すべてを置いて、故郷の村を出た人びと―ロヒンギャ難民の横顔

2018年04月10日掲載

バングラデシュのサブラン入国地点に、今もロヒンギャ難民が到着している。
バングラデシュのサブラン入国地点に、今もロヒンギャ難民が到着している。

2017年8月25日の殺りくから半年以上が経つ今も、ロヒンギャの人びとは今も命の危険に怯え、安全を求めてバングラデシュに逃げている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2018年2月だけで合計3236人のロヒンギャ難民がバングラデシュに入り、2018年の新着総数は5000人を超えた。2017年8月以降に入国した約70万人、事件以前にミャンマーから逃れてきた人も合わせると、今、バングラデシュにいる難民の合計は90万人を超えている(2018年3月現在)。

新たに到着する人の多くは、バングラデシュ当局によって、コックスバザール半島の南部にあるサブラン入国地点に向かうよう指示される。この入国地点には難民の受付センターがあり、ここで国境なき医師団(MSF)は移動診療を運営している。検診、健康管理、栄養状態のスクリーニングのほか、成人と子どもの診療、重症例の発見、救急の心理ケアと患者の搬送だ。ほとんどの人が素足なので、医療チームが扱う負傷の中でも足の裂傷は最も多い。ここに到着するロヒンギャ難民は皆、疲れきって心に傷を負っている。

モハメッド・ラフィクさんと家族
モハメッド・ラフィクさんと家族

2018年3月7日、88世帯の332人がグループに分かれてサブランに到着した。ここ数週間で最も多い数だ。人びとの話では、まだ600~1000人が、ミャンマーとの国境線であるナフ川を渡るためボートの順番待ちをしているという。あるグループは旅の途中、泥棒に襲われて殴られ、持ち物を盗まれた。

モハメッド・ラフィクさん一家は、4日前にブティドンにある村を出てナフ川に向かって歩き始めた。シャ・ポリール・ドゥイプ島で一夜を明かし、その翌日、バングラデシュに到着した。「日が経つにつれ事態は悪くなっていきました。もう自分たちの土地にはいられなくなったので、バングラデシュに向けて出発したのです。ここには親類は1人もいません」

ナフ川を渡りバングラデシュに到着したロヒンギャ難民
ナフ川を渡りバングラデシュに到着したロヒンギャ難民

別のグループは、39人で到着した。一行は前夜からバングラデシュ国境警備隊によってマグパラ地域で身柄を拘束されていた。なかには、生後2ヵ月の赤ちゃんを連れた24歳の女性もいた。このグループにいたモハマド・サリフさんは、3人の家族を連れて到着した。家族とはぐれた6歳の男の子の世話もしている。「3日前に、ブティドンにあるアリ・ジョン村を出発しました。船がなくて、川岸で1日待っていました。昨晩、ここに着きました」と話す。

ヌールさんと祖母のスビ・カトゥムさん
ヌールさんと祖母のスビ・カトゥムさん

「ほんの少しの衣服のほかは、何も持たずに出発しました」と語るのは、ヌール・ラミンさん(25歳)と祖母スビ・カトゥムさん(70歳)だ。「ミャンマーでは移動も難しく、働くどころか市場に食べ物を買いに行くことさえ不可能です。兄弟はまだミャンマーにいます。川を渡るのに必要なお金を工面できなかったから。1人あたり5万チャット(約3900円)かかります。彼の2人の子どもと奥さんもまだミャンマーです。ここに来るまで、約3日かかりました。ブティドンにあるホルムラ・ファラ村を夜に出て、ドンカリの川岸で12時間も待ちました」

スビさんは話す。「夫は殺され、娘の夫も行方不明になりました。大勢の人が殺され、行方不明になっています。こんなことがいつかすべて終わるよう願っています。でも、未来に何が待ち受けているのかは分かりません。他の多くの人と同じように、私たちも、村や家、土地も家畜も捨てて行くしかありませんでした。村を出ようと必死になっても、出られない人も多くいました。もう疲れて歩けません。3日間、何も食べていません。すごく辛いです」

生後1ヵ月のヌール・ファレマちゃん
生後1ヵ月のヌール・ファレマちゃん

3月7日にサブランの入国地点に到着した人びとのなかで、最も幼いのが生後1ヵ月のヌール・ファレマちゃんだ。母のヌール・アンキスさんに連れられてナフ川を渡って来た。ファレマちゃんの父は5ヵ月前に姿を消した。母と子の2人だけで、ブティドンの村を出た。

アリマさんと子どもたち
アリマさんと子どもたち

アリマさんはスビさんの娘で、ブティドンにある村の出身。4歳になるモルファイサル君と2歳のサデカ・アビビちゃんを連れている。「以前はごく普通の生活をしていました。小さな農園と夫の商いで食べていました。5ヵ月前、夫がいなくなりました。私たちを捨ててどこかに行ったのか、逮捕されたのか、殺されてしまったのかは分かりません。誰もが生き延びようとするなか、行方不明者も多くいました」

「村を出ることが正しいのか…」悩んだ末に避難したマジダさん一家
「村を出ることが正しいのか…」悩んだ末に避難したマジダさん一家

「村を出て行くことが正しい解決策なのか、思い悩みました。何ヵ月も悩んで、出て行くことにしたのです。私たちの村にいた人はみな出て行きました。夫は漁師をしていましたが、最近は仕事ができなくなっていました。お金を稼ぐのも難しかったため、家財をすべて売りました。家を出たのは3日前です。戻るかどうかは分かりません。状況がよくなるのなら、また村へ帰るでしょう」

息子たちはまだ川の向こう。再会を願うジャミンタン・ヌールさん
息子たちはまだ川の向こう。再会を願うジャミンタン・ヌールさん

78歳のジャミンタン・ヌールさんも、3月7日にサブランの近くに着いた難民の1人だ。「ここ3ヵ月間、ずっと具合が悪かったのに、病院には行けませんでした。どこかへ行こうとすれば、逮捕されるか検問所で足止めされてしまいます。治療も薬も、手助けもありません。村を出てバングラデシュで助けを求める方がよいと決心しました。私は老いているし、病気です」と語る。

「川岸に着くと、援助団体がそこで食べ物を配っていました。ボートがなくて、川を渡るのに3日間待たなければなりませんでした。ボートには30人か40人も乗っていて、満員でした。7~8時間かかって川を渡り国境を越えました。川岸から銃撃され、私たちはボートの中に隠れました。ボートに乗れずミャンマー側に残った人たちも、数日のうちにこちらへ来られるよう願っています。3人の息子もまだ向こう岸です。すぐ再会できますように……」

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