中央アフリカ共和国:「紛争で命が失われるのは常。でも決して病院で起きてはならない」医療活動スタッフが見た襲撃の惨状

2018年02月14日掲載

武装集団に焼き払われたMSF病院 武装集団に焼き払われたMSF病院

中央アフリカ共和国南東部ゼミオでは、2017年6月~10月にかけて武装集団による攻撃が相次いだ。地域住民は安全を求めて国境なき医師団(MSF)が運営する病院の敷地内で避難生活を送っていたが、その病院も度重なる襲撃に遭い、数万人がさらなる避難を余儀なくされた。

2015年12月から2年間MSFのアシスタント・プロジェクト・コーディネーターを務めたピエール・ヤカンザが当時の様子と現状について語った。地域住民との窓口として、MSFの啓発活動や健康教育、セキュリティ対策を担っていたピエールは「2016年は平和が戻っていたのに、ここまで情勢が悪化するとは」と昨年を振り返る。

穏やかな生活を一変させた事件

MSFスタッフのピエール・ヤカンザ MSFスタッフのピエール・ヤカンザ

発端は6月28日の朝8時。警察署で打ち合わせしていたとき、最初の爆発音が聞こえました。爆発はMSFの拠点から200m離れたイスラム教徒地区から始まり、町中に広がっていきました。私は病院に向かって走りだしました。みんなが逃げていました。病院へ、警察署へ、役所へ……。銃撃は1日中続きました。事態がやや落ち着いた後、拠点から外に出られないでいたMSFスタッフも病院に避難し、私たちと合流しました。

ゼミオ病院に避難した民間人に水を配るMSFスタッフ ゼミオ病院に避難した民間人に水を配るMSFスタッフ

家族とも病院で再会しました。あの朝、妻は市場に出かけ、子どもたちは留守番していました。銃撃で妻は子どもたちを迎えに行けず、長男が下の子たちを連れて病院へ来ました。その日は妻が買っていた鶏以外に食べるものはありませんでした。爆発のショックで家族みんな食欲はありませんでした。砂利の上で横になって眠り、翌朝未明に少しの荷物を取りに帰宅しました。

ゼミオ病院に避難者が建てた仮設テントの跡 ゼミオ病院に避難者が建てた仮設テントの跡

事態が長引くことは予想がついたので、大きな木の枝を使って病院の壁沿いに家族用の仮設テントを建てました。病院には結局2ヵ月近くいました。当初は約7000人だったのが、その後1万4000人、それから2万8000人になりました。大勢の人が家から逃げて来たからです。

命を救う場所で、子どもが撃たれる

破壊される前のゼミオ病院(2016年6月撮影) 破壊される前のゼミオ病院
(2016年6月撮影)

7月11日、3人の武装兵が病院に入り込みました。病院にいたフーラ族を引き渡せというのが奴らの要求でした。「もし誰も口を割らないなら、そこにいた全員を撃つぞ」と言われました。院内のMSFスタッフが侵入されないようドアを閉めましたが、銃撃が始まり、とうとうドアを開けざるを得なくなりました。MSFスタッフも発砲されましたが、弾道から外れるよう別のスタッフが押しのけたおかげで何とか命は助かりました。でも不幸なことに、フーラの子どもが撃たれました。男たちは「また来るぞ」と脅しながら出ていきました。

あれはつらかった。皆ショックを受けていました。病院の外では、残念ながら子どもや妊婦の殺害さえ見慣れた光景です。紛争では、人の命が失われるのが常です。でも決して病院で起きてはなりません。

8月、また病院が攻撃されました。武装兵は午前3時から待ち構え、人びとが活動を始めるころに襲ってきました。ちょうどMSFチームの朝会が終わるころでした。6発の銃弾が私の方に飛んできたので、地面を這って逃げました。あとのメンバーは会議室に立てこもりました。武装兵はしばらくして病院に侵入しましたが、その部屋が無人だと思い込み、こじ開けはしませんでした。しかし、病院全体が略奪に遭いました。戦闘は朝8時から午後4時まで続き、死傷者が数人でました。

空から見たゼミオの町 空から見たゼミオの町

私は草むらから森の方へと這っていき、静けさが戻った隙に立ち上がって前に進み、銃撃が再開すると再び腹ばいになる、ということを繰り返しました。2km進むのに8時間かかりました。森で家族を見つけ、村の方角へ少し歩きました。その日、病院にいた全員がそこから避難することに決め、数人は隣国コンゴ民主共和国を目指して川を渡りました。

患者に医療を届け続けるために……

川を渡ってコンゴへ避難する中央アフリカの人びと 川を渡ってコンゴへ避難する中央アフリカの人びと

私はゼミオにとどまることにしました。MSFの外国人派遣スタッフが撤退して以来、医療活動を続けることが私の責任でしたから。不安でしたが、ゼミオのチームと一緒に引き続き活動することにしたのです……何もしなければ最悪の事態になることが分かっていましたから。私たちのほかに被害者をケアする人はいませんでした。

ゼミオを出ることにしたのは、10月初旬に最後の紛争が起きた後です。そのときには他のMSFスタッフや家族はコンゴへ向けて避難していました。残っていたのは私と警備員、神父の3人だけでした。神父が戦闘で殺されたとき、逃げる決心がつきました。森の方角へ向かえば川に行き当たり、カヤックでコンゴ側に渡れるのは知っていました。

失ったものは大きい

ゼミオの住民は多くを失いました。薬や家財は盗まれ、全ての家に火がかけられました。子どもたちは丸1年学校に行っていません。ゼミオには行政機関が存在しません。誰もがやりたい放題で、無法地帯と化しています。

コンゴに避難していた人たちは帰還し始めています。対立勢力は対話を始め、地域の人びとも許そうという気持ちになってきています。でもそれはどれくらいもつのでしょうか。

MSFは2017年12月、ゼミオでの緊急医療援助を終了。活動終了は年初から予定されていたが、戦闘のため中断していた。現状を踏まえると、MSFが活動する余地はない。依然として人びとを保護する必要がある一方で、ゼミオ住民の大多数はコンゴに避難し、医療ニーズは減少している。同国に拠点を置く団体はゼミオで援助活動を行う許可が得られていない。

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