫撃砲に加え、大小のミサイルが飛び交いました。昼ごろには空爆も開始されました。

兵士は町に入り、動くものすべて、目に入る人すべてに発砲しました。友人と私が通りに出ると、兵士が1人、20mほどの距離から撃ってきました。友人は即死。私は脚に被弾しました。

兵士がその場を立ち去ると、1人の男性が助けに来てくれました。彼の自宅に運ばれ、浴室で待機すること30分。その間も出血が止まりません。男性は、止血帯になるものを作ってくれました。

しかし、そこにも兵士たちが押し入ってきました。血痕をたどって私の居場所を突き止めたのでしょう。拘束され、小型トラックに乗せられました。

拷問で自白を強要

MSFが治療した患者には
拷問の被害者とみられる人も少なくない

連行された先はホムスの軍病院に隣接する刑務所です。縦横が約70×80cm、高さ2mという狭い監房でした。そこに5日間、勾留されたのです。毎日、誰かがやってきて尋問をしました。私に「武装グループの指導者だ」と供述させようとしてきました。撃たれた脚を銃で殴られる拷問を受け、"自白"を迫られました。

しばらくして、今度は病院に連れて行かれました。1時間いましたが、何の治療も薬も提供されませんでした。その後、また別の軍事刑務所に移送され、1ヵ月余り拘留されました。収監者がどんな目に遭っているか、きっと想像も及ばないでしょう。ペンチで爪をはがれ、皮膚に火のついたタバコを押しつけられるのです。

私は、最後まで何も話しませんでした。話すべきことがなかったからです。

次に移送されたのはハマーの軍事情報部の拠点です。17日間、勾留されました。そこでも自白を迫られました。17日目、1人の士官が、撃たれ、銃で殴られてきた私の脚を、思い切り踏みつけたのです。再び出血し、意識を失いました。

解放、そして……

MSFがシリア国内で運営している仮設病院

意識が戻った時には、ハマーの病院内にいました。13日間の入院中に手術を受けました。脚には(骨が広範囲に粉砕されているときなどに用いられる)創外固定器が取り付けられました。抗生物質も投与されました。入院中も両手をベッドに縛り付けられた上、常に警察官に見張られていました。

軍の諜報機関も私に自白を迫り、捜査を完了させようとしました。私には話すべきことが何もないのです。いっそ殺してくれ!と伝えました。その言葉で、彼らはようやく諦めたようでした。私はやっと、解放されたのです。

その後、軍事法廷に出廷することになりました。起訴内容は「抗議活動への参加」と「その様子をインターネット上で公開する目的で写真撮影したこと」でした。

裁判官の審問に対し、私は「かつて暴力と拷問を受けたことがあったため、政府に対する抗議活動には加わった。そのことは既に認めている」と答えました。裁判官は供述の正当性を認め、「無罪」との判決を出しました。

ようやく"自由"になった私は、ハマー近郊の町の病院へ向かいました。適切な治療を受け、創外固定器を外し、患部を清潔にしてもらいました。その病院で、完治するまで治療を続けることになっていました。しかし、その地域でも武力衝突が起き、避難せざるを得なくなりました。そして、国境なき医師団(MSF)の仮設病院を訪ねたのです。

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